Post nubila Phoebus

刹那の邂逅 ―キタイロン山中エレウテライ―

「山に登ることが……こんなにきついなんて……知らなかった……」
ドラゴンを退治したことで通行が可能になった道を進み、ボイオティア地方とアッティカ地方の境界に聳えるキタイロン山に足を踏み入れてから、どれほどの時間が経過しただろうか。

カドメイアから麓までは乗合馬車を利用し、そこからは歩きでキタイロン山を昇っていく。
利用する人々が多い為、しっかりと整備されている山道を歩いているとはいえ、時折休憩を挟まなければ到底身がもたない。
何度目かの休憩をしている最中、コガネはふと景色に目をやった。
(全然進んでないように思えたけど……随分高い所まで登ってたんだな……。カドメイアが遠く、小さく見える……)
遠くに見える町らしきものがカドメイアであるという保証はない。だが、地図を見て確認する気もなかった。
不慣れな山登りに疲れて口数の減ったコガネとマシロに対し、賞金稼ぎを生業としている二人組は俄然元気である。基礎体力の差が顕著に現れていると、コガネは実感した。
「もう少し行くと村があるから、今日は其処で一泊して疲れをとろうね!さ、頑張ろう!」
アキヒが二人を気遣い、声をかける。コガネはマシロを一瞥してから、頷いた。
(下手に急いでも、マシロを疲れさせるだろうからな……)
ソウシの強烈な拳骨を喰らってから、コガネは一人で抱え込もうとすることをしないようにと考えを改めた。彼らに反発するような物言いは止め、素直に話すようになったことで、出会って間もないが、彼らと打ち解けて話せるようになった。
そのことを一番喜んだのは、マシロだった。

***************

「見えてきたぜ、あれがエレウテライ村だ」
最後の休憩から半刻ほど経過した頃、山中の開けた場所――エレウテライ村に到着する。村の中は、村人は勿論のこと沢山の行商人や山越えをしようとしている人々で賑わっていた。
「村って言うから、もっと閑散としてるのかと思ってた……」
予想していた光景と目の前の光景が異なっている事に驚き、正直ではあるが同時に失礼でもある感想を述べるコガネに、アキヒが苦笑する。
「此処はキタイロン越えをする人たちにとって重要な拠点だから、意外と栄えてるんだよ。ん~、村人の数より利用者の割合の方が多いかな?」
ヘレネス中の商人や、他国から渡ってきた商人などが沢山通過する為、物資が充実している上、交渉が上手くいけば値切ることも可能で、更に運が良ければおまけまでも付いてくる。
「御飯は美味しいし、宿は質が良くて尚且つお手軽料金だしね♪」
「……詳しいな、アキヒ」
エレウテライ村の利点について、やたらと饒舌に語るアキヒの勢いに、コガネは気圧される。
「まあね、ソウシと一緒にヘレネス中を回っているから、知らない所はそんなにないんじゃないかな?あ、トラキアは行ったことがないから全然分からないや」
トラキア戦争で敗戦したトラキア王国は、ヘレネス王国領土のトラキア地方となった。とはいえ、戦争が終わり現在に至るもトラキア地方の治安は未だ回復しきってはおらず、それ故に人々はトラキア地方へと赴くことを避けている傾向にある。
「まあ、そのことは置いといて。じゃあ、僕は宿をとってくるから、コガネたちはこの辺りで暇つぶしでもしながら待っててよ」
そう言い残すと、アキヒは颯爽と駆け出して行き、人混みの中へと消えていった。コガネたちは、村の入り口付近に残される。
「宿代値切る気満々だな、アイツ」
「この村の宿は質が良くてお手軽料金なんだろ?まだ値切るのかよ……」
コガネとソウシが呆れ顔で溜め息を吐くと、マシロがくすくすと楽しそうに笑い出す。
「アキヒちゃんは逞しいんだね」
「逞しいというか、頼もしいというか、恐ろしいというか……」
カドメイアを出立する前の彼の勇姿を思い出してしまい、コガネは思わず震えだす。

