Post nubila Phoebus

蝕むものの正体 ―魔法と呪術―

ソウシを巡って一通り争った一部の人間たちは険悪な雰囲気を漂わせながら、その争いに参加しなかった者たちは呆れ果てながら、一行はイラクリオンへと戻ってきた。
迷宮での戦闘で疲れは溜まっていたが、不思議と眠気が襲ってこないので、彼らは自然と宿の一室に集まる。

ベッドの端に腰を掛けると、シリウスは眠たげな目でコガネを捉え、話しかけた。
「あの、ね。ソウシから少~~し話は聞いてる、よ。コガネ、君はリギィが身体を奪っちゃってる、あの女の子を助けたいんだって、ね?」
その術を求めて生まれ育った町、国を出て、漸く此処まで辿り着いて、目的の人物――シリウスを見つけることが出来た。
これでマシロを救うことが出来るのだと思うと、コガネの胸は期待で一杯になり、心なしか鼓動も早くなっている。
「いきなりで悪いと、重々思ってる。だけど、俺にはシリウスの力が必要なんだ。御願いだ、マシロを……助けてください……!」
迷宮の中で、シリウスが「ソウシと約束したから」と言って、リゲルの誘いを断っていたことは覚えている。コガネの願いを叶えてくれるのだろうとは分かっているが、やはり自分の口から伝えなければと思い、コガネは最敬礼でシリウスに懇願した――精一杯、自分の気持ちを込めて。
「うん、そのつもりだから、別に改めて言わなくても良い、よ」
そうでなければ、此処までくっついて来ないから。
しれっとした表情で言い返されてしまい、コガネは固まった。
「……すいません」
そんなことはどうでもいい。
そう言われたような気がして、コガネは意気消沈した。
「ちゃんと自分で言った方が良いって判断したから、コイツはこうしたんだよ。気持ちの問題だってーの、この馬鹿っ!」
少しは他人の気持ちを考えて発言しろ。
ソウシの鉄拳が脳天に振り下ろされ、シリウスはジンジンと鈍く痛む頭頂部を両手で押さえ、悶絶する羽目になったのだった。

(……デミウルゴスって言っても、リゲルとは随分と醸し出す雰囲気とか、その他諸々が違うわよね、このカイワレ大根)
(あっちは物凄~く高飛車で人間のことを見下してるからね。ていうか、カイワレ大根決定なんだ、アレ)
どの辺りが『カイワレ大根』なのかと尋ねてみれば、「病的なほど色白で、背が高い割には細すぎるところがカイワレ大根そのものだ」と、トウカは真顔で即答した。
絶妙と微妙の紙一重と言わんばかりの彼女の感覚に、アキヒは珍しく突っ込みを入れることを忘れてしまった。

「ん~と、ね。ソウシに頼まれたからって~のが大きな要因な訳だけ、ど。実際のコガネを見てみたら、俺の嫌いな類の人間じゃないみたいだから、御願い聞いてあげても良いかな~って思ったわ、け。序でに、リギィに嫌がらせ出来る、し?」
のんびりとした口調で紡がれていた協力する気になった理由だが、最後の方には棘のある言葉が含まれていた。
(あ-、そういう理由で……)
美辞麗句を並べ立てられるよりも、馬鹿正直に本音を暴露された方が、いっそ清々しい。そんな風に思えてしまうのは、シリウスの自由人振りに毒されてきた、もとい、慣れてきた証拠なのだろうか。
(嫌がらせが出来るからって……、シリウスはどれだけリゲルが嫌いなんだろ?)
あの時、シリウスがリゲルの下へと行ってしまうのではないかと不安になったが、結果として、彼女が直々に出向いてくれたことが、彼の中の何かを刺激してくれたように思えてくる。
危うく、シリウスにそこまで嫌われているリゲルに感謝の念を抱いてしまいそうになるが、寸でのところで思い直す。
コガネはふるふると首を左右に振って、浮かんだ考えを振り払った。

