――温かいものが身体の中に流れ込み、染み渡っていく感覚を覚えた。
目を開けて、状況を把握しなければ。だが、瞼が酷く重たく感じられて、それは叶わなかった。
(あー、俺ってばどうしたんだぁ?)
未だぼんやりとしている意識を総動員して、記憶の糸を手繰り寄せる。
『何かあるっぽいよ』と書かれていた貼り紙の警告を無視して、ソウシは潔くボタンを押した。案の定それは罠で、時間差で床が崩れ、ソウシは落ちていった。
「ソウシ!!!」
頭上からコガネの声が小さく聞こえてきたので、予想よりも高いところから落ちたのだと悟る。
「お?」
運が良い事にランタンが無事だったので、周囲を照らし、見渡してみる。現在地は落とし穴ではなく、一本の通路だったようだ。
「お~、大丈夫だ。あのよ~、こっちにも道があるから進んでみるわ。お前らも先に進めよ~?そうすりゃ、何処かで合流出来るだろ」
頭上に向けて声をかけ、ソウシは思うがままに歩を進め始めた。仲間とはぐれて一人となった場合、下手にその場から動かない方が良いのだが、この時のソウシには妙な自信があった。
このまま進めば、コガネたちと再び合流出来ると。
「ん?」
気の向くままに宛てもなく進んでいると、突如揺れを感じた。それは段々と、此方へと近付いてくる気配を伴っていた。
「……水の匂い?」
こんな所で、何故?
頭上にハテナを浮かべた瞬間、周囲の壁が崩れ、大量の水が溢れ出てきた。
「はあっ!?ありえねえだろっ!うわ……っ!!」
逃げる間などなく、ソウシはあっけなく水に押し流される。力一杯抵抗してみたのだが、水の圧力には流石のソウシも勝てず、結局流れに飲み込まれてしまった。
――そこからは、記憶が途切れている。
(て~ことは、俺ってば溺れ死んじまったってことか?げっ、土左衛門かよっ!?いや、それにしちゃあ、身体の感覚がはっきりしてるような……?)
死んだことがないので、当然ながら死後のことは分からない。
動かせはしないが、『身体がある』ということだけは理解出来ているので、生きているのかもしれない。
「ん~?おかしい、なぁ。そろそろ、目を覚ましても良いと思うんだけ、ど~?」
どことなく間の抜けた、所謂脱力系の男の声が聞こえてきた。どうやら、直ぐ傍に誰かいるようだ。その人物が、ソウシを助けてくれたのだろうか。
(聞き覚えのねえ野郎の声だな……)
通りすがりの一般人だろうか。しかし、数十年も人っ子一人近寄らぬ迷宮の中に一般人がいるのだろうか、否、いるはずがない。
「うん、こういう時は『アレ』、だ。そう、『伝説のアレ』、だ」
謎の声の主は、意を決したようだ。
(おい、『伝説のアレ』って何なんだよっ!?)
詳細が非常に気になる。今ならば、貼り紙に突っ込みを入れていたアキヒの気持ちが良く分かる気がする。
(――ん?)
不意に、柔らかくて温かいものが唇に押し付けられたのを感じた。人肌の、何かが。
「ふごおぉぉぉぉぉっ!!!?」
「わっ」
重たい瞼を根性で抉じ開け、仰向けに寝かされていた身体を無理矢理起き上がらせる。
「ん?」
ソウシは憤怒の形相で首を横に向け、今の今まで寝ていた人間とは思えないほどの素早い動きで、きょとんとしている青年の胸倉を掴んだ。
「い、い、い、い、今!てめっ、な、何、何しやがった!!?」
混乱状態にあるので、舌が上手く回らない。相手に通じるだろうか。
「え、目覚めのチュウだけ、ど?」
――通じた。
病的なほど色白で眠たげな目をした青年は、さらりと答えた。
「……『伝説のアレ』って、それかよ……っ!」
あまりにもしょうもない真実に、ソウシは涙が出そうになってしまった。
「眠れるお姫さ、ま?ん~、うん、お姫さ、ま。うん。の、目を覚ますには王子様~のチュウが最適ですって~のが、御伽噺の常識らしいので試してみまし、た。伝説は本当だった、よ、うん。証明出来たね、良かったね、おめでと、う。ん?若しかして、俺の独り言、聞いてた、の?」
独特の調子で、つらつらと語る青年の様子に、ソウシは呆れ果てて項垂れる。段々と、怒る気まで失せてきてしまった。
中途半端に意識が戻っていなければ、知らずに済んで幸せだったろうに。早々に意識を取り戻していたのならば、寸でのところで阻止出来ただろうに。後悔の念が、脳裏を駆け巡る。
「……まあな、とりあえず、だ。助けてくれたんだよな、それについては礼を言うよ。有難う。『アレ』については忘れる、何が何でも忘れる、意地でも忘れてやる。……で、お前、誰だ?ああ、俺はソウシっていうんだ」
引き攣った笑みを浮かべるソウシは、青年に礼を言いつつ、名を尋ねる。
「俺はシリウスだ、よ」
彼は脱力系の緩い笑顔を浮かべ、素直に名乗ってくれた。
(んん?)