報酬を支払う寸前になって、『素人が関与していたから』とカドメイアの町長はあからさまにこじつけととれる言い訳をし始めた。約束していた報酬の額を値切ろうとしてきた町長に対する、ソウシ曰く『金の亡者』であるアキヒが取った言動と行動は凄まじいものであった。
「僕を相手に報酬を値切ろうなんて、良い度胸してるじゃないのさ……。さあ、命が惜しかったら、大人しく報酬を支払いな?」
「は、はいぃぃぃぃぃ、只今!」
彼が賞金稼ぎ内で『赤い悪魔』などと言われ、恐れられている理由が判明した瞬間だった。
鮮明に浮かんできた恐ろしい光景を拭い去るように、コガネはぶんぶんと勢いよく首を左右に振る。
(報酬を値切ろうとする町長も町長だけど、それをどうにかして更に金額を上乗せするアキヒもアキヒだよな……)
彼のその鬼のような行動の御蔭で、当面の旅の資金が手に入り、懐が潤ったのは事実なのだが。
アキヒの巧みな話術、脅迫に敗れたときの町長の表情――地獄の底に叩き落されたかのような表情が、なかなか頭から離れてくれない。

暫くした後、浮かない顔をしたアキヒが駆け戻ってきた。
「最悪!宿が何処も彼処も満員だったよ……」
「はあ?俺らが道を塞いでた魔物を退治したから、そんなことになるはずは……」
コガネたちが魔物の退治をしたことで塞がれていた道は元通りになり、エレウテライに留まっていた行商人や旅行者は、カドメイアなどの町へと分散していったはずだ。
現に山道を歩いている最中、相当数の人々と擦れ違いになってきたのだ。
アキヒの言葉に、それはおかしいとソウシが首を傾げる。
「宿の人に訊いたら、何でも団体さんがいっぱい来て、他にも此処を通る人たちもいっぱいいるから、それで埋まっちゃってるみたい」
運が悪すぎると、アキヒは頬を膨らませて拗ねる。
「宿屋さんが全部埋まっちゃうくらいの団体さん?」
全く想像がつかないと、コガネとマシロは顔を見合わせて首を捻る。
「ヘレネス王の至宝、『勝利の女神(ニケ)』と彼女を守る『女神の盾(アイギス)』が来ているのだそうよ」
貴人に粗相があってはならない、そのようなことをしでかしてしまったら首が飛ぶ。
そう考えた宿の経営者たちは、空室に余裕があっても、客の出入りを制限してしまっているのだと、コガネたち以外の声が告げる。
声のした方向へと、一斉に顔を向ける。
其処には、緑色の神と碧い瞳をした、優しげな顔に似合わぬ活動的な服装をした女性が佇んでいた。
「御免なさいね、近くを通りがかったら、話が聞こえたものだから、つい。狭くても良いのなら、私の家に泊まらない?野宿をするよりは、かなりマシだと思うのだけれど」
思いがけない彼女の提案に、アキヒは目を輝かせる。
「……無料(タダ)?」
「こら、アキヒ!」
あわよくば宿代を節約しようとしているアキヒを、コガネが小突いて窘める。
「そうね、晩御飯の材料費を出してくれるのなら、他に料金は頂かないわ。完全にタダではないけれど、それでどうかしら?」
「のった!」
アキヒは彼女の手を取って力強く握り、交渉の成立の喜びを噛み締める。
「私はトキワ・ナイオスというの、宜しくね」
それに対し、彼女は少々ぎこちなく握り返した。何かに注意するかのように、そっと。
「俺はソウシ・アレスだ。こっちの金髪がコガネ・アギュイエウス?で、こっちのぽやんとしたのがマシロ・セレネ?だ」
二人の名字をきちんと覚えていなかったらしい。疑問系で自分たちを紹介するソウシに、コガネはえもいわれぬ一抹の不安を覚える。
「僕はアキヒ・メルクリウスだよ!」
「メルクリウス?」
その響きに違和感を感じたのだろうか。トキワは不思議そうな目で彼を見た。
「……僕の名前が、どうかした?」
「いえ、珍しい名字だなと思って」
気分を害してしまったのなら御免なさい。
一揖して謝罪する彼女に、「そんなことはないから気にしないで」とアキヒは言う。笑顔に下に巧妙に隠した疑いの目を彼女に向けることを忘れずに。
「それでは、今から買い物に行きましょうか。大抵のものは作ることが出来るから、何か希望があったら遠慮なく言って頂戴ね」
「「はーい」」
身を翻したトキワの後に、コガネとマシロが雛のように続く。