***************

右手の人差し指をこめかみに当てて、忘れ去る寸前までいっていた遠い昔の記憶と少し前の記憶を確認し終えると、シリウスは徐に語り始めた。
「マシロをリゲルから解放する事は出来るっちゃ出来るんだけど、幾つか問題点があるんだよ、ね。そだな~、先ずはマシロの身に起こってる事から説明していった方が良いか、な?」

彼が言うには、マシロには魔法と呪術の両方がかけられているのだそうだ。
魔法の方は『永久に眠るエンデュミオン』と呼ばれており、それは魂と身体を繋ぐ『楔』のようなものを強制的に断ち切り、同調者を『魂の抜け殻』のようにしてしまう効果を持っている。
魔法をかけられたことで『魂の抜け殻』となってしまった同調者の身体と、デミウルゴスの魂を繋ぐ楔を作り出す呪術――『ピグマリオン』を使って、リゲルはマシロの身体を乗っ取り、我が物のように扱っている。

「魔法で魂と身体を繋ぐ楔が断ち切られても、その同調者の魂が消滅してしまうことはない、よ。ちゃんと、身体の中に存在はしてるんだよ、ね。ただ、同調者の魂は魔法の所為で強制的に眠らされてるから、見た目は植物状態みたいになってるけ、ど。魔法と呪術が解除されない限り、同調者は永遠の眠りについて、る」
シリウスの説明を静かに聞いていた、ふと、コガネは違和感を感じた。彼の説明に出てきた事と、マシロに起こっていた事に食い違っている点があるのだ。
「えっと、マシロは一度、リゲルから身体を奪い返してるんだ。それから暫くは……マシロだった」
――アテナイで、ハゼが襲撃を掛けてくるまでは。
恨みがましく一瞥をくれてやると、襲撃の張本人は他人事のようににっこりと微笑んだ。
「……そうな、の?同調者の魂が眠りにつき難かったりした事はあったけど、デミウルゴスの魂を押しのけて身体を奪い返すことはなかった、よ?」
前代未聞の出来事が起こっていたのか。
眠たげだったシリウスの目に、僅かに変化が現れる。コガネの言った事が、彼の好奇心を刺激したのだろうか。
「これはあくまで、推測でしかないから、ね?」
そう前置きをして、シリウスは推論を語る。
『永久に眠るエンデュミオン』、『ピグマリオン』は共に強力無比な魔法と呪術であるが、実のところ、同調者とより繋がりやすくなるように改良されているので、人間にはかかり難い代物なのだという。
今の時代に、『純粋な同調者』が存在しているとは到底考えられない。
故に、マシロは『同調者の資格を持つ先祖返りをした人間』ということになるだろう。
つまり、マシロが一度リゲルから身体を奪い返すことが出来た要因は、マシロが『同調者の資格を持つ先祖返りをした人間』であった事が大きく関わっているからではないだろうか。
――というのが、シリウスが今考え付いた一つの可能性だ。
「何せ遠い昔のことだから間違えているかもしれない、よ。だから、この話はあんまり信用しないで、ね」
詳しいことは実際に調べてみないと分からないので、確実ではないと付け加える。久し振りに多めに喋ったので疲れたと、彼は軽く息を吐く。

「んで?その二つを解除すんのは問題ないんだろ?何と何と何が問題だってんだよ?」
シリウスの説明では上手く理解出来なかったのか、気の短いソウシは少し苛立ちを見せる。
「君たちは知ってるで、しょ?リギィはテレポーテーションが使えるって。一つ目の問題は、テレポーテーションで逃げられないように何かで捕まえるこ、と」
「何かって何さ」
捕まえると簡単に言うが、テレポーテーションを自由自在に扱えるデミウルゴスをどのようにして捕まえるというのか。道具を使うのか、魔法や呪術を使うのか、詳細をはっきり言えと、アキヒがじろりとシリウスを睨みつける。
「まあ、要するに罠だ、ね」
「罠、ねぇ……」
幾ら頭を捻ってみても、あのリゲルを捕らえられるような罠というものが一向に思い浮かんでこない。
相手が鳥や鹿、猪であれば、捕獲用の罠は簡単に考えられるのに。
考えれば考えるほど、トウカの論点は少しずつずれていった。

