夢見るゴリラ

ゴリラではありません、ホモ・サピエンスです

 凍える冬が終わり、温かく穏やかな春が訪れても尚、北の大地の其処彼処には名残の冷気が潜んでいる。日差しは温かいが、日陰に入ると未だ肌寒さを感じてしまう。けれども、いつものように体を動かしているうちに自然と体温が上がっていくので、やがては寒さも気にならなくなってくるのだ。それが、いつもと変わらない情景の一つ。

「あ~はいはい、乳牛の皆さ~ん、おはよう御座いま~す。今日も一日餌をたっぷりと食べて、栄養たっぷりの乳をたっぷりと出してくださ~い。御願いしま~す」

 朝早くから牛舎の清掃に精を出しているのは、草森(くさもり)牧場の長男と次男。限りなくゴリラに近い外見をした兄の稲穂(いなほ)が農業用のフォークを使って、床に散らばってしまっている藁を掻き集め、限りなく仏像に近い外見をした弟の麦穂(むぎほ)が二輪車を使って、兄が集めたゴミの運搬作業をしている。
 慣れた様子でてきぱきと運搬作業をこなしている麦穂が、牧場で飼育している乳牛たちに明るく声をかけていると、牛たちが餌を咀嚼している音に混じって、深い溜め息を吐く音が聞こえたので彼は顔を動かして、線のように細い目を向けた。

「稲ちゃん、若しかして未だ凹んでんの?顔がゴリラ……なのは生まれつきだけど、何だか暗いべ」
「俺は合コンの連敗記録更新したことで落ち込んでんじゃねえ」
「ああ、やっぱり、それで落ち込んでるのか。今現在、五連敗だっけ?」
「俺は連敗なんてしてねえべさ。合コンに行った先々で気の合う女がいなかったってだけだべさ」

 学生時代の彼が思い描いていた計画では、二十代の前半で結婚し、子供を一人儲けているはずだったのだが、現実は違う。気がつけば、二十代後半に突入。夢破れた稲穂は独身を貫いてしまっている。そのことと”とある事情”により、このままではいけない、と余計に危機感を持った稲穂は結婚活動――略して婚活(こんかつ)に今まで以上に力を入れることにしたのだった。
 然し、彼が住んでいる地域には男女の出会いの機会が非常に少ない。広々とした町の面積に対して人口は少なく、また、住人の高齢化が進んでしまっている地域なのだ。人口よりも飼育している家畜の数の方が多いかもしれない過疎地域では、正直に言って出会いはない。そこで彼は――弟の麦穂に頼った。インターネットを利用して、遠距離恋愛をするような恋人を見つけた弟に縋った。最新の農作業機には対応出来るのに、何故かパソコンやスマートフォンでインターネット検索が出来ない稲穂は麦穂に縋るしかなかったともいう。
 そうして出会いを求める若い男女を集めて開催される合コンを主催しているウェブサイトに会員登録をして、五回ほど赴いたという訳だ。その結果は――全て惨敗。合コンから帰ってくる度に「男は顔じゃねえ、心だべ」とモテない人間に限って吐く台詞を吐き、自棄酒を飲む稲穂を麦穂は白い目で眺めていた。

「熱心に仕事に打ち込んでる男性って素敵、とか言ってるくせに、汗に塗れて農業に勤しむ男は駄目だとか……結局はチャラチャラした顔だけ男の方が好きなんだべ……女って酷いっ!!!」
「話すことが見つからなくて、適当にそういうことを言っちゃっただけなんじゃねえかい?そんな感じのふんわりした話の切っ掛けだけを真に受けて、牛の種付けの話なんてしちゃ駄目。そういう話は野郎には受けるかもしれないけど、女子はドン引くから。但し、実家が酪農やってるっていう女子は除く」
「だって牛乳ってどうやって搾るんですか?って訊かれたから、乳を搾れるようになるまでの過程を答えただけだべ!?美味しい野菜の見分け方教えろって言うから、畑で虫が食ってるやつが一番上手いって教えただけだべ!?そしたら虫がついてるの食べるとかありえないって言うんだべ!?有機(オーガニック)野菜食べてるんです~、とか、農薬使う野菜は体に悪いから食べな~いって言っておいて!!農家にどうしろっていうの!?ありえないのはそっちの方だべ!?」
「……まあ、その気持ちは分からなくないかなー」

 稲穂の同世代の異性との交流は学生時代以降めっきり減っており、彼はその間に異性への対応の仕方を忘れ去ってしまったらしい。農業との関わりが無い生活を送ってきた妙齢の女性には不適切な発言や行動を取ってしまっている兄の姿に、麦穂は細い目を更に細めて呆れることしか出来ない。