「どうかしたのか?」
眉根を寄せ、神妙な面持ちで押し黙っているアキヒの顔を、ソウシがひょいと覗き込む。
「……何でもないよ。ほら、僕らも行こう!」
置いていかれてしまうと、ぐいぐいと力一杯彼女の広い背中を押して、彼は歩き出す。
(……あの人……気付いてた?)
そうだとしたら、何故?普通のヘレネス人であるのならば、『この名』に気が付くはずがないのに。
(気を付けよう。ヘレネスだからって、気軽に姓名を名乗るのはなるべく止めた方が良さそうだね)
だからと言って、今更偽名を考えるて使うことが出来ない。当分は誤魔化し誤魔化しで言っていくしかなさそうだと、アキヒは内心で嘆息し、油断は禁物と肝に銘じた。

***************

晩御飯の材料を買い終えて、彼女の家へと向かっている途中、一行の耳に男の怒声が入ってきた。
「ごめ……ごめん……なさい……っ」
「御免で済むか、この糞餓鬼が!」
黒地の軍服に身を包んだ三人の男たちに囲まれた小さな男の子は、大きな目に涙を溜め、彼らの剣幕に脅えて震えている。
彼らの軍服には、蛇の髪を持った恐ろしい顔をした女の怪物――メドゥサの顔が描かれた紋章が付いている。それを付ける事が許されているのは、戦女神アテナの盾の名を持つ軍人――『女神の盾(アイギス)』だけだ。
「コガネくん、これを持っていてもらっても良いかしら?」
「え?う、うん」
身近にいたコガネに荷物を預けると、彼女は一目散に其方に駆けて行った。

「小さな子供を取り囲んで、何をしているのですか?」
トキワは男たちと男の子の間に割って入り、その背に脅えきっている男の子を隠す。
「このガキがぶつかってきやがった所為で、俺の軍服が汚れちまったんだよ!高いんだぞ、このアイギスの軍服は!どうしてくれんだよ!?」
彼女の問いに答えた男ははっきりと、アイギスの一員であると高言した。
そのふてぶてしい物言いに臆することなく、彼女は目線を下に落とす。質の良い高級な布地で作られた軍服のズボンは確かに汚れており、地面には潰れたトマトが落ちていた。
「御使いの帰りだったのかしら?」
しゃがんで男の子と目線を合わせ、穏やかな声音で問いかける。男の子は震えながらも、こくりと首を縦に振って答えた。
「分かったわ」
安心させるように微笑みながら、彼の頭をそっと撫でると、彼女は立ち上がり、凛とした態度で眼前の男たちを見据えた。
「この子はちゃんと謝っていました。自分がしてしまったことを理解していますし、まだ小さいのですから……許してあげてください。どうしても気が済まないと仰るのでしたら、私が弁償します。おいくらでしょうか?」
「う、五月蠅い!!!」
真っ直ぐ見据えられて臆したのか、男は彼女に手を上げようとする。だが、手を振り下ろすよりも、突如現れたソウシによって殴り倒される方のが早かった。
「あのなぁ、か弱い姉ちゃん殴ろうとしてんじゃねえぞ、ボケが。軍人ってのは、国民を守る立場にある奴らのことを言うんだろ?」
軍人であることを鼻にかけ、小さな子供を脅迫するなど言語道断である。
「……何恥ずかしいことしてんだ、テメェら。それでよく軍人やってられるな。……ああ、言っておくがよ、そっちが先に手を出してきたんだからな」
遅い早いといっても、コンマ一秒程度の違いだが。ソウシは不敵な笑みを浮かべ、彼らを挑発する。
「……この野郎っ!」
挑発に乗った男たちが、一斉にソウシに襲いかかる。
ソウシは三方向から飛んでくる拳を軽やかに躱したつもりだったのだが、最後の一つまでには気が回らなかった。
(あ、やべっ)
どうやって衝撃を軽減しようかと考えた瞬間、見覚えのある金髪が視界に飛び込んできた。
「ぐあっ!」
左の頬を思い切り殴られた男が、勢いよく倒れこむ。
「いってーっ!とりあえず助太刀に来たけど、なるべくソウシが片付けてくれよ!?」
「おー、あんがとなー!」
ソウシ一人で三人の男を相手にするのは流石に無理があると思い、殴り合いの喧嘩は殆どしたことがないが、気が付けばコガネは加勢していた。