「二つ目、ね。リギィを捕まえて、マシロにかけられている魔法と呪術を解除したとしても、それだけじゃ駄目で、す」
そうしたとしても、リゲルは直ぐにでも例の方法でマシロの身体を奪い直すだろう。そうなると、解除と奪取の鼬ごっこを繰り広げる羽目になる。
「一時的にリギィの魂を閉じ込める何かが必要な訳です、ね」
「二回目なんだけど、『何か』って」
「ええと、具体的にはどういったものが好ましいのかしら?」
半眼になったアキヒが突っ込みを入れ、トキワが困った顔をしながら質問をした。
「ん~~~、そうだ、なぁ……」
例として挙げるならば、携帯用の『アルゴスの目』のように水晶などに呪術を施したもの、とでも言ったら良いだろうか。
「ま、そんな感じで」
「どんな感じよ……」
今度は、トウカが半眼になって突っ込みを入れた。

***************

「あー、問題ってのは、その二つだけか?」
脳内の情報解析回路が限界に近付いてきたので、シリウスに確認の言葉を投げかけることでフル稼働させ続けた頭を冷却させようと、ソウシは試みる。
「ん~ん。三つ目、リギィをもう一度封印する場所が欲し、い。出来れば、カスタリアの泉級の、ね」
「あの、さ。前から気になってたんだけど……訊いても良いか?」
コガネが尋ねてみると、シリウスはゆっくりと首を縦に振った。
「どうしてリゲルを『泉』に封印したんだ?何て言ったら良いのかな……泉には、そんな事が出来る特殊な力とかがあるのか?」
コガネにとって泉とは、『水のある所』でしかない。然し、シリウスにとってはそうではないらしい。
――泉には何か秘密でもあるのか。
そう疑問に思ったコガネは、思い切って質問をぶつけてみた。
何も知らないのか、と馬鹿にされるかもしれない。言い切った後に多少心配してしまったが、シリウスは笑い飛ばしたり、コガネを馬鹿にしたりすることはなく、至って真面目な様子で解説を始めてくれた。
――ただし、彼独特の調子で。

世界中にある神殿や遺跡、そして伝説や逸話などが残されている場所や物には、共通点がある。
「自然の不っ思議ぃ~な力、便宜上『霊力』って呼ぶ、ね。それがね、集まりやすいんだ、よ」
地中、空中を河川のように流れている霊力が集結しやすい場所――『集結地点』には、神殿が建てられていることが多い。また、泉や湖の場合は、特殊な効果を齎す『霊水』という形で現れていることもある。
数多く存在する『集結地点』の中でも、カスタリアの泉は一、二を争うほどの場所だ。その証拠に、神代から蓄積され続けてきた霊力が溶け込んだ泉の水には、神憑り的な治癒効果が齎されていた。
(ということは、カスタリアの泉のあの噂は、単なる迷信じゃなかったのか……)
カスタリアの泉の水には、御利益がある。遠い昔はそうだったのだと知り、コガネは仄かに感動した。
「デミウルゴスの力ってのは厄介で、ね。その辺に適当に閉じ込めたとしても、直~ぐ破られちゃう、の。だからね、そんな事が出来ないようにしろって言われて、考えまくったんだよ、ね。三分くら、い」
「三分は、考えまくったに入らないから」
冷たい目をしたアキヒが、冷たい声で突っ込みを入れた。
「そうな、の?残念、残念だ、ね。えっとね、まあ、とりあえずは考えた訳で、す」
不老不死のデミウルゴスを殺すことは出来ないので、未来永劫何処かへ閉じ込めるとなると、途方もない膨大な量の力を要することは容易に考えられる。
兎に角封印をして、定期的に封印の力の補充や呪術の点検を行う、という手段もあったが、それを面倒臭がったシリウスは別の手段を思いついたのだった。
――霊力の集結地点には、神代から蓄積され続けてきた尋常ではない量の霊力、且つ永続的に流れ込んでくる霊力がある。
集結地点の利点と作用を上手く利用出来ないかと考えたシリウスは、見事にそれらを活用出来る術を生み出すことに成功した――五分くらいで。
「本来ならその場に蓄積され続けるだけの霊力の流れを封印に向かわせて、半永久的に霊力を供給出来る呪術を作り出して、カスタリアの泉に呪術をかけて、元々溜まってた霊力を使って、リギィを泉に封印し、た」
同じような方法を用いて、ベテルギウスもまた、トラキア地方にさるサモトラケ島のニケ神殿の石像に封印した。
「……大人しくしていろって言っても、リギィもベータも大人しくしてくれるわけがないのは分かりきってるから、話し合いをしたりするよりも封印した方が都合が良いんだ、よ。君たちにとっても、袂を分かった側のデミウルゴスにとっても、ね。その方が安全だよ、君たちが生きている間の話だけ、ど」
過ぎ去りし日々の光景を思い出しているのか、それとも単に眠いのか。シリウスは、ぼーっと虚空を見つめる。

