Post nubila Phoebus

第7話 創造主(デミウルゴス) ―黎明の時代の遺産―

「腹が減っては戦は出来ぬ!沢山食って力つけるぞ~!」
昨夜の出来事により、肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまった彼らは、あまり夕食を食べることが出来なかった。ソウシとアキヒはその分を取り戻すかのように、コガネとトキワは程々に、宿の食堂で朝食をとっている。
「えぇと、戦いに行くわけではないのだけれど……」
香りの良い紅茶が注がれたティーカップを一旦置き、トキワは苦笑する。
「だってさ、そういう気分なんだもん。あの前髪長過ぎ男ってば、何か腹立つ物言いだったし!今日は負けないんだからね……っ!」
蜂蜜と砂糖がたっぷりと入った甘ったるいホットミルクを一気飲みし、叩きつけるように机の上に置く。アキヒ少年の目は、いやにやる気で燃えている。

「……」
オムライスとポテトサラダを食べ終えたコガネは、ふと隣の空席に目をやった。
(……マシロが、いない)
いつも隣に居た彼女がいないということだけでこんなにも違うのかと、しみじみと実感する。まるで、心にぽっかりと穴が空いてしまったようだ。
(俺がもっとしっかりしていれば、あんなことにはならなかったかもしれないのに……)
小さく溜め息を吐いて、俯いてしまう。
「おい、コガネ」
「ん?」
名前を呼ばれたので慌てて面を上げると、額に何か鋭く尖ったものが思い切り突き刺さった。
「いでぇっ!!!」
あまりの痛さに額を押さえ、悶絶する。
「ソウシ~、フォークは人のデコをぶっ刺すもんじゃないからね~?行儀が悪いよ」
じろり、とアキヒが睨みつけ、その所業を窘める。
「悪ぃ悪ぃ、ま、気にすんなよ」
「気にしろよ……っ!」
悪びれた様子を全く見せないソウシに、コガネは涙目で訴える。すると彼女は真面目な表情をして、彼の目を捉えた。
「マシロがリゲルに身体を奪われちまったのはな、お前の所為でも、ましてやマシロの所為でもねえんだぞ」
突拍子のないことを言われたコガネは、驚いて目を丸くする。
「な、何言って……」
「リゲルがやったことなんだからよ、リゲルの所為にでもしておけ。そうでもしねえと、お前、いつまでも気に病むだろ。お前がそんなんだったら、マシロだっていつまでも気に病んじまうだろうが」
コガネがマシロのことを案じるように、マシロもまたコガネのことを案じているのだ。
ソウシの言葉が、胸に突き刺さる。額にフォークを突き刺された痛みよりも、さらに痛い。
「……だって、俺が気安く、行ってみようぜなんて、言ったから……っ」
「だってもくそもないよ」
コガネの言葉を遮り、アキヒが割って入ってきた。
「僕はソウシの意見に賛成だね。コガネもマシロちゃんもさ、互いが互いに相手のことを大事に思ってるから、相手に迷惑をかけないようにって、自分一人で解決しなくっちゃとか、思い込んでない?」
尚も痛いところを疲れたような気がして声を詰まらせると、ソウシが破顔一笑する。
「今はな、マシロを助けてやることだけを考えようぜ。偶には落ち込むことも必要だけどな、度が過ぎるといけねえ。出来ることから、していこうぜ?とりあえず、今日はあの野郎に落とし前をつけさせようや」
俺の可愛いエリスちゃんに勝手に触ってくれた罰だ。
悪人面をしたソウシが物騒なことを口走る。ちなみに『エリスちゃん』とは、彼女が所持している回転式拳銃(リボルバー)の愛称だ。彼女は所持している銃全てに名前を付けているのだと、アキヒが呆れながら言っていた。
「ソウシさん、私たちは話し合いをしにいくのよ?」
「それくらい気合入れて行こうぜって話だよ」
「御免、あれじゃ全然分からないって」
トキワは苦笑し、ソウシは肩を竦め、アキヒは半眼で突っ込みを入れた。

