貴方はわんこ。貴女はにゃんこ。

馨とアレキサンダー

元・”子守”の美貌の外人に捕まり、同居をするようになって二週間ほどが経過した日の朝。
少し草臥れた運動靴を履いて、着古された制服を着て、使い古された鞄を手にした私は、何やら物言いたげな表情を浮かべている同居人の武藤さんに挨拶をして家を出ます。
アパートに備え付けられている居住者用の駐車場の脇を通り過ぎようとすると、大家の絹子(きぬこ)さんに出会いました。朝早くからアパートの周囲のお掃除をされていたようで、手には箒と塵取りを持たれていました。ご苦労様です。

「あら、おはよう朝雪ちゃん。今日から学校?」
「おはよう御座います、絹子さん。ええ、今日から通うことになっているんです」

私が着ている制服と手にしている鞄は、絹子さんから頂きました。今年の春に転入先の高校を卒業したお孫さんが使われていたものを譲って頂いたのです。
武藤さんが「制服と鞄を買うお金はありますから」と言ってきかなかったのですが、私も私で「お金を節約出来るのであればお古で結構です」と言い張り、丁度その場にいた絹子さんに宥められてしまったものです。

「うーん、どうにも制服がぶかぶかねぇ。うちの孫そんなに背が高くないから良いかと思ったんだけど、朝雪ちゃんには大きかったみたいね。クィンちゃんが買うって言ってくれてたんだから、買った方が良かったんじゃない?」
「いえ、大丈夫です。あと一年と数ヶ月しか通わないのですから、新しく制服を買うのは勿体無い気がしまして……。絹子さんにお古を頂けて、とても感謝しています」

絹子さんのお孫さんの身長は大体158cmくらいだそうで、153cmの私と5cmしか差がないのならば大丈夫だろうと思っていましたが、彼女と私には決定的な差がありました。
――胸囲です。想像するに絹子さんのお孫さんはCカップ、私はAカップ。この差は、大きかった……!
然し、私は成長期は未だぎりぎり終わっていないと信じています。ですので、高校を卒業するまでには夢の160cmを越え、Bカップへと成長を遂げる予定です。
――予定です。

「そう言ってくれるなら、有難いわ。それじゃあ、いってらっしゃい!気をつけてね!」
「はい、行って参ります!」

武藤さんとは違って、にこにこと人の良い笑顔を浮かべる絹子さんに見送られて、私は通学路となる道を歩いていきます。

転入先の高校へと到着したので、職員室へと向かいます。学年主任の先生に挨拶をしてから、今度はクラスの担任の先生の許へ。

「おう、おはようさん。2年A組の担任をしている荒木だ、宜しくな!」
「おはよう御座います。今日からお世話になります、巽です」

武藤さんよりも更に背の高い荒木先生は、とてもがたいの良い方です。例えるのなら、人語を解するゴリラ……いえ、失礼ですね、申し訳ないです。私はてっきり体育の先生だと思ってしまったのですが、荒木先生は世界史と日本史の先生なのだとか。見た目で判断してはいけないとは、このことですね。

「そういえば、今日は一人で来たのか?」
「はい、そうですが……?」
「そうか。巽の転入初日だからなぁ、保護者だっていう、あの無駄に麗しいニイサンと一緒に来るかと思ってたんだが……」

教室へと向かう途中、徐に振り返った荒木先生がそんなことを仰いました。そして私は”あること”を思い出し、表情を曇らせます。

「学校説明や編入試験の時のようなことがあっては、学校に迷惑がかかると思いまして」

ですので、今朝はついてこようとする武藤さんを説得するのに苦労しました。それにしても何故にあの人はついてこようとしたのでしょうか、謎です。未だ朝というのに、既に疲れています。

「いやぁ、大変なのはあのニイサンの方だろう。……いつも”ああ”なのか?」
「そうですね、大体”ああ”なりますね」
「ふぅん、そうかそうか。……ほれ、教室に着いたぞー」