「簡単に言うけどさ、僕たちは霊力の集結地点……あ、そっか、神殿とかなんだっけ。それは知ってても、強いだの弱いだのは、全く分からないんだけど?」
その事に関してはシリウスの方が詳しいのではないのか?
アキヒが問えば、「綺麗サッパリ忘れ、た」と能天気な声が返ってきた。
(殴ってやりたい、このカイワレ大根デミウルゴスを……)
ぎり、と拳を握りしめたアキヒの額に、青筋が浮かび上がる。

「カスタリアの泉には到底及びませんが、良い場所を知っていますよ」

今まで会話に口を挟んでこなかったハゼが、不意に口を開いた。
コガネたちは反射的に、ハゼの方へと顔を向ける。
「……何処だよ、それ?」
良からぬ事を企んでいるのはないだろうな?
ソウシが鋭い目でハゼを射抜くと、彼は大袈裟に肩を竦めてみせた。
「ヘリコン山にある、『ヒッポクレネーの泉』は如何でしょうか?」
「ん~、悪くはない、ね。誰かに使われていないんだったら、あそこの霊力の蓄積量は大したものだ、よ」
「そして、あの山は学芸の女神たち『ムサ』の聖地として崇められているので、人間が立ち入ることは少なく、第三者に封印を破られてしまう可能性も低い」
もっとも、今を生きる人間にシリウスが作り出した封印呪術を破る技術はないが、と、彼は付け加える。
「ヘリコン山……ああ、ボイオティア地方にある山だな。リゲルとベテルギウスが潜伏してる王都アテナイから、馬車使って……そんなに遠くはないな」
一時的にリゲルを閉じ込める事に成功したとして、封印する場所に移動するまでに時間がかかり過ぎてしまっては問題だ。その事を踏まえて考えると、ヘリコン山は地理的に然程問題はないはずだと、ソウシがうんうんと頷く。
――そうだったわ。
「ヘレネスには鉄道がないんだったわね。陸路の移動が面倒よね……」
主にアイガイア海側しか発展していないとはいえ、技術大国アシアで生まれ育ったトウカには、異国ヘレネスの常識は軽いカルチャーショックだ。
「そうね、アシアほど技術が発展しているわけではないから……。だけれど、馬車での移動も楽しいものよ?」
物は考えようというから、どうせならなるべく楽しく考えよう。
トキワの意見を耳にしたトウカは、それも一理あると納得したらしく、不平不満を言うことはなかった。
「一時的に閉じ込めるだけだけど、一週間は楽勝だ、よ。俺が押さえつけるし、ね」
シリウスが時間の保証をするというので、リゲルを封印する場所はヘリコン山のヒッポクレネーの泉に決定したのだった。