(……俺の所為でも、マシロの所為でもない)
そうか、誰かにそう言って貰いたかったのか。胸に痞えていたものが少しずつ崩れていき、流れ落ちていく。
ソウシとアキヒの言葉が嬉しいやら恥ずかしいやら。赤くなってしまっているであろう顔を隠したくて、コガネはもう一度俯いた。
「……コガネくん。大丈夫、大丈夫よ……」
悲しくて泣いているのだと思ったのだろうか。隣に座っていたトキワが、そっとコガネの肩を抱き寄せる。
(……ん?)
目と鼻の先に、彼女の豊満な胸がある。
(う、うわぁっ!!!ち、近い!!!近いって、胸近すぎだって!!!)
赤くなった顔が一瞬で青くなり、再び一瞬で赤くなる。
思春期の少年には中々刺激の強いものを至近距離で拝む羽目になっているコガネは、顔から火が出そうになる。その御蔭か、涙は一気に蒸発して消え、泣くことを忘れられたのだが。
「……俺は今猛烈に、コガネの奴が羨ましくてたまらん。俺も谷間拝みてえ~」
真剣な顔をして、ソウシが爆弾発言をする。
「偶に思うんだけどね、君、本当に女なの?いや、本当なのは知ってるんだけどね、うん」
それでも疑いたくて仕方がないのは何故だろう。
彼女との付き合いはそこそこ長いが、時折どうしても納得できないことがあるので、アキヒ少年は複雑な気分に陥る。

***************

宿を後にした一行は、昨夜の襲撃者が指定した場所――アレイオス・パゴスの前へと移動する。

「そういえば、さ。アレイオス・パゴスのどの辺りで落ち合おうとか言われなかったし、訊きもしなかったよな……?」
今更ながら重大な事に気がついたコガネの発言に、一同は硬直する。言われてみれば、そうだった。不味い事になったと顔面を蒼白にしたその時――
「御機嫌よう、皆さん」
「「うわぁっ!!!」」
「うおっ!?」
「あら」
突如として聞き覚えのある声が背後からしてきたので、トキワを除く三人は上擦った声を上げて驚き、大きく飛び退る。
「て、てめっ、気配殺して近付くな!びびるだろうがっ!!!」
「ああ、これは失礼致しました。限りなく男性に近い女性の方」
反省する様子は微塵もなく、昨夜の襲撃者は恭しく虚礼してみせた。
「ソウシが女だって一発で気が付いてる!僕の時は間違えたくせにぃ~」
そのことが非常に癇に障る。アキヒが目くじらを立てると、彼は肩を竦めておどけてみせた。
「声を聞けば、大体ですが男女の区別はつきます。いくら貴方が女顔で声変わり前とはいえ、身体付きを見たら尚更、ね。あの時分間違えたのはわざとですよ、わざと」
「てめこのやろー!ぶっ潰してやる、其処になおれえー!!!」
「落ち着け、アキヒ!」
「お前は未だ成長期だから大丈夫だって!女顔くらい気にすんな!」
女顔、且つ声変わり前の高い声なのが相当コンプレックスだったらしい。
憤怒という名の火山を爆発させたアキヒが、得物を取り出して彼を撲殺せんと襲いかかろうとするので、コガネとソウシは協力してアキヒを取り押さえた。

「……立ち話もなんだから、移動しましょうか。図書館内の談話室で構わないかしら?」
「はい、結構ですよ」
このままでは埒が明かない。呆れ果てたトキワが場所を移そうと申し出ると、彼はそれを承諾した。
暴れるアキヒをソウシが米俵を担ぐようにして抱えて、一向は図書館内の談話室へと移動した。

***************

「さて、と。答えられる範囲の事でしたら、どのような事でもお答え致します」
俺ではなく、高みの見物をきめこもうとしている不届き者がね。
やけに落ち着き払った様子で、眼前の青年は口を開く。含み笑いも伴わせて。
「とにかく、先ずはお前の名前からな。俺はソウシ・アレスだ、この野郎」
「俺はハゼ・クロノスといいます。どうぞ、お好きなように呼んでください」
名乗りもしない奴は少しも信用出来ないとソウシが主張するので、一向は手短に名乗りあってから、本題へと移行した。