何処かで耳にしたことがあるというか、ここのところよく耳にするようになった名前ではないか。
「……お前、若しかして……デミウルゴスのシリウス・アイテル?」
情報管理は相棒のアキヒに任せきりなので、基本的に物事は適当にしか覚えていない。そんな彼女にしては珍しく、一言一句間違えることなく正式名称を覚えていた。これは非常に素晴らしいことである。
「うん、そうだ、よ。ん?どうして、俺の名前知ってる、の?初対面のはずだけ、ど?」
傍に置いていた杖を手に取り、彼は間の抜けた声で肯定した。
(苦労したっちゃーしたけどよ、いやにあっさり見つかったような気がするのは俺の気の所為かっ!?)
捜索対象を発見したことに感動するかと思いきや、ソウシの心中は何故か複雑だった。
――こんなのが、初めてまともに見る『生のデミウルゴス』。
それが、彼女の正直な感想だった。もっと威厳に満ち溢れた存在なのだろうかと、多少思っていたらしい。因みに、リゲルはマシロの身体を奪っているので回数には含んでいない。
「あー、ハゼって野郎がな、お前のことを教えてくれたんだよ。マシロの身体から、リゲルの魂を引き離すことが出来る奴だって……」
「……ハゼ?それにリゲル?リゲルなら、カスタリアの泉に封じたはずだけ、ど?」
シリウスの萌黄色の瞳に、僅かに鋭い光が宿る。
「そのリゲルが封印を破って、マシロっていう女の子の身体を奪っちまったんだ。えー、あー、何だ、ベテルギウス……だったか?そいつも身体を手に入れて、ヘレネスじゃあ崇拝の対象になってるぜ」
ベテルギウスについては曖昧にしか覚えていないので、詳しく知りたい場合は仲間に聞いて欲しいとソウシが告げる。彼女の話を黙って聞いていたシリウスは、無表情のまま虚空を見つめている。
(想定していたより、早い、な)
カスタリアの泉に蓄積されていた霊力が尽きてしまったのだろうか。しかし、そうなることがないはずだと判断して、あの場所を選んだというのに。原因は、詳しく調べなければ分からないので、今は原因の追究は保留にしておく。
問題は、リゲルが同調者の身体を手に入れてしまっているということだ。
(読みが甘かった、ねぇ……)
これほどの時が経過していれば、同調者も人間と変わらない存在になっているだろうと計算していたのだが、『先祖返り』という現象が起こり得る可能性があることは、すっかり失念していた。
いや、どこかで『そうなったとしてもどうでもいい』と思っていたのかもしれない。だからこそ、見落としたのだろう。
(ハゼ、ねぇ……)
今の時代に、デミウルゴスの存在を知っている人間はいないはずだ。そうなるように仕組んだのだから。人間がその名を口にするということは、『あれ』が絡んでいるに違いないと、シリウスは確信した。
「それにしても、よく此処が分かった、ね?」
シリウスは、唐突に話題を変えた。
「あ?ああ、『アルゴスの目』を使ったからな」
「へぇ、あれ、まだ使えたん、だ?というか、俺に施された『識別暗号呪術』が生きてたん、だ?」
自分で作り上げたものの性能の素晴らしさに、シリウスは自画自賛しそうになる。
「だけどなあ、リゲルが子機とやらを持っていっちまったんだよなあ……」
「ふぅん……」
テレポーテーションが使えるリゲルのことだ、『アルゴスの目』の存在を覚えていたのであれば、利用しようと考えるのは頷ける。
(『本体』でも捜す気か、な?そうじゃないと、『本来の力』が使えないから、ね……)
だが、場所を見つけられはしても、容易に奪い返すことは出来ないだろう。『あれ』のことだ、ぬかりなく駒を配置しているに違いない。
(何年経っても、変わらない、か……)