***************

「とりあえずさ、これで大まかな話は纏まったんじゃない?だったら、一度ヘレネスに戻ろうよ。相手はヘレネスにいるんだから、細かいことはあっちに戻ってから考えたり決めたりした方が良いと思うんだよね」
話し合いが一段落着くと、アキヒが提案をしてきた。
「そうだな。リゲルたちの動向を探るにしても何にしても、ヘレネスにいた方が都合が良い。……コガネ、どうする?」
自分たちは、『コガネに付いてきた』という立場の人間だ。此方で勝手に話を進めて決めてしまっては、彼の顔が立たないと考えたのだろう。ソウシは、コガネに問うた。
「うん、ヘレネスに戻ろう!」
「おっし、決まりだな!」
希望が見えたことで心の痞えが取れたのだろう、コガネに笑顔が戻る。コガネとソウシは顔を見合わせると、ハイタッチをして喜びを顕わにした。

浮き立つ一同を余所に、トキワは一人表情を曇らせていた。人差し指を顎に添えて、明後日の方向を見つめて物思いに耽っている。
「どうかしたのか、トキワ?」
彼女の様子に気がついたコガネが、ひょいっと彼女の顔を覗きこむ。すると彼女は、はっと我に返って、苦笑いを浮かべたのだった。
「あの……シリウスさんは、黎明の時代の終わりからずっと、迷宮にいたのよね?」
「えっと……」
「黎明の時だ、い?ああ、あの頃のことは、今はそう呼ばれてるん、だ?ふぅ、ん……。そうだね、リギィたちを封印して暫くしてからだけど、君たちが来るまでずっと迷宮にいた、よ。外に出ることは殆どなかった、ね」
二人の会話が耳に入ったのか、シリウス本人がトキワの質問に答えてきた。
「それならば、シリウスさんは『旅券』を持っていないのではない……かしら?」
失礼なことを言ってしまったのだったら御免なさい、と、彼女は付け加える。
「現在の世界情勢とか常識なんて、サッパリ分かんない、ね。で、旅券って、何か、な?」
シリウスは至って大真面目な顔をして、サラリと衝撃の告白をした。
――そんな重要な事は、全然全く微塵も考えてませんでした。
ハゼとトキワ、そして問題の当人を除いた全員が一斉に顔を青くする。
「ええと、旅券というものは国家間を移動する時に必要なものなの。それがないと、ヘレネスに行けないのだけれど……」
「ないよ、そんな、の」
――ですよねー。
もしかしたら、の可能性が非常に低いことは分かっていたが、「ない」とはっきりと言われてしまうと意気消沈するしかない。
一体どうしたものか。
一行は、頭を悩ませる。このままではアルカディアからシリウスをヘレネスに連れて行くことは出来ない。

「……どうするのよ?旅券がないと、カイワレ大根はヘレネスに行けないのよ?」
イラクリオンで旅券の発行を申請したとしても、発行されるまでに相当の時間を取られてしまう。然し、申請をしようにもシリウスの身分を証明する物も方法も見当たらないので、申請することも出来ない。
つまり、シリウスの旅券を手に入れることは非常に難しい。下手をすれば、シリウスが不法滞在者として逮捕されてしまうかもしれないという恐れもある。
――荷物と偽ってヘレネスに連れて行くというのは、どうだろうか?
トウカの提案は、無理にも程があると敢え無く却下されたのは言うまでもない。

「そういやぁ、リゲルはテレポ……?とかいうのを使って、移動してたよな?なあ、お前はそれ、使えねえのか?」
我ながら、素晴らしい事に気がついてしまったのではないか?
そんなことを思っているのだろうか、ソウシはかなり悦にいっている。
「出来ると言えば出来るけ、ど……。俺、単独あ~んど近距離、そうだなー、せいぜい半径100メートル以内しか、テレポーテーション使えないんだけ、ど」
ソウシの期待は、早々に打ち砕かれた。
――振り出しに戻る。