黄色い声を上げて群がる女子高生と女性教師の姿を思い出してしまったのか、荒木先生渇いた笑いを浮かべておられました。

「おーう、おっはよーうさーん!このクラスに転入生が来たから紹介するぞー!ほい、黒板に自分の名前を書いて、簡単に自己紹介をしてくれ」
「畏まりました」

白のチョークを受け取り、背伸びをしながら黒板に大きめの文字で名前を書きます。手をついた粉を軽く払い、簡潔に自己紹介をしてから深々と一礼をすると、何故だかクラスの皆さんは唖然としていました。
――あら?若しかして、やり方を間違えてしまったのでしょうか?

「そんな馬鹿丁寧にやらんでも大丈夫だぞ、巽」

横を見ると、荒木先生が腕を組んで苦笑いを浮かべていました。
馬鹿丁寧なのでしょうか?
以前通っていた高校では、これが普通だったのですが……高校が変わるだけで随分とやり方が異なるのですね、勉強になりました。

「巽の席は、窓際の空いてる席な?波多野〜、教科書が揃うまで巽に見せてやってくれ〜」
「はーい、了解でーす」

陽気に大きく手を振るボブカットの女子生徒の隣が、私の席だそうです。クラスメイトの転入生に対する好奇の視線を受けながら其処に辿り着くと、彼女は早速自己紹介をしてくれました。

「あたし、波多野(けい)っていうの。宜しくね?因みに、一時限目の授業は数学だよ」
「此方の方こそ、宜しく御願い致します」

こうしてホームルームが終了し、短い休憩を挟むと、一時限目の授業が始まりました。

休憩の都度、好奇心旺盛な女生徒に囲まれては質問攻めに遭います。内容は主に武藤さんのことです。
何度も言いますが、あの人はただの保護者です――あまり納得してはおりませんが。恋人でも何でもないのです。寧ろ、あの人が恋人を作ってくれないかと祈っているくらいです。
ああ、申し訳ないけれど疲れます――。
そうしているうちに午前中の授業が全て終了し、待ちかねたお昼の時間がやって参りました。慣れない環境で気を張っているせいでしょうか、普段以上にお腹が空いていて、微かにフラフラします。
ゆっくりとお弁当を食べたいなぁなんて思っておりますと、またしても女生徒に囲まれてしまいました。今度は何を聞かれるのでしょうか。え?武藤さんのスリーサイズ?いえ、身長は知っていますが、そこまでは存じ上げません。といいますか、そんなことを訊いて皆さんは何をなさるつもりなのでしょうか?
空腹が限界を超えようとした時、隣の席の波多野さんに肩を軽く叩かれました。

「あのさ。お昼の時間を利用して学校の中を案内してやれってアレキサンダーに頼まれたんだけど……どうする?」

その言葉を聞いた瞬間、波多野さんに後光が差しているように見えてしまいました。逃げるチャンスはいまだと、私は藁にも縋る思いで彼女の手を両手で力強く握り締めていました。

「是非とも、御願い致します……!」

私を取り囲む女生徒の方々に一言詫びてから、お弁当箱を抱えて波多野さんにつれられて、教室を後にします。御免なさい、女性の方独特のあの雰囲気が苦手なのです――。

波多野さんに連れていかれたのは、音楽室とか理科室とかではなくて、お昼時だけ開放されている屋上でした。私たちの他にも、幾人かの生徒たちがいて、お昼を食べたりしていました。
首を傾げていると、出入り口付近の日陰になっているところに腰を下ろした波多野さんに隣に座るように促されます。

「此処なら、静かだよ。ご飯がゆっくり食べられるからね」
「え?」
「あれ?クラスの女子に質問攻めにされて困ってるように見えたから助け舟を出したつもりだったんだけど……あたしの勘違いだったか。ごめんごめん」