浅はかさを嫌う割に浅はかな真似をする癖は、どれほど時が経過しようとも治りはしないらしい。
「ソウシは……マシロを助ける為に、俺を捜した、の?」
再び、唐突に話題が変わる。
「俺もそうだが、俺よりももっと助けたがってるガキがいるんでね。根が真っ直ぐで良いガキなんだがよ、問題を一人で抱え込もうとしたり、他人に甘えるのが下手でな。放っておけねえんだよ」
ソウシは、悪戯小僧のような笑みを浮かべる。
「マシロもマシロで、ぽやんとしてんだか、実はしっかりしてんだか分かんねえからよ、つい世話焼きたくなるしよ……」
「良い、よ。ソウシの御願いきいてあげ、る」
彼女の口調、表情に表れている思いが伝わったのか、シリウスはにっこりと笑った。
「本当かっ!?」
コガネが聞いたら、喜ぶだろう。その様子を想像したソウシの顔が、ぱあっと明るくなる。
「うん、本当」
ハゼとやらの背後に隠れている者が絡んでいるのが少々気に入らないが、そんなことはどうでもいい。シリウスはソウシの人柄が気に入ったので協力をする気になったのだ。
(おっと、急がねえとな)
未だ迷宮の中にいるであろうコガネたちと、早急に合流しなければ。
その旨をシリウスに告げると、彼は手を差し出してきた。握手をするものだと思ったソウシは、その手を握り返した。
(うわっ、細ぇな)
その手は男性らしい手であったが、骨張っていて、強く握り締めたら骨が折れてしまいそうだった。
「はぐれないようにお手々繋いでいこう、ね?」
「お手々っておい……、俺、そんな可愛らしい年齢じゃねえんだけどよ……」
口振りと醸し出す雰囲気からして、シリウスが決してソウシを馬鹿にしているのではないということは理解出来る。しかし、お子様扱いされているような感がするのも否めない。
(こいつの生きてきた年数を考えると、仕方がねえのかもなぁ)
デミウルゴスは、黎明の時代を生き、今も生き続けているという稀有な存在。二十代前半に見えるシリウスだが、実年齢は三、四桁に達しているのかもしれない。その彼から見れば、二十二歳の立派な成人女性であるソウシも幼子に等しく思えるのだろう。
「しっかし、お前。こんな暗くて、つまんねえ場所に居続けられるよなあ?」
自分の手をしっかりと握って歩いているシリウスに問いかけてみる。
「煩わしいものがなくて、静かで、変化もなくて、ぼーっと寝て過ごす分には随分と快適な場所だけ、ど?」
「あん?宮殿跡付近には、夜な夜な得体の知れないもんが出るんじゃねえのか?」
だから、地元の人間は怖がってこの付近には近寄りはしないのだと、イラクリオンで耳にした。――正確には、自分以外の仲間が。
「夜な夜、な……?ああ、それは多分……俺が作った見張り用の『
『呪術精霊』とは、シリウスが開発した呪術で生み出された擬似生命体の呼称だ。ある程度の行動様式を記憶させておけば、命令通りに動かせる優れものなのだそうだ。魔物が迷宮の中へ侵入してこないようにと、周囲に配置していたのだと彼は言った。
「ふぅん」
得体の知れないものの正体には、どうやらシリウスが関係していたようだ。
「つーかなぁ、この中、広すぎるし複雑すぎるだろ。訳分かんねえし、変な貼り紙とボタンの罠に引っ掛かって落ちるし、挙句、水に流されるしよ……」
思えば、あのような事態に陥っておきながら、よく生きていられたものだ。自身の生命力の高さに、ほとほと感心してしまう。
「ああ、あのボタン押した、の?あ、そっか。だから、あんなところで倒れてたわけ、だ」
人間の気配を感じたので何となくその場に赴いて、気を失って倒れているソウシを発見したのだ。
――何故、こんな所に人間が?
