「大した
「……ああ、有難う、スーリヤ」
沸騰しているお湯の中に入れた茶葉から
――あれ、チャラが物凄く素直にスーに御礼を言ってる。とんでもなく硬い岩に頭をぶつけてきたのかな。
なんて、さりげなく失礼なことを思いながら、寧々子は金属製の銀色のお盆に茶器とお菓子を載せて、彼らが待っている居間へと向かった。
「久しぶりだね、チャラ!元気にしてた?」
「チャラって呼ぶなって言ってんだろうがっ。……いや、何だ、元気には、してる」
威勢良く反論してから、「やばい、きつく言い過ぎたか?」と言いたげな表情になっているチャンドラを目にして、寧々子は苦笑いをする。突っ張っている割には素直で、根が優しいチャンドラの本質は月日が流れてもそれほど変わっていないらしい。
――チャラのその反応が楽しいから、ついついからかっちゃうんだよね。
寧々子をからかって遊ぶことがあるスーリヤの気持ちが少しだけ分かるような気がした彼女は目を動かして、居間の様子を窺い、ぽかんと口を開ける。
チャンドラの隣に、見慣れない人間の女性が座っている。暑い国で生まれ育ったのだろうと想像出来る褐色の肌に、明るい茶色にも色の濃い金色にも見える柔らかそうな長い髪を結い上げていて、そして宝石のように綺麗な緑色の目をした若い女性。彼女は寧々子と目が合うと、品の良い微笑みを浮かべて、会釈をしてくれたので、寧々子も同じようにしてから、淹れたての紅茶を二人に振る舞う。
「ネネ。どこからどう見てもチャラと、その連れの……」
「フェレシュテフ」
「――だそうだ。俺とチャラの故郷がある方の、マツヤという港町から旅をして来たんだと」
チャンドラの突っ込みを受けつつ、かなり手短に客人の紹介をしたスーリヤが、隣に腰を下ろした寧々子の顔を横目で一瞥する。彼女は好奇心で目を輝かせていて、初対面のフェレシュテフを眺めていた。
(おお~、これぞまさしく、エキセントリック美人……!)
女嫌い、そして人間嫌いのチャンドラが人間の女性を連れて、スーリヤたちの所にやって来たことに驚いているが、その女性が美女と讃えても過言ではない部類の女性だったことに寧々子は余計に驚き、感動している。因みに寧々子は”
(私、何かおかしなことをしてしまっているのかしら?)
草原で使われている言葉が分からないので、寧々子が好奇心丸出しの表情をしている理由が分からず、フェレシュテフは不安になる――が、直ぐに気が紛れた。とても体の大きな父親の陰に隠れて、チラチラとフェレシュテフを見てくる小さな虎の存在に気が付いたのだ。お客様であるフェレシュテフに興味津々なのだが、初対面ゆえの人見知りをしているので近づけず、それでもフェレシュテフが気になって仕方がない、といった様子のカルナが愛らしく、自然と笑みが浮かぶ。
「……それで、大事な話ってのは何だ?」
チャンドラとフェレシュテフ、そしてスーリヤ夫妻とカルナ、揺り籠の中のナナが同じ空間に揃ったところで、スーリヤが静かに話を切り出す。
――ああ、遂にこの時が来た。と、僅かに身震いをしたチャンドラは唇を一文字に引き結び、真摯な目で双子の兄を捉えた。
「俺はマツヤの町でフェレシュテフと出会って……番になった。そのことに悔いは全くないが、マツヤでは亜人と人間が番って暮らしていくことは出来ない。他の土地でもそうだろう。どうしたら願ったように暮らしていけるのかを考えた時、スーリヤたちのことを思い出して……それでマツヤを出て、この村までやって来た」
亜人と人間の夫婦が存在していることを快く思っていない者たちがいても、タウシャン村で暮らす人々の殆どはスーリヤ夫妻を受け入れて、穏やかに暮らしていっている。その村の存在を思い出したチャンドラは、其処でならば願いが叶うのではないかと希望を見出したと、チャンドラが語る。寧々子もスーリヤも、神妙な面持ちで彼の言葉に耳を傾けている。