「全ての物事を把握している訳ではないので、深く突っ込まれますと返答に困ります。その点を考えて、発言なさってくださいね」
「昨日、あんたは言ってたよな。リゲルは、デミウルゴスは黎明の時代から生き続けているって。デミウルゴスは人間じゃない……ってこと、だよな?」
人間ではない。自分が言ったその言葉に疑問を感じる。そして、それは失言であったと後悔した。
カスタリアの泉での事があった時点で、リゲルが『人間ではない何か』であることは認識していたはずだ。
「簡潔に言いますと、デミウルゴスは『不老不死の存在』です。人間ではない、という言い方は強ち間違いではありませんね」
何食わぬ顔でハゼが答えると、トキワが不思議そうに首を傾げる。
「随分とはっきり言い切るのね?貴方はリゲル以外のデミウルゴスを知っている、と考えても良いのかしら?」
「俺に厄介事を押し付け、偉そうに命令をしてくる不届き者がそうですね」
それは誰だと問えば、「言いたくありません」と即答される。問い質そうとしたが、薄ら寒い笑みで有耶無耶にされてしまった。
これはどうにも吐きそうにない。一先ず『不届き者』の名前の有無は置いておく事にする。
「不老不死だって言うなら、リゲルには『本当の身体』があるんじゃないか?カスタリアの泉でマシロの身体を奪った時は魂だけ……っていうのかな、そうだったから。その、魂だけでも生きられる……のか?」
「人智を超えた存在ですから、身体の有無はさほど問題ないのでしょう。ただし、魂だけの状態では特定の事にしか干渉出来ないので、リゲル・プラクシディケは人間の身体を奪うのですが。ああ、本体はあるらしいのですが、その場所は知りません」
成程、それでリゲルはマシロの身体を奪ったのか。
コガネとソウシは素直に納得したが、アキヒとトキワの表情は硬い。
「デミウルゴスが人間の身体を奪うにしても、条件があるんじゃないの?誰でも良いのなら、マシロちゃんがあんたに殺されそうになった時、その場にいた僕たちや、若しくは加害者であるあんたの身体を奪って逃げるとか出来たと思うんだよね。まあ、これは冷静になっている今だから言える話なんだけどさ」
「ふむ、中々鋭いようですね、少年。そう、身体を奪うには条件があります」
「貴方はあの時、マシロちゃんのことを『同調者』と言っていたわね。その呼称は『条件を満たしている人』の事を指しているのよね?」
「御明察」
アキヒの続いてトキワが意見を言うと、ハゼは口の両端を吊り上げた。
同調者とは、人間とデミウルゴスの中間に位置する存在の名称である。特徴はというと、能力や身体の構造があちらよりなのだが、デミウルゴスとは異なり不老不死ではない。
近からず遠からずの存在、というのが的確だろうか。
「マシロは同調者だったとして、どうして殺さないといけねえんだ?」
同調者の命を奪う事が救いの手段であるなどとは言わせないと、ソウシが噛み付く。
世界中にいるであろう同調者の命を全て刈り取る心算か。無闇に人を殺す事が解決に繋がる訳ではないだろう。
「黎明の時代が終わりを告げて幾星霜。同調者は人間との混血により、現代においてはその末裔は人間となんら変わりない存在に成り果てているだろうと推測されます」
デミウルゴスの器たる資格を持つ同調者は存在しないだろうと思っていたが、現実はそうではなかった。
「正確に言うと、マシロ嬢は同調者の子孫であり、且つ先祖返りをした為に同調者と変わらぬ能力を持つ人間、ということになるのでしょうね」
先祖返りとは、数代を経て突如として先祖の特徴を色濃く受け継いで生まれてくることをいう。所謂、隔世遺伝の一種だ。
先祖返りが起こる確率は非常に低い。だからこそ、ハゼは先祖返りをした同調者の子孫を殺そうとする。デミウルゴスが新たな器を探し出す時間を作り、邪魔をする為に。

「……マシロを助ける方法は……本当に殺すことだけなのか?」
諦めきれないコガネは、喉から声を絞り出すように問いかける。
「その方が手っ取り早いと言っています」
一部の隙もなく、切り捨てる様に彼は断言した。
「ですが、彼女を救う術が無い訳ではありません。ただ、とても面倒ですのでお勧めはしませんね」
溜め息混じりに、面倒臭そうに吐かれた言葉が耳朶に触れる。コガネは光明が射した気がした。
「面倒でも良い、方法があるなら教えてくれ、教えて……ください」
それが人の物を頼む時の態度ですか?
昨夜の出来事を瞬時に思い出したコガネは、慌てて言葉遣いを改め、頭を下げる。
「所在不明のデミウルゴスを捜す自信がおありでしたら、御自由にどうぞ」
「はあ?所在不明だあ?」
存外あっさりと返答があったが、明確な答えとは言い難い代物なのでソウシが片眉を跳ね上げた。
「デミウルゴスの一人、シリウス・アイテルを探し出して説得し、同調者の身体を乗っ取る魔法を解除させれば良い。ですが、その人物の現在地は不明です」
お先真っ暗ですねえ?
ハゼは酷く楽しげに、喉を震わせる。
「知らないって、どういうことなのさ?」
ここまで知っていながら、今更煙に巻く心算か。アキヒが非難の目を向けると、彼は大袈裟に肩を竦めた。
「残念ながら俺は勿論、不届き者にも分からないのですよ。何でもシリウス・アイテルは変人の域に達している人物のようでしてね、見当もつかないようです。黎明の時代と今では、地理が変わっていますでしょう?遥か昔の地名が、現在の地名とは限らない」
補足として、ヘレネス王国領土には居ないようだと彼は告げる。くまなく領土内を歩き回ったが、その人物の反応は全く見られなかったらしい。
「ということは、ヘレネス以外の国……」
「アシアかアルカディアってことか……」
まさか国外に行かなければならない事になるとは、誰もが想像だにしなかった。それほどまでに規模の大きな話に発展するとは。
「世界中を歩き回れってこと?無謀にも程があるって……」
「ですから、何度も言っているではありませんか。始末する方が手っ取り早いとね」
眉間に皺を寄せて、アキヒが盛大に溜め息を吐く。そして、さも他人事だと言わんばかりに、ハゼはしれっとした表情でロクでもないことを言ってのけた。