その疑問が解けたので、シリウスは納得をしたのか、うんうんと頷く。
「迷い込んできた誰かが押したら面白いかな、と思って、罠を作ったんだったっけ。そうそう、そうだった、ね。ソウシが押してくれなければ、忘れ去ったままだった、よ。いやいや~、ありが……」
「てめえの仕業かあぁぁぁぁぁぁっ!!!」
怒髪衝天のソウシは、繋いでいた手を振り解き、シリウスの胸倉を掴みあげる。
「わ、男よりも力が強い、ね」
「喧しいわ!ん!?お前、俺が女だって気付いてたのか!?」
驚いたソウシは怒りを忘れ、シリウスの胸倉を掴んでいる手を離した。男だと思われる事に慣れ過ぎて、てっきりシリウスもまた自身のことを男だと思っているに違いないと決め付けていた。
「ソウシを見つけた時に、生きてるかな~って触って調べてみたら、あるべきものがなくて、ないはずのものがあったか、ら」
「……」
もう、お嫁にいけない。
普段の調子であったなら、気軽にこんな冗談を言えたのだが、今のソウシにはそんな気力はなく、ただ石のように固まっていることしか出来なかった。
***************
この人数で協力して戦えば、この怪物――ミノタウロスを倒すことが出来るだろうと考えてたことを、コガネたちは後悔していた。彼らは、苦戦を強いられている。
ミノタウロスの歩み自体は遅いのだが、歩幅があるので直ぐに距離を詰められてしまう。結果、走り回るので体力の消費が激しくなる。
「わっ!?」
手にした斧を振り下ろす速度が半端ではないので、避けるのにも一苦労だ。巨大な斧の重量と振り下ろしの速度が合わさった時の破壊力は凄まじく、直撃を受けた床には大穴が開いている。運良く攻撃を受け止めたとしても、その先に待っているのは――死だ。
(くそーっ、やっぱり厳しいなーっ!)
囮役を買って出たアキヒは、ミノタウロスの目を惹きつけながら、如何にして攻略したら良いのかを考える。
(コガネは動きと勘が良い。トウカは矢の扱いに長けてるし、トキワが一撃が重いから、攻撃を受け止められても少しずつ疲労を蓄積させられる……)
だが、三人は『素人』だ。
この旅を始めるまで、この一行に加わるまで一般人、貴人として暮らしてきた彼らが、魔物との戦いに慣れているはずがない。
(コガネは僕たちと一度だけ仕事をしたことがあるけど、正直な話、賞金首は中級程度だったし、ソウシもいたからなぁ……。この牛、上級以上……特級じゃないの?)
賞金稼ぎを生業としているだけあって、アキヒは魔物との戦闘になれている。しかし、主な役割はソウシの補助だ。主戦力ではない。
(うぅ~、主戦力を欠いてる戦いは不安だよ……。相手が相手だし。でも、死ぬのだけは絶対に嫌だから、踏ん張るけどね……!)
