貴方はわんこ。貴女はにゃんこ。

ぷっつんすると極端な行動をとるようです

コメちゃんの豊満な胸に顔を押し付けられている状態にある私は、只今窒息死寸前です。
逃げようにも、私を抱きしめているコメちゃんの腕の力が思いの外強くてですね、敵いません。筋肉質な腕であるようには到底見えないのですけれども……ぎゃふん。

「コメちゃん、そろそろ離してあげてくれるかな?朝雪が窒息死するから」
「あらやだぁ、御免なさいねぇ?」
「ぷはぁっ」

頬に当たる感触は最高なのですけれども、コメちゃんの胸はちょっとした凶器であると思います。ですが、Aカップの私には非常に羨ましい代物で御座います。
アルバイトの店員さんの目が、こっそりコメちゃんの胸を見ていることには気が付いていない振りを致しましょう。大丈夫です、男性でしたら誰しもコメちゃんの胸に目がいってしまうでしょうから!私もつい目がいきますし!
――矢張り、クィンも胸が大きな女性が好みだったりするのでしょうか?いえいえ、そんなことより、お昼御飯です、ええ!

「美味しそうなの食べてるわねぇ。でもこれ、うちの店のメニューにはないわよねぇ」
「アイルランド料理だよ。僕が作ったんだ。まだ残ってるから、良ければコメちゃんも食べる?」
「勿論頂くわぁ♥キューちゃんの手料理は美味しいものぉ♥あぁ、そうそう。ひさ兄、エスプレッソ淹れてぇ~濃いのぉ~」
「おう、待ってろ~。苦~~~いの淹れてやるよ」

席を立ったクィンがキッチンに姿を消して、恒さんが真剣な顔をしてエスプレッソコーヒーを淹れ始めると、俄かに静寂が訪れます。
私はふと、或る方の存在を思い出しました。クィンとコメちゃんが揃っているということは、もう一方いらっしゃるのではないかと。

「燎くんは、今日はいらっしゃらないのですか?」
「あぁ、ダメ犬?ダメ犬はねぇ、今日はお散歩してると思うわぁ。鼻が利くからぁ♥」
「?」

コメちゃん、難解です。

「燎はあれでも社会人でして、今日は仕事です。ですから、いつも三人でつるんでいる訳ではないんですよ。僕は此処にアルバイトに来るので、概ねコメちゃんと顔を合わせていますけれどね」

首を傾げていると、キッチンから戻ってきたクィンがコメちゃんの前に料理を並べながら、苦笑気味に教えてくださいました。どうやら、会話が聞こえていたようです。

「私も一応社会人よぉ?仕事柄、家に引き篭もりがちだけれどねぇ」

三人とも大学院生だと思っていたのですが、そうではなかったようです。それにしましても、コメちゃん曰く引き篭もりがちなお仕事とは一体何なのでしょうか?

「んふふ、不思議そうな顔をしちゃってかぁわいい♥私はね、ロリータ服専門店でお針子をしているのよぉ。それでね、今はオーダーメイドのロリータ服を作っているから、作業に専念したくて家に引き篭もっているのぉ♥」

興味があったらお店に遊びに来てね、と、胸元から取り出された名刺を頂きました。

「ロリータ服……」
「見たことなぁい?」
「いえ、何度か見かけたことがあります」

以前に、お父さんの会社とお付き合いのあった会社の社長令嬢の方がそのような服装でお屋敷にいらっしゃったことがあります。それに、馨に連れられてお洋服を買いに行った時も、何人かロリータ服をお召しになられた方を見かけましたし。

「お人形さんが着るような、可愛らしいお洋服ですよね?」

そう申し上げますと、コメちゃんは婀娜っぽい微笑を浮かべて、頷かれました。その表情を見た私は、コメちゃんは妖艶という言葉が良く似合う大人の女性だなと思いまして、暫し見惚れてしまいました。
私は中学生に間違えられてしまうほど――間違えられたことを根に持っているわけではありません――幼い外見をしているようですので、彼女が羨ましく思えてなりません。
御免なさい、コメちゃん。

クィンの手料理を美味しく頂きつつ、楽しいお喋りをしていますと、あっという間にクィンの休憩時間が終わってしまい、彼はお仕事に戻っていきました。
コメちゃんの玩具になりつつ、恒さんに何故だか心配されつつ、食後にすっかり冷めてしまったココアの残りを飲んでいると、少し離れたところから女性の声が聞こえてきました。

「ねえ、お兄さん。お店が終わったら、飲みに行きませんかぁ?」
「すみません。僕はアルコールに弱いので、お断りさせて頂きます」

身体を捻って、其方へと目を向けますと、案の定クィンが女性客の一人に逆ナンパ?をされていました。レジ台に立つ彼を口説いていらっしゃるのは、女子大生と思われる年頃の女性です。

