貴方はわんこ。貴女はにゃんこ。

本日はお天気が非常に変わりやすく

焼肉パーティが終わり、夜になると、コメちゃんと燎くんはお帰りになられました。
帰り際にコメちゃんが武藤さんにでこぴんをしていらっしゃいましたが、あれは何だったのでしょうか?はてさて?

武藤さんが洗った食器を乾いた布巾で軽く拭いてから水切り篭に入れるお手伝いをしておりますと、ふと、彼が呟きました。

「すみません。突然こんなことになってしまいまして……」

あの二人のペースに巻き込まれてしまったことを詫びておられるのでしょうか。そんなこと、なさらなくても良いのに。

「いえ。お父さんと”おじいちゃん”がいた頃のようで……とても楽しかったです」

”おじいちゃん”――武藤さんの養父がはしゃいで、お父さんが笑いながらそれを叱って、私が”おじいちゃん”の真似をしようとすると貴方が慌てて止めたりして――。とても短い間でしたけれど、四人で囲んだ食卓の重いでは今もこの胸に深く深く刻まれています。

「……御免なさい」

ふと訪れた一抹の寂しさに、知らず知らずのうちに涙が零れ落ちていました。自分の中ではもう整理がついたと思っていたのですけれど、お父さんとの思い出が蘇ると未だ涙腺が緩んでしまうようです。
洗い物をしていた手を止めて、キャビネットのノブにかけていたタオルで手を拭くと、武藤さんは突然泣き出した私の頭を撫でてくださいました。

「……そうですね、あの頃のように賑やかでしたね。また機会がありましたら、あの二人や朝雪さんのお友達を呼んで……今度は鍋でもつつきましょうか」
「……ぐすっ。はい……」

大きくて温かい手で触れられて落ち着いてきたので、ごしごしと乱暴に涙を拭って、再び作業をし始めました。私が泣き止んだことを確認してから、彼も洗い物を始めます。その際に、彼がほっと息を吐いたのが聞こえたような気がしました。

後片付けが終わり、先にお風呂を頂いた私は一息つこうとソファに座ります。

「ホットミルクでも如何ですか?」

目の前にカップを差し出されたので、御礼を言って受け取ります。ぺしぺしと隣のスペースを叩くと、未だウィスキーの残っているグラスを手にしている武藤さんはふふっと笑って、隣に腰をおろしました。

「コメちゃんと仲良くされていたようですが、何を話していらっしゃったのですか?」

先程の焼肉パーティで彼と燎くんが席を外していた時のことですよね。変なことを聞いた訳ではありませんので、正直に申し上げます。

「中学生から現在に至るまでの貴方の話をしてくださいました」
「……ごほっ」

ウィスキーを飲んでいる途中で咽てしまった彼は、咳き込みながらグラスを机の上に置きます。そして暫く考え込まれます。

「……例えば、どのようなことを?」

本人はにこやかにしているつもりなのでしょうが、口元が引き攣っています。なかなか見かけない表情です。

「中学生の時は諸事情により家庭科部に所属していらして、コメちゃんと手芸に精を出していたのだそうですね。ですから、ミシンの扱いがお上手だったのですね」

制服の裾上げをしてくださったのは貴方です。他にも、アイロンがけもボタンの付け直しも出来てしまいますし。家事が得意になったのは、この頃の経験の御蔭なのでしょうね。

「……諸事情の部分は聞かれましたか?」
「……?いいえ?」

コメちゃんはその部分については特に何も仰いませんでした。

「……でしたら、良いです。他には?」

「ひょんなことで一度だけ燎くんと取っ組み合いの喧嘩をしたら、コメちゃんに二人して成敗されたとか。それ以来、燎くんと喧嘩をする時は口でするようになったと……」
「……コメちゃんはああ見えて空手の有段者なんです。高校の時は全国大会の個人戦で三連覇したくらいの腕前で……」

綺麗な中段蹴りの理由が分かりました。本当に、人は見かけによりませんね。

「それから……学校の行事の際の貴方の写った写真の注文が殺到して、写真屋さんが泣いて喜んだとか」

経済の活性に貢献なさったのですね、なんて申しましたら武藤さんががっくりと項垂れました。

「えぇと、それから……女の子に告白されては笑顔でお断りした回数は数え切れないとか。そのことから、中学校三年間の通り名が”百人切りの武藤”だったそうですね」

何だか辻斬りみたいですよねなんて申しましたら、「違います」と一言。

「バレンタインになると下駄箱やロッカーに入りきらないほどチョコレートが入っていたり、道行く女の子にチョコレートを頂いたりなさったと。毎年幾つもの紙袋に入ったチョコレートの山を私にくださいましたが、あれは学校中の女の子から頂いたものだったのですね。あんなにも沢山のチョコレートを何処で買っていらしたのだろうと思っておりましたが、漸く謎が解けました」

武藤さんに差し上げたチョコレートが、甘党の大食らいの私に横流しされていたと知ったら、彼女たちは嘆き悲しむでしょうね。申し訳ありません、チョコレートは全て美味しく頂きました。
武藤さんが大学に入ってからは、ウィスキーボンボンやリキュール入りのチョコレートが増えてしまって、食べられないものが多くて悲しかったですね……。

「高校生になってからは、体育祭の借り物競争の品物として必ず貴方の名前が書かれていたとか。その紙を引き当てようとして女生徒が躍起になって、凄いことになったのだそうですね」

借りられたのですか?と尋ねましたら、「そうですね……」と力ない返事が。

「二年生の時の文化祭で、貴方のクラスは白雪姫の演劇をすることになって、配役をくじ引きで決めましたら、貴方が王子様役を引き当てて、クラスの女性徒の皆さんが白雪姫役を獲得しようと大騒ぎになってしまって。結局は裏方に落ち着いたのだとか」

ここまできますと、女難の相が出ているとしか思えません。一度、神社などで厄払いをされることを進め致します。ああ、武藤さんの場合はカトリックの教会でしょうか?

