さようなら、フンダリー・ケッタリー

頑張りは認めるけど、それは相手には伝えない方が良い

 貪るようなキスをしてきた槐がにこの浴衣の襟元に手をかけて、不意に動きを止める。何か逡巡した様子の彼は、徐に体を起こした。

「……何で急に止めるの?」

 お預けを食らわされた気になったにこがむすっとした表情を浮かべて問いかけると、彼は小さな声で理由を述べる。

「あの、避妊具を取りに行こうと思って……」

 激情のままに動いたものの、槐の脳内には少しは理性が残っていたらしい。「ゴムつけなくても良いよ、ピル飲んでるし」とにこが面倒臭そうに告げたが、彼は首を左右に振る。

「避妊の義務は、男性にもあるから」
「……あっそ」

 僕はちゃんと妊娠の危険を考えた上でセックスをします。と、槐が宣言しているように聞こえてしまったらしく、にこは鼻で笑った。ややあって、寝室に避妊具を取りに行ってきた槐が戻ってきて、続きが再開されて――にこは浴衣を脱がされていく。
 にこの肌に触れるのは久し振りで、酷く興奮している槐は手つきが乱暴になりそうになるが、無理矢理に抱きたいのではない、と、湧き出る欲望を理性で押し留める。酒に酔い、ほんのりと赤く色づいた彼女の肌はしっとりとしていて、手に吸い付いてくるようだ。そのことに、槐はうっとりとした。

「そんなにがっついてどうすんの~?余裕ないの~?あ、分かった~、性欲溜まってるんだあ~」

 けらけらと笑う彼女に軽口を叩かれて、槐は閉口する。確かに余裕はあまりないのだが、それを指摘されるのは何となく気分が悪い。「そんなことはないよ」と呟いて、彼女の汗ばんだ首筋に強く吸い付くのが、せめてもの抵抗なのだが――キスマークはつけるな、と、以前に注意されていたはずなのだが、彼はそのことを忘れ去ってしまっていた。

(凄く、ドキドキする……)

 泥酔しているとしか言いようのない状態なので普段の刺々しさが何処かへと行ってしまっているのか、にこはころころと笑い、ふとした拍子に色香を撒く。とても珍しいことだ。
 ――いつも、こんな風に笑ってくれると嬉しいのだけれど。と、槐が心の中で呟く。

「おい、こらっ。あんたも脱げっ」

 裸にしたにこの肌を撫でていると、彼女の手が乱暴に襟を掴んできて、槐の浴衣を脱がそうとしてきた。彼女の好みではないらしい体を見せることに抵抗がある槐が逡巡していると、赤ら顔のにこがおかまいなしに浴衣を引っ張ってくる。このままでは浴衣を破られてしまいそうだと悟った槐は観念し、手早く浴衣を脱いだ。
 こうして二人は真っ裸になった訳だが、にこは槐の裸をじろじろと不躾に観察し、槐は俯きつつも彼女の裸を見つめたりと反応は少々異なっている。

「……細っ」
「……っ」

 これまでは気にしたこともなかったけれど、にこの一言で物凄く気にするようになった自分の細身の体。呆れたように感想を吐き捨てられて、槐は再びむっとする。

「あー、はいはい、御免ね~、気にしてたんだね~」

 穏やかな微笑を湛えているか、悲しげな表情を見せたりすることが多い槐が拗ねた子供のような表情を見せたので、彼女は自分はどうやら失言をしたらしいと気が付く。膨れっ面をして目を逸らしている子供を宥めるように頭を撫でると、彼女は槐の首に腕を回して、御機嫌取りのキスをした。

(こうすれば僕の機嫌が直ると思っているんだろうな……)

 全く持ってその通りなので、槐は反論することはない。自覚しているのだ、何だかんだでにこに甘いのだと。
 仰向けに寝ている彼女のねっとりとしたキスを味わいながら、女性らしい丸みと柔らかさか幾らか増しているにこの体に槐が手を這わせていると、彼女は気だるげに身を捩っては徐に腕や足を動かして、彼をからかってくる。それにもめげず、槐は彼女の体を労わりながら、ゆっくりと解していく。その姿を目にして、嘗てはあった童貞らしさが薄らいでいっていると感じたにこは、こてんと首を傾げた。