「さ、今のうちに避難しよう?」
往来の真ん中で大乱闘を繰り広げているうちに、マシロはトキワの腕を掴み、彼女とと男の子を先導する。
「え、でも、ソウシさんとコガネくんが……。それに、私が招いたことだから……」
「大丈夫だよ、ソウシは殴り合い慣れてるし。コガネは分からないけど」
トキワは後ろ髪を引かれ、何度も振り返る。そんな彼女を安心させる為、アキヒは場違いなほどにっこりと微笑んで、安全な場所へと手招きをする。
いつの間にか、騒ぎを聞きつけた村人や商人たちがやって来ており、観覧客の輪が出来上がっている。
「畜生、邪魔しやがって!!!」
怒髪天を衝いた男が胸ポケットからナイフを取り出し、コガネとソウシの間を摺り抜けて、丸腰のトキワに襲いかかる。
「危ない、トキワさん!」
「え?」
コガネは叫んで迫り来る危険を知らせるが、彼女が振り返るのが僅かばかり遅かった。
「……っ!?」
不可思議な事に、彼女に凶刃が突き刺さることはなかった。
それもそのはず、今までこの場に居なかった第三者が間一髪というところで男の腕を掴み、阻止したのだ。兎に角、彼女が無事だったので、身近にいたマシロとアキヒは安堵の息を吐いた。
「ア、アイドネウス総長……っ!?」
自身の腕を掴んでいる者――眼帯をした長身の青年の姿を認めたその男は、恐怖に慄き、凍りつく。
周囲を取り囲んで観覧している女たちは、見目麗しい青年の突然の出現に驚きつつも、うっとりとした溜め息を吐く。
アイドネウス総長と呼ばれた青年は、銀髪の下にある生気のない橙色の瞳を男に向け、機械めいた抑揚のない声で告げる。
「……後程、尋問する。連れて行け」
彼の背後に控えていたらしい部下の軍人が数人現れ、騒ぎを起こした男たちを捕らえると何処かへと姿を消していった。

それを見届けてから、アイドネウスはゆっくりとした歩調で一行の下へと歩み寄る。
「……部下が無礼を働いたこと、深くお詫び申し上げる。……此方の監督不行き届きだった」
彼は一行に向かい、稽首する。
武力を保持していることを誇示する為か、尊大な態度をとることが多い軍人にしては珍しい行動だ。
「この子が無事ならば、私は何も言いません。私が間に割って入ったことで、事が大きくなってしまったようにも思えますから……。ですから、頭を上げてください」
彼女はゆるゆると首を横に振り、自信にしがみついて震えている男の子の頭を優しく撫でる。
アイドネウスはゆっくりと膝をついて身を屈め、。脅えきっている男の子と目線を合わせた。
「……怪我は、ないだろうか?」
感情の色の見えない声音だが、その一言でほっとしたのだろうか、男の子は返事代わりに頷くと、ぼろぼろと大粒の涙を流して泣き始める。
「……そうか。それでは、これで失礼させて頂く」
アイドネウスは立ち上がり、一行に背を向けてその場から立ち去っていく。その後に、彼の容姿に心を奪われた女たちが付いて行った。
やがて、男の子を捜しにやって来た母親が現れたので、彼を母親に引渡して別れた。