「あいつさぁ、ウィスキーにテキーラに焼酎に日本酒ちゃんぽんしてケロッとしてたよな?ウォッカを水と同じ扱いしてたよな?」
「ひさ兄、余計なこと言っちゃ駄目よぉ。キューちゃんは今、下戸なのよ。ウワバミじゃないのよ」
「……ああ、うん、そう。兄ちゃんなぁ、お前とあいつがよく分からない」

恒さんが遠い目をしているのを余所に、私は二人の会話に聞き耳を立てております。気分は覗き見をしてしまう家政婦のようです。

「じゃあ、飲みに行かなくても良いです。暇な日を教えてくださいよぉ~。一度で良いので、付き合って欲しいんですぅ~」

上目遣いでクィンを見上げて、猫撫で声でお願いをするその女性に、私はむっとします。
相手がお客さんなので強く出れないでいる彼にも、申し訳ないのですけれど、むっとします。

「僕は恋人がいますので諦めてください。仕事がありますので、失礼致します……」
「えぇ~、恋人がいても良いですからぁ~」

いえいえいえいえいえいえいえいえ、良くはないですよね?ね!?
思わずそう突っ込みかけた私の視線の先で、その女性は会釈をしてその場から離れようとした彼の腕にしがみ付きました。それを見た瞬間、ぷつん、と何かが切れる音が聞こえたような気がしました。

「……恒さん、此方のお会計は……」
「え!?えっと、うん、キューが充分に働いてくれてるから払わなくても良いよ!」

何故、恒さんは私に脅えていらっしゃるのでしょうか?コメちゃんも、何故だか驚いたような顔をしていらっしゃいますし。
まあ、そんなことは良いです。ええ。
カウンター席から離れて、衝動の突き動かすままに足を動かして近寄り、私は無言でクィンの腕から女性客を引き剥がしました。彼女は一瞬怯みましたが、直ぐに眉根を寄せて、不満を口に出してきます。

「ちょっとあんた、いきなり何するのよ?」
「申し訳ないのですが、彼のことは諦めて頂けませんでしょうか?この人は私のです、あげませんっ」
「――え?」
「「あ」」

胸倉を掴んで高いところにある彼の顔を引き寄せて、私はクィンの口を自分のそれで塞ぎました。勢いをつけすぎたのか、唇と唇がぶつかってしまって、少々痛かったです。
突然のことに驚いて目を瞠っているクィンのことを放置して、私はいつも彼にされているようなキスを思い出しながら、そのようにしました。
暫くしてから唇を離すと、二人を繋いでいた銀糸が名残惜しそうにぷつんと切れます。

「――ふぅ……こういうことですので。それから、彼の仕事の邪魔をしないで頂けますでしょうか?」
「は、はい……」

彼女は顔を真っ赤にして、首を縦に振ってくださいました。クィンは目を瞠ったまま口元に手をやり、動きません。よく見てみると、顔が赤いです。

「分かって頂けたのでしたら、結構です。お騒がせ致しまして、大変申し訳ありませんでした。失礼致します」

店主である恒さんに向かって一礼をしてから、私はお店を後にしました。
暫くの間は普段通りの歩調で歩いていたのですけれど、外の冷たい空気に触れたことで段々と頭が冷やされていくと共に速度が上がり、最終的には駆け足で駅を目指していました。

それからは、どのようにしてアパートまで帰ってきたのか、全く覚えがありません。気が付けば、私は玄関の鍵を閉めて靴を脱ぎ、リビングを通り過ぎて寝室へ向かい、ベッドの上に
――私は、何てことをしてしまったのでしょう……!
女の人がクィンを口説いたりすることが気に入らなくて腹を立てたり、嫉妬をしたりしたことはありましたけれども、特に何か行動を起こすことはありませんでした。ですが今回は、公衆の面前で見せ付けるように彼の唇を奪ってしまうという奇行をしでかしました。
こんなことは初めてです。と言いますか、自分からキスをしたのが初めてです。恥ずかしいです。
然し私よりも恥ずかしい思いをしたのは、クィンです。きっと、あのお客さんや店主の恒さんに叱られてしまっていることでしょう。叱られてしまわない方が不思議です。
ああ、取り返しのつかないことをしてしまいました……!
テスト勉強のことなど綺麗に忘れ去り――平然と勉強が出来ている方がおかしいかもしれません――どうしよう、どうしようとぐるぐる頭の中で考え続けますが、良案は一向に思い浮かんできてはくれません。
恥ずかしい目に遭わせて、恥ずかしい思いをさせてしまったのです。流石のクィンも今回ばかりは、きっと怒っていると思います。
謝らなければ、と思うのですが、どう謝ったら良いのでしょう。謝ることが出来たとしても、許しては貰えないかもしれません。
そうなってしまうことが怖くなって、悲しくなって、ボロボロと涙が零れ落ちていきました。

「う……ふえぇぇ……」

肩を震わせてしゃくり上げていると、次第に息が苦しくなってきます。呼吸を整えようとしますが、なかなか上手くいかず、涙が余計に溢れ出てきます。
そうして泣いているうちに、疲れてきたのか、私はいつの間にか眠りに落ちてしまっていたのでした。
――存外、神経が図太いのやもしれません。