「さて、と」
待ち合わせ場所である最寄のバス停まで辿り着いた私は、腕時計で時間を確認しました。約束の時間まで、未だ少し余裕があります。読書でもしながら時間を潰そうかと思った時、道の向こう側から馨が歩いてくるのが見えました。
「おーい、朝雪ー!」
「馨」
左右に大きく手を振りながら小走りで此方にやってくる彼女に、私も手を振って応えます。
「待たせた?」
「いいえ。私もつい先程着いたところです」
「そっか。……ん?」
不意に馨が私をじっと見つめてきました。頭の先から爪先まで、じっくりと。
も、若しかして、この服が似合っていないのでしょうか?
これまではデパートの外商の方が屋敷にいらして、勧められるがままに服を買っていたものですから、私には流行のファッションというものが分かりません。時折クラスメイトの方にファッション雑誌を覗かせて頂いても、ちんぷんかんぷんという始末です。
「白のボウタイのブラウスに、ネイビーのショートボレロとハイウエストのサーキュラースカート……タイツは黒で、ブラウンのショートブーツ……。えーっと、手持ちの服ってこういう感じのが多いの?」
手持ちの服で、これならおかしくはないかな、と思われるものを選んできたつもりなのですが……。内心で酷く慌てふためいている私に、馨が尋ねてきました。
「は、はい……」
その通りなので、素直に答えます。
「あ、ごめん。ダサいとか思ったわけじゃなくてね?」
しょんぼりとしてしまった私に気を遣ってか、馨が慌ててフォローしてくださいます。優しいですね、馨は。良いのです、ダサいのであれば正直に仰ってください。
私にはそれすらも分からないのです、ですから良い勉強になります。
「あのね?連れて行くつもりのお店にはさ、こういう”お嬢様”って感じの服は売ってないからさ……。まずかったかなって思って……」
今あたしが着てるような服が多いんだ。と、馨が補足してくださいます。
因みに彼女の格好は、黒のコーデュロイブルゾンの下にタートルネックのボーダーチュニックを着ていて、巻きスカートのようなデニムのミニスカートとレギンス、ハイカットのスニーカーを履いていらっしゃいます。名前が分からないので、逐一彼女に伺いました。横文字が多くて、少々頭が混乱してしまいます。
私が言っても良いのか分かりかねますが、とても似合っていると思います。
「あの……私は”お嬢様”ではないので……その……馨が選んでくださる服が良いです……」
貴女がどのような服を選んでくださるのかと、とても楽しみにしていたのだと伝えると、彼女は照れくさそうにはにかみました。
「可愛いこと言わないでよ、朝雪……。萌え……ごほん、照れるじゃん。成程、これでやられるんだな……わかったよ、うん。よっし、張り切っちゃうからね!可愛いの選んで、麗しの主夫を驚かせちゃおう!」
「……はい?」
馨、貴女の言葉の所々の意味が分かりません。どうして麗しの主夫――武藤さんが出てくるのです?あの人を驚かせると、何か楽しいことでもあるのでしょうか?
頭の上にハテナを幾つも浮かべていると、乗る予定のバスがやって来ました。
「ふふふ、楽しいな~♪」
中学生や高校生の女の子が多くやってきているお店の試着室に私を閉じ込めて、馨は色々と物色しています。
今日は休日ということもあってか、お店の中はとても混雑しています。こんなに人口密度の高い場所へやって来るのは初めてです。おしゃれに燃える女の子の熱気に包まれたこの場所は戦場としか言いようがありません、はたして無事に生還出来るのでしょうか?
「朝雪ー、試着出来たぁ~?」
「あ、はい」
試着室のカーテンを開けると、両手に沢山の服を持った馨が目の前にいらっしゃいました。
「お、似合うじゃん!新鮮!」
「……そうです、か?あの、足が見えすぎでは……?」
ジッパーがついたブラウン系のニットッパーカーの下に、白のギャザーTシャツとアイボリーのレースショートパンツというコーディネートをして頂きました。
生まれて初めて、こんなに短いショートパンツというものを履きました。今はタイツを履いているので良いのですが、素足は勇気がいります。とても。
「私……足が太いですし……」
剣道部に所属しているからでしょうか、私の足は筋肉質で太めなのです。そんな足を堂々と晒してよいのでしょうか、怒られたりはしないのでしょうか……!?