「触り方が何だかいやらしい~。他の女で経験でも積んだの?」
「……そんなことはしていないよ。まだ、にこさんとしか……したこと、ないよ。他の人とする気もないから」
「あ、分かった。エロ動画とか漫画でも見て勉強した?やだ~、槐ってばスケベ~」
「っ、君が、言ったんじゃないかっ。そういうものでも見て、セックスの技術の勉強をしろって……っ」

 にこに鼻で笑われないようにと、経験の少なさを補う為には矢張り性の知識に関するウェブサイトや動画を見るしかないと槐は考えた。初めのうちは抵抗があったものの、勉強をするためだと言い聞かせて見ていくうちに、その感覚は次第に薄れていったので、どうやら槐も健全な男性だったようだ。

「ん~、そういえばそんなことを言ったような気がする。まあ、勉強しただけあって、上達してるわ~。動画見て得た情報を鵜呑みにして、そのまま自分本位に実践しないところが良いですね~。益々女の子にもてちゃうね!良かったね~、槐~」
「少しは、僕のこと、好きになってくれた?」
「君の為にエロ動画を見てセックスの勉強をしましたって言われて喜ぶ女なんていねーよ」
「……それはそう、だよね」

 実際にやっていたのだとしても、恋い慕う相手には言わないでおいた方がスマート且つベストだったのだろうと今更に気が付いても、槐の自己申告はにこの記憶からは払拭出来ないだろう。いや、かなり酔っているので運が良ければ忘れ去ってくれるかもしれないと、槐は微かな希望を抱く。

「ここ、好きだって言ってたよね?」
「んっ、ん~、今日は、それほど……っ?」

 自分の体に何をどうされると喜ぶのかと槐に教えたのはにこなのだが、彼女は強がって首を横に振る。相手のペースにはさせない、という意志表示だろうか。けれども彼女の秘所は熱く蕩けていて、内に沈んでいる槐の細く長い指をきゅうっと締め付ける。彼女の言葉と反応は裏腹だ。
 きゅっと引き結んだ唇が不意に解けて、短い嬌声と熱を持った吐息を漏らす。赤みを増した肌はじっとりと汗ばみ、槐を受け入れる準備が着々と整っていく。

「……私ばっかり、じゃない。あんたは、良いの?ほら、チンコ握ってやるから、もう少し、手の届くところまで移動、しろ……っ」
「僕は平気だよ。にこちゃんはもう大丈夫?僕が入っても、痛くなったりしない?」
「はあ?そんな並の大きさのチンコなんか、屁でもねーわっ!よし、さっさとゴム付けてぶち込んで来いっ!」
「充分に濡れていないと……痛い、でしょう?僕は良いけど、にこちゃんが痛い思いをするのは、嫌だから……」

 熟れた秘所に楔を打ち込みたいのを我慢して、槐は其処に口付け、舌を使って更に愛撫する。自分の欲望よりも、にこの心情や体の都合を優先したいらしい。

「だ……っからっ、もう、良いって!早く、しろ……っ!!この馬鹿っ!!」

 にこは上手く力の入らない拳で、駄々をこねる子供のようにぽかぽかと槐の頭を叩く。体内に溜まっている熱を発散させたくて仕方のない状況だということを、それで槐に訴える。すると、のろのろとした動きで身を起こした槐は困ったような表情を浮かべて、彼女に覆い被さると宥めるように頬を撫でた。

「にこちゃんの中に、入っても良い?嫌じゃない?」
「だーかーらー早くしろーっ!!!何だこの生殺しっ!?」
「……包茎シメジと一緒にしない?」
「はあ?未だ包茎シメジのこと気にしてんの!?うわっ、面倒臭い奴……っ!あー……あんたとシメジは……多分、違う」

 もどかしい思いをしているにこは現状を打破するべく、折れた。酒の力がなければ、それは成し遂げることが出来なかっただろう。とは言っても、吐き出した言葉の中には、少々の本音も紛れているのだが、彼女はそのことを気にも留めていない。

「……良かった」

 彼女の言葉を耳にして安堵した槐は手早く避妊具を付け、秘所に性器を宛がう。彼女の様子を窺いながら、ゆっくりと腰を進めて、窄まっている彼女の中を押し広げていく。

「痛く、ない?」
「痛がるほど、あんたのチンコ、でかくないっ」
「うん。あの、にこちゃん、動くね。嫌だと思ったら、直ぐに言って欲しい。直ぐに止める、から……」
「……あっ」