「図々しいことを頼むんだってことは、分かってる。だけど、俺たちもお前たちみたいにこの村で暮らしていきたい。昔、お前たちのことを散々悪し様に言ったことを、改めて謝罪する。申し訳ないことをした、すまなかった。……スーリヤ、ネネ、力を、貸してくれ……っ!」
意地っ張りなチャンドラが頭を下げて、スーリヤたちに懇願する。それを目にしたフェレシュテフは話の内容が分からないながらも何かを感じ取り、彼と同じようにした。
(……参ったな)
チャンドラがフェレシュテフを連れて現れた時点で、二人の間に何があったのか、これからどうなるのかは勘付いていた。然し、実際に想像した通りの展開になってみると困惑する気持ちが湧いてきたので、スーリヤは表情を変えないで小さく息を吐いて、寧々子に目をやってみて――噴き出しそうになったので急いで顔を前に戻した。寧々子はこれでもかというほど目を見開いて、大口を開けて、硬直していた。つまり、物凄く面白い顔をしていたので、スーリヤの笑いのツボを刺激してしまったのだった。
「……っ、ネネっ、それ以上口を開けると、顎が外れるぞ……っ」
スーリヤは努めて平静を保ってみたのだが、声が震えてしまったが、幸いなことに誰にも気付かれなかった。
「チャラ、フェレシュテフ……さん、顔を上げてくれ」
チャンドラの虫の良すぎる願いを耳にして、兄弟間で「怒りの導火線が湿気っているかもしれないスーリヤ」と言われていた流石の彼も腹を立てたに違いない。頭を下げているチャンドラが敷物を見つめながら緊張していると、スーリヤが彼の名前を呼んだ。怒気などない、穏やかな声で。それが余計にチャンドラの不安を煽る。恐る恐る顔を上げると、面白い顔をして硬直している寧々子と、呆れたように笑っているスーリヤが目に飛び込んできたので、チャンドラは唖然とした。
『あの時の俺の気持ちが、分かったか?』
『……ああ、考えて考えて……やっと分かった』
突然スーリヤが故郷の言葉で話しかけてきたのでチャンドラは不思議に思ったのだが、つられて同じ言葉で返していた。
『亜人と人間は番うことは出来ねえって分かっていても、人間のネネがいとおしくてどうしようもなかったんだよな?……俺も、駄目だって分かっていても、フェレシュテフがいとおしくなって、どうしようもなくなった。今はもう、フェレシュテフを幸せにしてやりたい、落ち着ける場所を見つけたい、そんなことばかり考えてんだ』
『……それじゃあ、仕方がねえな……』
大きく息を吐いて、明後日の方向を目を向けながら、スーリヤが気だるげに首の後ろを掻く。寧々子とカルナはスーリヤの故郷の言葉は分からないので、スーリヤとチャンドラの会話の内容が気になり、顔を真っ赤にして俯いてしまったフェレシュテフの様子も気になり、母子でスーリヤの顔を覗き込んだ。
「ねえ、今、チャラと何を話してたの?それに、えっと、フェレ……シュテフ、さん?顔が赤くなってるんだけど……?」
「……内緒。――チャンドラ。村長と話が出来るように間を取り持つことまでは出来ると思うが、それ以上のことはあまり俺に期待しないでくれ。この村で暮らしていけるようになる保証は出来ねえ。それでも良いのか?」
「……っ、あ、ああ、この村が駄目なら、他の土地に行って落ち着ける場所を探す覚悟をしてる。フェレシュテフも、それを承知してる。……有難う、スーリヤ」
スーリヤが手を差し伸べてくれるかもしれない、という漠然とした可能性に縋った結果は、スーリヤに追い返されるかもしれないと後ろ向きなことを考えていたチャンドラの予想から外れたものだった。未だ、道は閉ざされていない。そのことをチャンドラがフェレシュテフに伝えると、彼女も少しだけ安堵したようで、浮かべていた笑みから力が抜けていった。