「……俺はマシロを殺したくないし、殺されて欲しいとも思わない。無謀だろうが何だろうが、シリウスって言うデミウルゴスを捜し出してマシロを助けるんだ!」
方法が全くないわけではないと判明しただけでも、収穫はあった。次の目標が出来た事に、コガネは目を爛々と輝かせる。細かいことは考えていないようだ。
(わぁ~、これは突っ走りそうな勢いだね。コガネってば分っかりやっす~)
使命感に燃えるコガネを、アキヒはいやに冷めた目で眺めている。
「よく言ったコガネ、それでこそ男だ!俺も行くぞ!!!」
コガネの心意気に感動したのか、ソウシは鼻息も荒く、同行することを宣言した。
(えぇー!?突然何を言っちゃってるのさ!?)
一体どこまで首を突っ込み続ける心算だ。
そろそろ本業に戻っても良い頃合だと一計を案じていたアキヒは、突然のことに面食らう。
「関わった以上、私も共に行くわ。マシロちゃんがあのままでいることも、殺されてしまうことも嫌だもの」
トキワは決意を顕わにする。
(おぉ!?そうだ!トキワって冷静だと思ってたけど、意外と無鉄砲だった!)
エレウテライでの出来事を思い出したアキヒは、三人の決意に気圧されて諦めたように項垂れる。
「七面倒臭いことこの上ない方法を選ぶとは、奇特な方々ですねぇ?賞賛に値しますよ」
他人事のようにその光景を眺めていたハゼが、不意に横槍を入れてきた。
「マシロを助けられるんだったら、そんなことどうだっていい!悪いか!?」
「いいえ。人其々ですから、結構ですよ。俺は遠慮しますがね」
馬鹿にされたと感じたコガネがいきり立つと、彼はしれっとした表情で、ゆるゆると首を左右に振った。