考えていることが分かり辛いと定評のある私ですので、きっと誰にも内心を悟られてはいないだろうと思い込んでいたのですが、波多野さんには見抜かれてしまっていたようです。それが、何故だかとても嬉しく感じました。

「いいえ、助かりました。有難う御座います」
「いやあ、どういたしまして。そうそう、クラスメイトなんだから敬語じゃなくても良いよ?」
「ああ、すみません……。この話し方は癖になってしまっているといいますか……」

大人に囲まれて育ったということもありますが、通っていた小学校、中学校、高校が日常的に敬語を使う環境でしたので、公私関係なく敬語を使ってしまうのです。くだけた話し方というのがいまいちよく分からないのだと説明すると、彼女は納得してくれました。

「そっかぁ。じゃあ、あたしも敬語使った方が良い?」
「いえ、波多野さんはそのままで」
「ん、分かった。それでさ、あたしのことは馨って呼んでよ。名前で呼ばれる方が好きなんだ」

クラスメイトを苗字で呼ぶ方のが慣れているのでですが、折角の申し出ですので受け入れることにします。

「分かりました、馨さん」
「馨、で。さん付けはなしね?」

難易度が高いです、馨さん。

「……努力します。それでは、私のことも朝雪、と」
「努力がいるんだ……。じゃあ、お言葉に甘えて朝雪って呼ばせてもらうね!さ、ご飯食べよ!もうぺっこぺこだよぉ〜!」
「はい」

馨さん――いえ、馨は人懐っこい方のようで、またそれが嫌味ではなく、人見知りが激しい私も警戒しないでいられます。彼女と接しているのは、とても心地良いです。
武藤さんに持たせて頂いた弁当箱を広げると、馨は目を丸くしました。

「二段重ねの重箱にご飯とおかずがぎっしり……。朝雪って見た目に反してがっつり食べるんだね?ちっちゃくて可愛いのに」

可愛い?可愛げがないと言われる私がですか?馨……若しかして目が悪いのでは……?
そういう彼女はすらっとした背の高い人です。170cm近いのではないでしょうか?私も彼女くらいの身長が欲しいのですが、現実は厳しいです。あんなに牛乳を飲んだのに……。

「消化が早いのかな?あ、その卵焼き美味しそうだね。あたしのおかずあげるから、一つ貰っても良い?」
「ええ、どうぞ」
「サンキュー♪」

シラス入りの卵焼きを一つ口に放り込むと、馨はじっくりと味わってから顔を綻ばせました。

「んん〜、絶妙な塩加減とシラスの入り具合……美味しい。あ、こっちもどーぞどーぞ」
「頂きます」

差し出された弁当箱の中から、アスパラのベーコン巻きを一つ頂きました。

「美味しいです」
「ありがと!あたし、お弁当自分で作ってるんだ。だからね、美味しいって褒めて貰えると嬉しい」

馨の両親は共働きであまり家にはおらず、更には下に三人ほど弟妹がいるので、彼らの面倒を見ているうちに自然と料理が出来るようになったのだとそうです。凝ったものは作れないけどね、と、照れくさそうにはにかみながら彼女は言いました。

「……私は卵焼きも碌に作れないので、馨が羨ましいです。このお弁当は同居人が作ってくださったものですし……」
「同居人っていうと……ああ、例の保護者だっていう麗しい外人のオニイサン?」

荒木先生に引き続き、馨も『麗しい』という言葉を……。
どうやら、私以外の人に目には武藤さんはそのように見えるようです。

「ええ、その方です」
「見目麗しい上に料理も出来る男の人って、現実にいるんだねぇ。ドラマとか漫画の中だけだと思ってたよ」
「家事が趣味なのだと言っていました、同居人は」

料理だけではなく、彼は裁縫も出来るのです。この制服の裾直しをしてくれたのは彼なのですが、まさか一人暮らしの男性の家にミシンがあるとは……。

「……朝雪の同居人は……主夫なの?」
「……主夫といっても過言ではないと思います」

私たちは胡乱気な表情をして顔を見合わせると、どちらからともなく笑ってしまいました。その時、私はふと、あることを思い出しました。

「ところで。一つ尋ねたいことがあるのですが……」
「うん?」
「アレキサンダー、とは何方のことですか?」

この場所へと連れてきて貰う前に馨が言っていました――アレキサンダーに頼まれたのだと。この学校に外国人の先生はいらっしゃいましたでしょうか?

