たつのいとしご

空想と現実の違い(2)

 ゾーヤが連れてきた人間の少年は今、竜の山の洞窟の中にいる。フセヴォロドが用意してくれた温かいお茶や焼き菓子を頬張り、その美味しさに感動している。

「以前に住んでいた町にも、スネジノゴルスクにも亜人がいなかったから、セーヴァを見た時は物凄く驚いた。村の人たちが言っていた竜の山の主が本当に存在していたんだって。とんでもなく大きくて、トカゲっぽい怖い顔をしていて、鋭い爪のある大きな手でレースを編んでいるのだから」

 竜の山の主と言われるに相応しい威厳があるようで無い姿が想定の範囲外で、状況を把握するのに少しばかり時間がいったと、ムスティスラフが笑う。

「ムスティーシャ、セーヴァは怖くない。セーヴァは優しい。セーヴァの御飯は美味しい。セーヴァは手芸が得意だ」
「セーヴァのことを悪くいったんじゃないぞ、ゾーヤ。セーヴァが村の人たちが言っていた通りの竜だったなら、僕はもう食べられているのだろうとは思ったけどな」
「セーヴァは竜ではない、竜人(ジラント)だ。ゾーイカの大好きなセーヴァだ」

 お互いに言いたいことを言っているので、会話として成立しているとは言い難い。それでも二人はk舞わずに喋り続けていく。似た年頃の少年少女のやりとりは賑やかで、聞いているのも見ているのも楽しい。フセヴォロドとゾーヤだけではいつも彼が聞き手に徹してしまい、彼女が一方的に話続けてる形になってしまう。それでもフセヴォロドが適度に相槌を打ったり、話の先を促したりはしてくれるので、ゾーヤはそれを不満に思ってはいない。
 二人だけの世界にムスティスラフという第三者が混じったことで変化が生まれ、フセヴォロドが相も変わらず聞き手に徹してしまっても、ゾーヤとムスティスラフは交互に聞き手、話し手を入れ替えて、とっちらかっている会話を弾ませていた。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、突然のお茶会はお開きとなる。洞窟の外に出てみると、くすんだ空に浮かぶ太陽が西へと傾きかけているところだった。寒冷地の昼は短く、夜の訪れは早い。馬と犬がいるとはいえ、夜の森を一人で行くのは危険が多すぎる。フセヴォロドはゾーヤと共に、ムスティスラフを森の出口まで送ってやることにした。初めのうちはフセヴォロドを警戒していた犬のヤンタールも馬も、出口に辿り着くまでには彼に懐いていて、彼は恐ろしい存在などではないのだとムスティスラフは確信した。

「ゾーヤに会えて良かった。美味しいお茶とお菓子で持て成しくれて有難う、セーヴァ。また、遊びに来ても良いだろうか?」

 ムスティスラフと知り合って未だ間もないが、フセヴォロドは直感した。彼はきっとフセヴォロドとゾーヤの生活を脅かす存在にはなり得ないと。だが、彼の日の記憶が脳裏に浮かんでもくるのだ。ムスティスラフは人間で、人間は彼のような快い者ばかりではないことをフセヴォロドは嫌というほど知っている。

「……遠い昔、我と同胞は人間に故郷を追われ、この地へと逃れてきた。同胞は今やおらず、此処に住まうのは我とゾーヤのみ。人間と関わらぬことで手に入れた安寧を失いたくはない」

 ムスティスラフは顔を歪める。嘗て、自分と同じ人間がフセヴォロドや仲間たちを深く傷つけ、苦しめたことを知って。然し、彼は人間のムスティスラフに敵意を向けてこなかった。それは、何故か?

「僕が人間なのに、どうしてセーヴァは僕を持て成してくれたんだ?」

 ムスティスラフの問いに、フセヴォロドは言葉を詰まらせる。彼に問われるまで、そのことを意識していなかったのだフセヴォロドは迷い、暫し空を仰ぐ。そして、答えを導き出した。

「我が子に等しいゾーイカが友人を連れてきたのだ。我は父として、我が子の友人を持て成さねばと思ったのやもしれぬ」

 会うのは今日で二度目のはずなのに、いつの間にかゾーヤとムスティスラフは友人になっていたらしい。二人は顔を見合わせると、「まあ、それで良いか」と笑い合った。

「我が出す条件を守れるというのならば、我はゾーヤと共にムスティーシャの来訪を歓迎しよう」

 一つ目の条件は、竜の山に竜人が隠れ住んでいることを周囲の人間に口外しないこと。フセヴォロドに争う気がさらさらないのだとしても、彼をよく知らない人間までもそう思ってくれるとは限らないからだ。

 二つ目の条件は、ゾーヤに人間の文化を教えること。礼儀作法や文字の読み書きを覚えることはゾーヤの将来に役立つからだと、フセヴォロドは言う。
 三つ目の条件は、フセヴォロドとゾーヤの良き友人であってくれること。
 以上の条件を提示されたムスティスラフは破顔一笑し、「約束は絶対に守る」と受け入れてくれた。不安が全く無い訳ではないが、フセヴォロドはムスティスラフを信用することにした。ゾーヤとの生活が、彼の中に巣くっていた人間不信を僅かにでも拭ってくれたのかもしれない。

「家族にも村の人たちにも見つからないように気を付ける。また会いに来るよ、ゾーヤ、セーヴァ」

 ムスティスラフは馬に跨り、ヤンタールを伴って、スネジノゴルスクへと帰っていく。その背中が見えなくなるまで見送ってから、フセヴォロドとゾーヤも帰路に就く。

「ムスティーシャはいつ来る?明日?」
「ムスティーシャにも都合がある。明日の来訪はきっと難しい。いつかは分からぬ来訪を心待ちにするのも楽しみの一つだ」

 硬くて太くて、ひんやりとしているフセヴォロドの腕に絡みついてきたゾーヤの頭を撫でてやると、彼女は嬉しそうに笑った。

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