***************

「御免なさい、考えもなしに……」
「ううん、俺もああいうの好きじゃないから、ちょっとスッキリした!」
「おう、すかっとしたな!」
首を突っ込んでしまったことを詫びるトキワに、コガネとソウシは気にすることはないと告げた。
「お詫びに、晩御飯を奮発するわね。沢山食べて頂戴!」
「トキワちゃん一人だと大変だから、私も手伝うね!」
こじんまりとして、且つ清潔感の漂うトキワの家の中で、コガネたちは家主である彼女とマシロが夕食を作り終えるのを待つ。

古びた暖炉の上に、幼い日のトキワと彼女の両親を思しき人物が写っている写真が飾られている。
二年程前にアッティカ・ボイオティア地方境界で性質の悪い病が流行したことがある。彼女の両親はその流行り病にかかり、亡くなった。それ以降、一人暮らしをしているのだと話してくれた。
その写真を目にしたコガネは、両親が生きていた頃の事をふと思い出し、はにかんだ。

「そういや、総長とか言われてたよな、あのひょろ長い奴」
ということは、アイギスの中で一番偉い奴か。ソウシは唐突に自問自答し、納得する。
「ひょろ長いって……」
一行の前に現れたあの隻眼の青年は、確かに長身である割には細身ではあったのだが。的を射ているといえば、そうなのだが。もう少し違う言い方があるのではと思ったのだが、コガネは口には出さなかった。
「うーん、アイドネウス、アイドネウス総長……。あ、思い出した!アイギス総長シロガネ・アイドネウスだ!」
漸く答えを導き出した事に満足したアキヒは、顔を綻ばせる。
「……ずっと黙ってんなぁと思えば、んなこと考えてたのかよ」
やれやれと言いたげに、ソウシは明後日の方向に目をやる。
情報通といえば聞こえは良いが、彼の場合好奇心旺盛か若しくは噂好きの気の方が強い。噂話にたいして興味のないソウシには、彼の拘りは到底理解出来ない。
「……あのさ、ニケとかアイギスって……何のことだ?」
あの時そのことを尋ねようかと思ったのだが、尋ねるタイミングが掴めず現在に至ってしまった。
ぽりぽりと頬を掻きながら、コガネは苦笑気味に尋ねる。そんなことを尋ねられるとは想像していなかった二人は、呆然としてしまう。
まさか、『ニケ』と『アイギス』の存在を知らないヘレネス人がいるとは、と。
「え、ええとね……」
驚きを顕わにするものの、世間知らずだと馬鹿にすることはせず、アキヒは説明し始めた。

勝利の女神(ニケ)』とは、通常は戦女神アテナに仕える女神の名である事をさす。
六年前のトラキア戦争の最中、突如現れ、ヘレネス軍を勝利へと導いた少女に与えられた称号でもあり、ヘレネス王国においてはその少女の事をさす。
彼女はヘレネス国王アガメムノン・ロムルス・ヘレネス八世に絶大な信頼を寄せられており、アテナイの王宮にて王族並みの待遇を受けて暮らしているのだと言われている。
「滅多に王宮の外には出ないって聞いたことがあるんだけど、どういうわけか、今はエレウテライにいるみたいだね。あと、『アイギス』っていうのは、王族を守る近衛兵みたいなものだよ。軍の特殊部隊っていうのかな?」
女神の盾(アイギス)』――戦女神アテナが持つ盾の名を冠する彼らは、その盾に準えた紋章を付けている。騒ぎを起こしたアイギスに属する男たち、そしてアイドネウス総長の軍服にもそれは付けられていた。
「あのアイギスを纏めているのが、さっきのあのひょろ長い人。眉目秀麗で、二十一歳の若さでアイギスの頂点まで昇り詰めたってのが売りの、シロガネ・アイドネウス。アテナイにはその人のファンクラブなんてのもあるんだよ~?」
簡単に言うとこんなところだろうか。アキヒは自身なりの説明を自画自賛し、コガネもまたその説明に満足して、うんうんと頷く。
「そんな人たちがどうして、エレウテライに来てるんだろうな?」
アキヒの説明では、ニケは滅多に王宮から出ないのではなかっただろうか。
「さあな。物見遊山でもしに来たんじゃねえか?ずっと王宮にいたんじゃ黴が生えちまうぜ」
さも興味がなさそうに、ソウシは適当にコガネの疑問に答える。
「そんなことはないと思うんだけど。まあ、多分だけど……」
「皆~、御飯が出来たよぉ~!」
アキヒの言葉を遮るようにマシロが現れ、出来立ての料理を机の上に並べ始めた。
「お、美味そうだな!」
「おぉ~!」
コガネとソウシの関心は、『ニケやアイギスが何故エレウテライにいるのか』から、目の前の御馳走へと移ってしまっている。
「……折角、僕が推論を披露してあげようとしたのにぃ」
アキヒは頬を膨らませて拗ねるが、直ぐに気持ちを切り替えると料理に飛びついたのだった。