「シリウス・アイテル、貴方は『転移呪術』の設定、使用は可能ですよね?」
「勿論出来る、よ。だって、作ったのは俺だも、の。ん?『アルゴスの目』だけじゃなくて、それも未だ残ってる、の?」
そうでなければ、この男がそんなことを言ってくるわけがないか。
ハゼの問いかけを肯定した後、シリウスは怪訝そうに目を細めた。
「ええ、そうです。ですが、詳しい情報はタダでは教えられません。交換条件を飲んで頂けるのでしたら、喜んで提供させて頂きます」
「……このクレタ島にあるディクティオン洞窟に設置してるのは、知ってるけ、ど?ああ、ヘレネスとやらに残されている転移呪術のどれが起動させられていたりするか、……ってこ、と?」
「そうですね、それ以外にもありますが」
「てめえ、交換条件とか何言って……」
かっとなったソウシが前に出ようとすると、シリウスはそっと彼女を制した。
「ディクティオン洞窟の転移呪術を起動させれば、簡単に調べられる、よ。……『それ以外』とやらの方が気になる、ね。聞くだけはタダで、しょ?……交換条件は?」
「其方の用事が済んでからで結構ですので、アルタイル・クロノスの許まで御同行願います」
アルタイル・クロノス――その名は、言った側も聞いた側にも苦々し気に顔を歪ませる効果を伴っていた。
「……予め、こうなることを予測して、コガネたちに付いて来たってーところか、な?」
「さあ、それはどうでしょうね?」
マシロの身の安全の為に、目の届く範囲にいろ。
そう言われたから付いて来ただけだと、ハゼは肩を竦めながら答えた。
「この交換条件を飲んで頂けるのでしたら、リゲル・プラクシディケ封印に協力、そして役立つであろう情報の提供などをさせて頂きます。さて、どうなさいますか、シリウス・アイテル?」
「約束は守る……いや、守れるんだろう、ね?アルタは約束を守らないし、守る気さえないことが多いんだけ、ど?」
「アルタイル・クロノスはどうだか知りませんが、俺は約束は守ります」
アルタイルと一緒にするな、とでも言いたげなハゼに、シリウスは軽く息を吐いた。
「あ、そ、う。じゃあ、良い、よ。条件を飲んで、も」
もう少しごねるだろうと考えていたのだが、意外な事にシリウスがアッサリと交換条件を承諾したので、ハゼは内心驚いた。
「まあ、アルタに問い質したい事が幾つか出来てきたのは事実だし、だけどもアルタに良いように利用されるだろうなってことも分かってるから、果てしなく腹が立つことこの上ない気もするけ、ど。……承諾しないと何するか分かんないし、ね。君、が」
あのアルタイルが手足として使っている人間のことだ、可愛げがあるどころか、まともなはずがない。
シリウスの眠たげな目が、僅かに鋭さを帯びる。
「例えば?」
「ん~、そうだ、ね。貴方のお気に入りのソウシさんを目の前で殺っちゃいますよ、とか平然と言いそうだよ、ね。ていうか、仮に俺が、別の方法使うから~とか言おうものなら、確実にやるで、しょ?」
何か間違っていることでも言っているか、と問えば、彼は肯定とも否定ともとれない笑みを浮かべるだけだった。
「条件飲んであげるんだから、俺の出す条件も飲んでくれないか、な?別に難しいことじゃないから、大丈夫だ、よ?」
「そうなのでしたら、構いませんよ。何でしょう?」
シリウスは意味深長な笑みを浮かべて、こう言った。
「前髪の下、見せてくれないか、な?ちょっと確認したいことがあるんだよ、ね」
その下がどうなっているのかは大体想像がついている。然し、実際に目の当たりにしたいと思ったので、シリウスはそんな条件を出したのだった。
「……承りました」
呆れたように長い溜め息を吐いてから、暖簾のようになっている黄櫨染色の長い前髪を面倒臭そうに片手でかき上げた。