「うちのクラスの担任のことだけど?」

食後のデザートだという小さな鯛焼きを頬張りながら、馨はあっけらかんと答えてくれました。その際に、私も一つ鯛焼きを頂きます。中身は餡子ではなく、甘さ控えめのカスタードクリームでした。美味しいです。

「荒木先生ですか。……何故にアレキサンダーなのですか?先生は日本人、ですよね?」

確かに日本人離れした身長と体格をなさっておいでですが。

「んとね、荒木三太(さんた)っていうのよ、あの人」

荒木三太、を何回か言ってみてと馨が言ったので、早速試してみます。

「荒木三太、アラキサンタ、アラキサンター、アレキサンダー……成程。上手いこと考えられている渾名ですね」
「でしょ?あたしが考えたの。だって、アレキサンダーって可愛いんだもん」

と宣った彼女は、とてもイイ顔をしていました。

――放課後。
ホームルームが終了すると、アレキサンダーもとい荒木先生が私たちの許へとやって来ました。

「お前たち、一日で随分と仲良くなってるな。うん、良いことだぞ」

バスケットボールも楽々握れそうなほど大きな手で、私と馨の頭を聊か乱暴に撫でる荒木先生は、がははと豪快に笑います。
――あら?馨の顔が少し赤いような――?

「あの、どうかされましたか、先生?」
「ああ、うん。二年生のこの時期になると、進学を考えて部活を辞めるヤツもいたりするからなぁと思うんだが。一応、どの部活に入りたいかとか訊いておこうかと思ってな。俺は知らなかったんだが、以前の学校では剣道部に所属していて、なかなかの成績を残してるらしいな、巽は?この学校にも剣道部はあるぞ、入るか?」

自慢するようで気が引けるのですが、都の剣道大会では何度か個人戦で優勝をしたことがあるのは確かです。

「へ〜、朝雪って剣道やってるんだ?ちょっと意外。あたしはね、歴史研究部に入ってるんだ」
「古代ギリシア、ローマ史オタクだもんな」
「オタク言うな、アレキサンダー!」
「はははっ」

じゃれあう馨とアレキサンダーを見ていると、和みます。仲が良いのですね、お二人は。

「入れるのでしたら、是非とも剣道部に」
「ん、分かった。じゃあ、剣道部の顧問にはそう話しておくな。この後用事がないなら、見学に行ってみると良い。場所は第二体育館の一階だ」
「分かりました。有難う御座います、アレキサンダ……いえ、荒木先生」
「ははっ、アレキサンダーでも良いぞ。其処にいるヤツのせいで言われ慣れてるからな。それじゃあな〜」

荒木先生はひらひらと手を振りながら、のっしのっしと歩いて教室を後にされました。

「仲が宜しいんですね、馨と荒木先生は」
「き、気のせいだって!あ、第二体育館の場所は分かる?分からないんだったら、連れて行ってあげるよ?」
「では、案内して頂けますか?」
「了解!」

馨に連れられて剣道部の練習場へと向かうと、私の名前を存じている方がいらっしゃいまして、何故だか大歓迎されました。「これでうちの剣道部も強くなる…・・・!」と主将の方が涙を流したので、吃驚してしまいました。
一時間ほど練習を見学させて頂いた後に、私は下校しました。
防具と竹刀があるなら明日からでも練習に参加しても良いと主将の方と顧問の先生に許可を頂きましたので、また剣道が出来るのだという期待に胸を膨らませながら、防具の手入れをし始めます。

久し振りに竹刀を思う存分に振り回せるなんて……幸せです。