「いやあ、そのむっちり具合がたまらんです。はい、それにしよう。ていうか、それ着て外に行こう。他の服ももう決めちゃったし……すいませーん、店員さーん」
「え、これを着て行くんですか!?」
と、言うと、「何か問題でも?」と不思議そうに首を傾げられてしまいました。何故だか、逆らえませんでした。そして、逆らえない人が増えた、と思いました。
そんな訳で、一軒目でのお買い物は終了致しました。次はコートを買いに、別のお店へと入ります。
バスの中で話していたのですが、「コートも買うなら、コートはちょっと高めのにしよう?値段が高い分、布地と縫製がしっかりしているから温かいし、長くもつしね」と助言を受けましたので、その通りに致します。
「ふわふわです……!」
フードの部分についたフェイクファーの感触を楽しんでいると、馨が苦笑しながら声をかけてきました。
「朝雪、ファー好きなの?」
「はい、ふわふわ、好きです」
「うん、そのふわふわがファーね?まあ、別に良いけど……」
ファーのついたコートが欲しいんだな、と察したらしい馨は、ファーつきのコートが置かれている一角をじっくりと見ていきます。
「あ、これ似合いそう。朝雪、ちょっと羽織ってみてー」
「はい」
馨に手渡されたのは、濃いブラウンのファーがついたベージュのポンチョ風コートでした。
「うん、やっぱり似合うね」
と褒めて頂きましたので、気を良くした私は少し浮かれながら袖についた値札を見ました。そこには小さめに、二万九千円、と書かれていました。ゼロの数を見間違えたのかなと思いましたので、もう一度確認してみましたが、矢張り二万九千円と書かれています。
「……高い、ですね」
そうですよね、二千九百円のコートなんてありませんよね……夢を見てしまいました。
お財布の中には、バス代とお昼御飯代を抜くと一万円とちょっとしか残っていませんでした。ファーもコート部分も肌触りが良かったので気に入ったのですが、残念です。
「あー、うん、他にもあるから、そっち見よう?このお店、基本的に値段高めなんだけど、よーく探すとお値打ちのが見つかるからさ!」
「そうですね、そうしま……」
「いや、待てよ?朝雪、コートを買うのはまた今度にしない?」
「はい、構いませんよ……?」
特に疑うこともなく、そう答えます。耳を貸してほしいと言われたので、彼女の方へ耳を向けると、とんでもない提案をされました。
「え、あの、その、それは……ちょっと……」
「一度試してみなよー。……ね?」
「うっ」
にやりと笑った彼女に、逆らえるはずもなく。
「ま、今回はコートは下見ということで。お腹空いたし、お昼食べよっかー。それから、もうちょっとウィンドウショッピング楽しみたいんだけど、良い?」
「はい、そのように。馨には大変お世話になりましたので」
「固い!だがそこが良い」
彼女は時々、よく分からない言葉を使います。
馨に連れてきて頂いたのは、ファミリーレストランでした。
「ファミレスに来るのは初めてなんだ?」
「ファミレス?」
「ファミリーレストランの略」
成程。勉強になります。
「こういった所があるのは知っていましたが、入ったことはないです。初めてなので、どきどきします」
きょろきょろと忙しなく首を動かしてお店の中を見ている私を、馨が楽しそうに笑いながら眺めていました。
「うちのチビたちみたい。可愛い」
いえ、私は可愛くないのです。可愛げのなさに定評があるのです。でも彼女は他意があってそう仰ったわけでなないので、否定は心の中でして口外はしません。
「和洋、中華問わず、様々なメニューがあるんですね。わ、大きなパフェです……っ」
メニュー表に載っている大きなパフェに心を奪われてしまいます。どのくらいの大きさなのだろうと尋ねてみると、ビールジョッキ(大)くらいだと馨が答えてくれました。大きさを知っているということは、頼んだことがあるのでしょうか?
「朝雪なら楽勝でしょ。デザートに頼んじゃいなよ。他も決まった?」
「ええと……おろしソースハンバーグにデミグラスソースオムライス、ごぼうのポタージュにシーザーサラダ……にしようかと」
「うんうん、お腹いっぱい食べなさい」
馨、何だかお母さんみたいですよ。
と言いましても、私の母は物心つく前に亡くなっているので、お母さんとはこんな感じなのかな、が正解でしょうか。
――今は家で大人しく寝ているはずの麗しの主夫も、同じようなことをよく仰いますけど。
他愛のない会話をしながら待っていると、注文していた料理がやってきました。私が沢山注文してしまったので、テーブルの上に所狭しと料理が並べられています。
周囲のお客さんが唖然とした様子で、此方のテーブルを覗いています。矢張り、頼みすぎているのでしょうか?
「他人の視線は気にしないの。そうしないと、御飯が美味しく食べられないよ?」
「……はい」
私の心の内を察したのか、馨が諫言をくださいました。そうですね、御飯は美味しく食べたいです。うん、御飯はやっぱり美味しいです。
「?」
今度は前方から視線を感じたので目線を上げてみると、対面にいる馨がにこにこしながら此方を眺めていらっしゃいます。んん?この感じ、どこかで……。
「あの、どうかされましたか?」
若しや、口の周りに御飯粒でもついていますか!?
「ん?朝雪って御飯を美味しそうに食べるじゃない、それでさ、人が御飯を美味しそうに食べてるのを見るのを好きだなって思って、さ」
その言葉を聞いた瞬間、頬杖をついて、にこにことしながら此方を見ている武藤さんと、目の前の馨が重なって見えてしまって。
「~~~~~~~~~っ」
「どしたの、朝雪?顔、真っ赤だけど……?」
今朝の出来事を思い出してしまい、顔から火が出るかと思いました。ああ、恥ずかしい……!
「い、いえ、何でも、ない、です……っ」
「ふぅん、そう?」
内心を悟られまいとしたのですが、馨は楽しそうに目を細めました。まさか、勘付かれましたか……!?
深く突っ込まれたくないので少々急ぎながら御飯を食べ、最後にやってきたビッグチョコパフェもハイペースで食べていってしまいました。
もう少しゆっくりと、甘味を味わいたかったです……。
ファミレスでお腹を満たした後は、馨が覗いてみたいと言ったお店や偶然見つけた雑貨屋さんなどをぐるぐると回ったりして。
最後に其々の自宅に近いバス停まで戻って、其処で解散となりました。
両手に服の入った紙袋を持って、武藤さんが待つアパートまでとぼとぼと歩いていきます。
――武藤のオニイサンがどういう反応したか、明日教えてね?
別れ際に馨が残した言葉が、ふっと脳裏に浮かびます。
うーん、特に反応はないと思うのですが。
……そう思っても、心臓がドキドキするのは何故なのでしょうね?