「……」
先々のことを話し始める三人を余所に、アキヒは黙考していた。
「あのさ、国外に行くのは良いんだけど……さ。あのね、僕たちに普通の人とデミウルゴス、デミウルゴスに身体を奪われている同調者の違い……分かるの?」
ぴしっ。
そこまでは気にしていなかったらしい三人は、身を強張らせて呆然とする。その反応に、アキヒはやっぱりなと思った。
「……き、気合で?」
「無理なのが分かってて言ってるんだったら、怒るよ?」
しどろもどろにコガネが提案をすると、アキヒの冷たい目が即座に彼を射抜いた。
次に、ソウシがアキヒの肩を叩く。
「信じろ。俺たちにはその違いが分かるってな。信じる思い……」
「馬鹿な事ぬかしてんじゃねえぞ、この不思議生命体が」
それが、引鉄となった。
戦いのゴングが打ち鳴らされると同時に二人は掴み合い、喧々囂々と相手の悪口を大声で言い始める。
「喧嘩は止めろよ……」
コガネが仲裁に入るが、二人は聞く耳を持たない。
「……貴方は、違いが分かるのよね?」
そうでなければ、マシロを狙って襲撃してくるはずがない。空気と化しているハゼに、トキワが問いかける。
「ええ、嫌でも不届き者が教えてくださいますのでね。不愉快です」
忌々しそうに、彼は顔を背けた。
「じゃあテメエ、一緒に来い!!!」
「丁重にお断わり申し上げます」
「「早っ!!!」」
喧嘩を中断してソウシが力の限り叫ぶと、彼は爽やかに即答で断りを入れた。そのあまりの速度に少年組は思わず突っ込みを入れてしまった。
「おやおや、もうお忘れですか?俺は面倒な手段を選ばないと言いましたよ。鳥頭も程々になさらないと、後々困りますよ?」
さりげなく失礼な発言をするハゼに、コガネとソウシが憤慨するが、アキヒとトキワが二人を制止した。
「そうは言うけれど、何処に行ってしまったのか全く分からないリゲルを捜し出して殺すのは、面倒ではないのかしら?」
矛盾していることを言ってはいないかとトキワが苦言を呈すると、彼は自信たっぷりに意味深長な発言をした。
「ああ、その点は御心配なく。確かにリゲル・プラクシディケの現在地は不明ですが、最終的に彼女が辿り着く場所は既に判明していますので、問題はありません」
「随分と、自信たっぷりだね?」
胡散臭いと感じたアキヒが眉を顰める。
「勿論、根拠があるからですよ。そうですね、特別サービスで教えて差し上げましょうか。その場所はアテナイ王宮、正確にはニケ、クロム・アイドネウス嬢の元です」
ハゼの口から出てきたその名に、一同は唖然とする。全くもって予想外だったからだ。
「な、何で、ニケの元にリゲルが行くんだ?」
その二人には接点などないはずだ。コガネは頭上にハテナを幾つも浮かべて、首を傾げる。
「もしかして、ニケは……!」
ないはずの接点を見つけたトキワが、瞠目する。
「クロム・アイドネウス嬢は、デミウルゴス――ベテルギウス・エウメニスを宿す同調者であると推測されます。いえ、そうであるとしか考えられません」
口の両端を吊り上げて、ハゼは意地の悪い笑みを浮かべた。

***************

「……一体何人いるんだよ、デミウルゴスは……」
現状で判明しているのは、マシロの身体を奪ったりゲル、捜索対象のシリウス、ハゼ曰くの不届き者、そしてニケの身体を奪っているというベテルギウスの四人だ。
うんざりといった様子のソウシは、「お前絶対あと何人いるのか知ってるだろ」とばかりにハゼを睨みつける。

「ニケは……そのベテルギウスの同調者だってどうして断言出来るんだ?」
「彼女はトラキアの出身だと、噂で聞いたことがあるわ。トラキアの何処かにベテルギウスが封印されていた……?」
コガネの疑問に続いて、トキワが呟いた。
(……あれ?)
トラキアの出身だという彼女が、ヘレネス側についたというのはどこかおかしくはないだろうか。
「な、なあ。ニケがトラキアの出身だって言うなら、戦争の時にヘレネス側についたのっておかしくないか?」
「噂で聞いた話だから、信憑性は低いわよ?」
そうは言いつつ、彼女もまた、自分で言った事に疑問を持つ。
「貴女の仰る通り、旧トラキア王国……現在のトラキア地方にあるサモトラケ島の神殿に、ベテルギウス・エウメニスは封印されてしました」
何らかの原因で封印が解除されてしまい、自由になったベテルギウスはクロムという同調者の身体を手に入れることが出来たのではなかろうか。
「そして、今しがた貴方方が疑問に思われたことについてですが。クロム嬢がトラキアの出身だという話は、どうやら本当のようです。その彼女が何故、敵国であるヘレネスについたのかという疑問は、クロム・アイドネウスではなくベテルギウス・エウメニスになってしまっているから、で片付けられます。トラキアではなく、ヘレネスにつくことにベテルギウス・エウメニスにとって利点があったのでしょう」
身体の持ち主が何処の出身者であるかなど、デミウルゴスには関係ない。
「……そっか。ニケが同調者っていうのは、納得がいくなぁ」
「ん?何で?」
アキヒが納得する理由が分からないので、コガネが首を傾げる。
「戦争の最中、突如現れたニケによって劣勢にあったヘレネス軍が優勢に転じた。これが、ヘレネス内の大抵の人が信じてる定説。だけどさ、おかしいよね。こんな現実じみていない話を、簡単に信じ込めるものなのかな?」
「ガキんちょが一人現れたくらいで、普通は戦況が大きく変わったりはしねえわな」
そもそも、戦場にいる殺気立っている大人が、子供の言う事に素直に耳を傾ける訳がない。『ありえない何か』が起こらない限りは。
ソウシは、はっとする。
「デミウルゴスに身体を奪われた同調者なら、普通じゃないことが出来るよね?」
デミウルゴスが持つ力というものがどの程度なのかは分からないが、とアキヒは付け加えた。
「まあ、そのことも結論に至るまでの要因の一つですが。ああ、実際にサモトラケ島のニケ神殿に赴いて調べてみましたが、案の定蛻の殻でした」
ニケとして存在しているのだから、当然そうでなくては困るのだが。
「では、決定打は?」
不思議そうに、トキワが尋ねる。
「公務以外では王宮から滅多に出ることのなかったニケが、アイギスを引き連れて街道を北上していったことです。その先にあるものといえば……」
皆まで言わずとも分かるだろう?
彼はわざと最後まで言わず、前髪で隠されている目をコガネに向けた。
「デルフォイの神殿、カスタリアの泉!」
ニケとアイギスがエレウテライにいた理由が漸く理解出来た。彼女たちが目指していたのは、リゲルが封印されていたカスタリアの泉だったのだ。
「彼女が動いた隙にアテナイで下調べを進めようとしていた矢先、貴方方とリゲル・プラクシディケを発見しまして、ね」
善は急げとばかりに襲撃させて頂きました。
にっこりと、だが薄らと寒気も感じる微笑を湛えているハゼに、アキヒが噛み付く。
「……結局は逃げられたじゃないさ」
「それは貴方方も同じ、でしょう?というように、このような理由がありますので、シリウス・アイテル捜索の協力は謹んで辞退させて頂きます」
ハゼははっきりと、断りを入れた。