「えぇと他には……」
「いえ、無理に思い出そうとなさらなくて結構です。出来れば、そのまま忘れ去ってください……永久に」

項垂れていた彼はいつの間にか頭を抱えていて、深い溜め息を吐いていました。どうかしたのかと首を傾げていると、顔の向きは変えずに目だけを此方に向けて、ばつが悪そうな顔をして、ぽつりと呟きます。

「……幻滅されました?僕のこと……」
「何故ですか?楽しい学校生活を送られていらしたのだなと思いましたけれど……」
「……今の話は楽しい学校生活の話ですか?」

え!?違うのですか!?
動揺が顔に出てしまったのか、貴方は困ったように笑いました。

「え、えぇと、貴方は学校生活についてあまり話されることがありませんでしたし、屋敷にお友達を連れてくることもなかったものですから……今日、あのお二人にお会いするまで、若しかしたらお友達がないのではないかと思っていました……御免なさい」
「片手で数えられてしまいますが、ちゃんと、友人はいますよ……」
「ご、御免なさい……っ」

屋敷にいた頃、貴方と過ごしている時は大体、『今日の御飯は何でしょうか?』とか、『お父さんに次の休みはやってくるのでしょうか?』とか、『昔じいちゃんがですね……』で始まる”おじいちゃん”の武勇伝とか、学校で何があったとか、そんなことが多くて。
私が脈絡もなく話すのを、貴方が聞いていることが多くて。

「……今思いますと、貴方は私に合わせてくださっていたのですよね。有難う御座います、子供の他愛ない話に付き合ってくださったり、遊んでくださったり……」

私はとても楽しかったけれど、貴方は楽しくなかったのではないかと思ってしまいます。でも”子守”が仕事ですから、つまらなくても、面倒でも顔には出さないでいてくださったのだろうなって――。

「……僕は朝雪さんと過ごす時間が一等好きですよ。ですから、無理に合わせているとか、嫌々付き合っているとか……そんなことは全くないです……」

私が落ち込まないようにと、貴方は優しい言葉をくださいます。
――直ぐに後ろを向いてしまう子供に付き合わなくても良いのに。

「……有難う御座います」

笑って御礼を言ったつもりだったのですが、上手く笑えなかったようです。武藤さんが目を瞠って、慌てて此方を向いて、膝の上で合わせていた私の手を両手で掴んできました。

「嘘ではないです、本当です」

こんな小娘の戯言に反応して、必死に弁明しなくても良いのに。だから、私は――。

「……そんなことを仰るから、いい気になってしまうのです……」

だからヤキモチなんてものをやいてしまうのに。
自分のものであると勘違いしている大事な”子守(あなた)”を取られた様な気がして、寂しくて、悔しくて。まるで、玩具を取られた子供のようです。

「朝雪さん?」
「……コメちゃんのことが”大好き”なのですよね」
「……はい?」

唐突にそんなことを言った私に武藤さんが面食らっている隙を突いて、ぎゅっと握ってくる手から逃れて、膝の上で握り拳を作っていました。

「コメちゃんが大好きなのでしたら、私なんかに構っていないで、コメちゃんと一緒にいらしたら良いではないですか……」
「……あの、どうしてコメちゃんがいきなり話題に出てくるんですか?」

話の流れが掴めないので、武藤さんが呆然としています。御免なさい、私も訳が分からないです。今日は情緒不安定なようです。

「……コメちゃんが貴方のことを『大好き』と仰ったら、貴方も『僕もだよ』と仰ったではないですか」

コメちゃんは昔話をしながら、こうも仰いました――あれは友人として言ったのよ、深い意味は全くないからと。でも彼女はそのつもりでも、貴方までそうだとは限らないではないですか。

「確かに僕はコメちゃんのことを好ましく思っています。ですがそれは、友人としてですよ?彼女から聞きませんでしたか?彼女は燎と付き合っていると」

え?そんなこと仰ってましたっけ……?薄れかけている記憶の糸を手繰り寄せてみますと、それらしい言葉を発見しました。

「……『燎は私のペットなのよ』、とは仰ってましたが」
「……どうして朝雪さんには分かり難い言い方をするかな……。それはですね、コメちゃんが言うところの”恋人”です。僕と彼女は友人であって、それ以外の何ものでもないです。……理解して頂けましたか?」
「……本当ですか?」
「本当です」

いつぞやのように、貴方の目が真剣に訴えているように見えて。それで漸く、私は納得しました。

「……勘違いをしてしまいまして、大変申し訳ありませんでした……」

勝手に想像して決めつけて。最低です。御免なさい。
良い人ですのに嫉妬してしまって御免なさい、コメちゃん。

「いいえ。此方も誤解を招くようなことを申しましたから。……一つ、伺っても宜しいですか?」
「はい」

私は深く考えずに、返事をしてしまいました。

「……若しかして、コメちゃんにヤキモチをやいたのですか?」
「っ」

図星をさされてしまい、反射的に顔がかっと熱くなったのが分かりました。赤くなった顔を見られないように逃げようとしたら、腕を掴まれて、阻止されてしまいました。

「その反応は、そうだと仰っているものだと思っても良いですよね?」
「嫉妬なんてして……」
「ましたよね?」

青灰色の目が私の目を捉えて。私は蛇に睨まれた蛙のように、目を逸らせなくなってしまいます。言葉も詰まってしまって、反論が出来ませんでした。
そのことに気がついたのか、貴方はとても綺麗に、意地悪に笑いました。

――逃がして頂けない。

本能が、そう悟りました。