***************

「あら、アテナイへ行くの?」
トキワとマシロが作ってくれた料理に舌鼓を打ちながら、コガネたちは会話を楽しんでいる。
「私もアテナイに用事があるの。良ければ、一緒に行かせて貰っても良いかしら?」
何処へ向かおうとしているのかと問われたので、アテナイへ向かう途中だとコガネは答えた。すると、彼女はそんなことを口に出したのだった。
「用事って?」
純粋に疑問に思ったコガネが、不思議そうに尋ねる。
「偶々エレウテライを訪れていた腕の良い職人さんに、斧を作って欲しいと依頼をしたの」
依頼した物は出来上がったのだが、職人が足を負傷して動けなくなってしまったらしく、出来ることならアテナイにある工房まで取りに来て欲しいと、数日前に連絡が届いたのだが……。
「この頃、アッティカ地方では魔物が人里にも現れるようになったらしいとか、盗賊が頻繁に現れるようになったとか耳にしたものだから、一人で向かうのは少し怖くて……」
大金を持って向かうことになるので、何かあっては困ると思ってしまい、つい躊躇ってしまうのだと彼女は言う。
「それで、便乗するようで……というより、一宿一飯の恩を売るようで申し訳ないのだけれど、一緒に行かせて貰えないかしら?私に出来ることなら何でもするわ、お願いします」
彼女は座ったまま、拝礼する。
「一緒に行こう、トキワちゃん!ね、良いでしょう、コガネ?」
「うん、俺は構わないよ。泊めてもらう上に、美味しい御飯まで作ってもらったしさ。無理矢理護衛してやるって付いてきた奴らに比べたら、可愛いよ……」
じとっとした目を向けると、ソウシとアキヒは二人同時に目を逸らした。トキワは嬉しそうに微笑み、コガネたちに礼を述べる。
「ところでさ、どうして斧を作って欲しいって頼んだの?見た感じ、使いそうにないんだけど……?」
アキヒはじっと彼女を見つめる。
コガネより少しばかり背が高く、出るところは出て、括れているところは括れているという所謂『グラマラス体型』ではあるのだが、どう見ても斧など使うようには見えない。
「意外かしら?こう見えてもね、樵をして生計を立てているの。長年使っている斧がそろそろ壊れそうだったものだから、職人さんに作成を依頼したのだけれど……」
その細腕で如何にして樵をしているというのか。
マシロを除く三人は、一斉に心の中で呟いたのだった。
「さて、と。山登りをして疲れたでしょう?直ぐに布団の用意をするわね。その間にお風呂に入ってくれて構わないわ」
「じゃあ、私は洗い物するね」
「有難う、マシロちゃん」
トキワとマシロはテキパキと動き、残された三人は風呂の順番をじゃんけんで決める。

明日はキタイロン山を下り、アッティカ地方の町エレウシスを目指す。