「だったら、尚更あんたにも来て貰う」
肩をいからせ、目の据わっているコガネがぼそりと呟く。
「あんたを放置しておいたら危ないって事がよーく分かった。無理矢理だろうが何だろうが、一緒に来て貰う。絶対にマシロは殺させはしないんだからな!!!」
コガネにとって、マシロは非常に大切な存在だ。だからこそ必死になるのだが、流石に今の発言はどうかと思われる。
(うわぁー、こりゃキレてるなあ)
我を忘れたコガネは居丈高な態度と物言いになる確率が高いらしい。アキヒ少年は心のメモ用紙に、後々役に立つかもしれないと、そのことを書き記しておく事にした。
「随分と勝手なことを仰りますねぇ。……これだけ話したのですから、もう充分でしょう。俺はお暇させて頂きますよ」
これ以上の長居は無用と、彼は静かに席を立ち、出口の方へと歩いていく。
「ハゼさん」
「何ですか?」
彼の前にトキワが進み出て、立ちはだかる。
「!」
意表を突くことに長けている彼でも、気を抜くことはあるらしい。いやにあっさりと、トキワに腕を掴まれてしまった。
「……腕を離しては頂けませんか?」
「離したら、貴方は何処かへ行ってしまうでしょう?」
穏やかな声で苦言を呈すれば、さらりと流される。
「当然です。既に用は済みました、問題はありませんよ?……離す気がさらさらないのでしたら、もう少し遠慮して掴んでは頂けないでしょうか?このままでは骨が折れます、確実に」
そうでなければ、腕が握り潰されて使いものにならなくなることは間違いない。
見た目に反して、恐ろしいほどの握力を有している彼女の驚嘆しつつ、存外子供じみた真似をするものだと呆れもする。
「ええ、そのつもりで掴んでいるのだもの。一緒に来てくださらないかしら?」
腕を圧し折られたくなければ。
決して離しはしないと、笑顔の裏に隠された殺気が物語っている。
(こ、怖い、トキワって怖かったんだ……!?)
(身近に伏兵がいた……っ!)
『良きお姉さん』という認識が、がらがらと音を立てながら崩れていく。
少年組は驚愕のあまり、その顔を青惶とさせる。脅迫はソウシとアキヒの専売特許ではなかったようだ。
「ポキッと綺麗に折れてくれりゃいいが、粉砕骨折、或いは複雑骨折の可能性が高いぜ?あれって治りが悪いんだよなあ。……どうすんだ?」
二者択一のようだが、答えは一つしかない。ハゼの背後を取ったソウシが、悪人面で問いかける。
「仕方がないですねえ。出血大サービスでお付き合いして差し上げますよ、脅迫者の皆さん」
暫しの沈黙の後、ハゼは溜め息混じりに呟いた。

(そう言うあんたは)
(殺人未遂してんじゃねえか)
少年組は心の中で突っ込んだ。
何故に彼が折れたのか。今の時点でその真意を知る者は誰一人としていない。