 捻りをも加えることもなく、早さもなく、緩慢な動きで単純に腰を動かしているだけだというのに、それが心地良く感じられる。槐は性欲を発散する為だけに腰を振っているのではないのかと考えそうになって、にこはいやいやと頭を左右に振った。

「……動きがっ遅いっ!もっと、早く、動けっ!あんた、本当にエロ動画を見て、勉強したのっ!?活かせよ、知識をっ!」
「気持ち、良くない?」
「そんなの、関係ない、でしょ……っ!んっ、ん……っ」
「僕だけが気持ち良いのは、嫌だ。にこちゃんも、気持ち良くなってくれないと……っ。前の時みたいに、僕に教えてよ、どうしたら、にこちゃんが気持ち良くなれるのか……」

 こんな風に愛されたいと、言って欲しい。にこの望むように、にこを愛したいと、歯の浮くような甘い台詞を耳元で囁かれて、彼女は背筋がぞくぞくとした。それは悪寒なのか、それとも恋に憧れていた頃に夢見たように愛されているのかと錯覚したからなのか。

「……後ろ、から、抱きしめながら、されるのが、良い。正常位より、好き……っ」

 予想もしていなかった事態が起こり槐は混乱するが、何とか理性を保つことに成功した。分かった、と呟いた槐は一旦楔を引き抜いて、にこが体の向きを変えるのを手伝う。四つん這いになった彼女に一声かけてから覆い被さり、力が衰えていない分身を彼女の中に沈める。二人の間に隙間が生まれないように、槐はにこをぎゅっと抱きしめて、腰を動かす―ーが。

「んっ、そこ、良いっ。もっと、もっと擦って……っ」
「御免、にこちゃん。僕、もう……余裕、ない……っ」

 素直になったにこが可愛くて、槐の理性が吹っ飛んだ。欲情に負けた槐は本能のままに、細い腰を突き動かす。荒々しく攻め立ててくる槐に翻弄されて、にこは乱れ、嬌声を上げた。

 激しい疲労と酒の力が合体すると、とても強力な睡魔が生まれる。セックスの後片付けを放棄したにこは、鼾をかきながら眠っていた。目覚まし時計の音を聞くこともなく、自然と目が覚めたのは翌日の朝だった。

「頭痛え」

 広々としたキングサイズのベッドに寝かされていた体を起こすと、遅れて頭痛がしてきた。見事に二日酔いとしていると自覚した彼女が鈍い痛みを訴えてくる頭を押さえて項垂れていると、隣でもぞもぞと何かが動いたのを感じる。目だけを動かして確認すると、いつの間にか普段着を見つけていた槐が隣で横たわっていて、にこが自分に気が付いたのを確認すると、彼も体を起こす。

「おはよう、にこちゃ――にこさん」

 上機嫌の槐がキスをしてきた。彼の思わぬ行動に心が跳ね上がるかと思いきや、彼女は眉間に皺を寄せ、槐をぎろりと睨みつけた。

「……あの、歯磨きはもう、済ませているから……御免ね、次からは気を付けます……」

 初めて甘い空気の中で互いを求め合うことが出来たのに、にこは余韻に浸っていてはくれず、槐の甘い幻想をぶち壊してくれる。意気消沈した槐が朝食の用意をしに行って来ると言い残して寝室から去っていく背中を凝視した後、彼女は頭痛とは違う痛みを言った得てくる関節や筋肉を擦り、溜め息を一つ吐いて、ベッド脇のチェストに置かれていた服に着替えた。
 槐の存在は気にせずに洗面所に向かい、顔を洗って眠気を払拭したにこは必然と鏡を見た。そして、顔を引き攣らせた。鏡に映っている自分の首筋に、赤い印が一つ付いているのを見つけてしまったのだ。

「槐!!!」

 大声を出すと頭痛が酷くなったような気がしたが、そんなことはどうでも良い。女性らしさを忘れ、蟹股気味でずかずかと歩き、にこは槐を探す。彼を見つけるのには時間は全くかからなかった。彼はキッチンに佇んでいて、冷凍食品の説明を読み込んでいる。その姿を目にしたにこは激昂し、彼を締め上げにかかった。

「槐!キスマークは付けるなって言っただろうがっ!!」
「え?……あっ!ご、御免ね……つい……」

 その後、にこの理不尽な怒りはなかなか治まってはくれず、槐が平身低頭でにこに謝ったのは言うまでもない。彼はどういう訳かにこの存在を尊び、美化しすぎているのかもしれない。