「男らしい体格をしている人に憧れる!?そんなの嘘だべ!どこからどう見ても俺はそれに該当しているというのに、女は逃げていくよ!!!」
「男らしい体格というか、人語を解する類人猿にしか見えねえんじゃねえかい?」
「薄毛の男が苦手とか言ってるくせに、俺よりも明らかに全身の毛量が足りてない男に媚を売っているのは何故!?」
「稲ちゃんは禿げる心配ないくらい頭髪及び体毛が濃いからねえ。腕毛とか脛毛とか胸毛と背中の毛とか尻毛とかもう……岩海苔みたいだよね」
「収穫しても収穫しても直ぐにわっさわっさ生えてくるし、伸びてくると毛玉が出来ちゃうの……。俺の体毛……ていうか毛根自体がどうなってるの!?」
「稲ちゃん本当にホモ・サピエンス?所属はゴリラ・ゴリラ・ゴリラなんじゃねえのかい?」
「俺はホモ・サピエンスだべさ!!だって両親がホモ・サピエンスだもの!!!何々だべ、ゴリラ・ゴリラ・ゴリラって!ゴリラを三回も繰り返すんじゃねえ!!」
「ゴリラ・ゴリラ・ゴリラはニシローランドゴリラの学名だべ」
「え、そうなの?やだ~勉強になったわぁ~……って、俺はゴリラじゃねえって!!!おめえ仏像顔なのに仏心が一切ねえのってどうなんだべ!?」

 顔が仏像に似ているからといって、心までもが仏という訳ではない。仏の顔も三度までという諺も存在しているだろう。と、呟き、表情を消して白眼を向けてきた麦穂に稲穂は本能的にびびり、三歩ほど後退する。

「……まあ、稲ちゃんは結婚……もとい、繁殖したくて仕方がねえっていう本音を前面に押し出しているのもいけねえんじゃねえのかい?肉食系っていうか、ゴリラ系なのがいけねえんだべ」
「ゴリラ系って……いい加減ゴリラから離れろや。……っておい、俺から離れるな麦!そういうことじゃねえ!察してよ空気を!H2Oを!あ、すみません、もう少し静かにします……」

 ウホッ!ウホウホッ!!――もとい、ぎゃあぎゃあと喚く稲穂の声が煩わしいのか、世話をしている牛たちが「ぶもぉ~」と低い泣き声を漏らして、不快な気分を訴えてくる。牛に苦情を寄せられた稲穂は声の音量を下げて、牛に対して頭を下げた。

「俺と同じ顔した父ちゃんも祖父ちゃんも若くして結婚して、繁殖……じゃねえ、子供を持ったというのに、どうして俺は未だに独身なんだ……。俺もとうとう四捨五入すれば三十路という年齢の域に突入しちゃったしなあ……」

 祖父母の場合は見合い結婚で、父母の場合は一応は恋愛結婚であるらしいと、稲穂は彼らや親族から耳にしている。先祖代々受け継がれてきているゴリラ顔の持ち主でも結婚出来ているということは、ゴリラ顔には需要があるということ。稲穂はそう考えているのだが、現実は甘くない。高い参加費を払って合コンに参加をしても、インターネットで同好の趣味を持つ仲間を集うサークルに参加をしてみても、収穫があまりにもない。少ない収穫というのも、むさ苦しい容姿をした男友達だけ。知り合った彼らは良い奴ばかりだが、あまりにもむさ苦しい。稲穂は潤いを求めているのだ。

「世の中には仏像フェチがいる。だったら、ゴリラフェチ、マニアも必ず存在するはずだ。噂によれば、何処かの動物園にいるゴリラには女が群がっているという。ゴリラ好きのお嬢さん!!北の大地にもゴリラがいますよ!!法律で認められる、結婚の出来るゴリラがいますよ!!!安心してください、婚姻届は365日いつでも役所に提出出来ますよ!!!」
「ゴリラはゴリラでもあっちのゴリラは相当のイケメンだべ。それも威厳があって、渋い感じの。稲ちゃんは何ていうか、むさ苦しさ全開の発情期ゴリラだべ。雌と見れば見境なく興奮するゴリラなんて夢がねえもの。いくらゴリラ好きでも、稲穂ゴリラには食いつかねえべさ」
「但しイケメンに限るっていうやつか!!やっぱり顔ですよねえええっ!!!知ってる!でも夢くらいは見させてよ!!!俺、農家の長男だけど、嫁さんには農業させたりしねえよ!安心して嫁いで来てくれよ……!!!」

 嘆くゴリラ――もとい、兄の情けない姿を見慣れている麦穂はぎゃあぎゃあと喚く稲穂を放置することに決めて、牛舎の掃除に没頭し始める。一方、多数の乳牛たちから苦情の泣き声を寄せられている稲穂は悲劇に浸る主人公宜しく、別の世界へと意識を旅立たせていた――のだが。

「稲ちゃん、ちゃんと仕事しねえと父ちゃんと母ちゃんに殺されるべ?」
「あいたっ!!!」

 いつまでも浸らせていてくれないのが、麦穂だ。彼は稲穂の尻にかなり強めの蹴りを一発入れて、兄を現実へと引き戻す。別世界から強制送還された稲穂は弟に従い、黙々と仕事をこなしていくのだった。
 ――昔は俺の方が強かったのに、何で今は麦の方が強いんだ?と疑問に思いながら。

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