僕は誰かと違って、約束は破らない。
アキヒの目が、鋭さを増した。
「さて。彼らに死なれては困るので、貴方の相手をするのはここまでにしましょうか」
掌の上で短剣を一回転させて、逆手に持っていた柄を握り直すと、ハゼは唇を三日月の形にして微笑んだ。
「――っ!」
ハゼの身体が不意に揺らめいたと思った瞬間、彼は一気にシロガネとの距離を詰めて、彼の脇腹目掛けて凶器を突きたてるが、シロガネは驚異的な反射神経でもって、それを回避した。もう半瞬でも反応が遅ければ、その凶刃は己の脇腹に深々と突き刺さっていたに違いない。
「これはこれは、腹が立つほど優れた反射神経をお持ちのようで。いえ、隻眼だからこそ身に付けなければならなかった、が正解ですかね?」
隻眼という不利な条件を克服する為に、あらゆる感覚が研ぎ澄まされているのだろう。五感が満足に使えている人間よりも厄介だ。
(……この男、慣れている……)
不敵な笑みを湛えている眼前の男は、正確に急所を狙ってきた。迷うことなく、殺すつもりで。
(……これが、エウメニスとプラクシディケが言っていた、『鷲』の犬……)
戦いの玄人だろうとは予測していたが、まさかこれほど危険だとは思っていなかった。白兵戦では、この男には勝てはしないだろう。
「……」
シロガネは表情を変えずに、組み立てていた戦術を別のものに切り替える。
油断をしてはいけない。隙を作ってしまえば、この男は守るべき対象――リゲルを狙い、仕留める。
***************
「……わぁ、不思議だ、ね。リギィ……リゲルの気配がす、る」
急に足を止めて、シリウスがぽつりと呟いた。
「リゲルだって!?何で、あいつが此処に!?」
「リギィは、『アルゴスの目』の子機を持っていったんで、しょ?だったら、ソウシたちみたいに、此処に辿り着くことは出来る、よ?」
その言葉を耳にした途端、さあっと血の気が引いていく。
「不味い、あいつらじゃハゼの野郎は止められねぇ!おい、シリウス。リゲルがいる方向は分かるんだよな!?急ぐぞっ!!!」
焦燥感に駆られたソウシが、シリウスの腕を引っ張り、慌てて駆け出した。
「……ハゼ?リギィじゃない、の?」
何故それほどまでに慌てふためくのかと、シリウスが問う。デミウルゴスではなく、人間の方に危機感を感じているソウシが不思議でならないのだ。
「アイツは、何の躊躇いもなくリゲルを、マシロを殺そうとする。初めて会った時がそうだったからな。あいつはきっと、殺す事に慣れてる奴だ、多分」
「それは、日頃の観察の結果論な、の?」
「違う、野生の勘だ」
確かな証拠があるわけではないが、ハゼには危険な部分があると本能が告げるのだ。
あれ以来、ハゼは大人しく自分たちと共に行動をしている。しかし、リゲルが現れれば、彼は目的を達成しようと行動に出る。コガネは自分で止めようと奮闘するだろうが、彼ではハゼには敵わない。
「危険だと分かっているなら、どうして、行動を共にしている、の?」
「目の届く範囲にいてくれりゃ、どうにか出来るかもしねえだろ。野放しにして、マシロが殺されたりでもしたらコガネが泣く。何も出来なかったってな。……それにアイツが一番、デミウルゴスの……俺たちの欲しい情報を持ってたからな」
「……ふぅん、分かった」
少々引き摺られているように駆けているシリウスは、ソウシのその説明で納得したようだ。
(頼む、俺の心配しすぎなだけで終わってくれよ……!)
考えすぎなだけで済めば、それに越したことはない。寧ろ、そうであってほしいくらいだ。
「……」
己の手を引いて駆けている背を一瞥して、シリウスは伏し目がちになり、虚空を見つめた。
(リゲルが宿る身体を失くしてしまえば、宿主を殺してしまえば良いだけ、だ。だけど、その方法は……『あの子』が最も悲しむことだって、あいつは知ってるはずなの、に……)
***************
「何なのよ、この牛!ちっとも傷がつかないじゃないのよっ!?」
少しでも弱らせようとして次々に矢を放っているのだが、想像以上にミノタウロスの皮膚が硬く、弾かれてしまう。
コガネの剣やトキワの斧にしても同様だ。せいぜい、細かな傷がついてくれる程度しか効果がない。
(うーん、やっぱり無理があるよねぇ)
賞金稼ぎの世界で使われている言葉を使えば、このミノタウロスは特級賞金首と同等だと考えられる。その階級の魔物は、凄腕の賞金稼ぎが何人も、何十人も集まって漸く倒せる代物だ。
この人数で、素人の集まりで戦いに挑んでいることは無謀でしかないとアキヒは理解している。
(頼りたくはないけど、頼りの綱とも言えるハゼはアイドネウス総長と交戦中。助けを求めるのは無理、ていうか、するのにも抵抗があるんだけど。態勢を立て直そうと後退しようにも、この牛に直ぐに追いつかれそうだし……)
――この面子で出来ることは尽きたか。そう思った時だった。
「おい、お前ら!急いでその牛から出来るだけ離れろっ!!!」
聞き覚えのある声が、その場にいる全員の耳朶に触れる。
――ソウシだ。
思わず歓喜の声を上げそうになるが、再会を喜びあっている暇はなどありはしない。何かを察したコガネたちは、大急ぎでミノタウロスから離れていった。
「良いぞ、シリウス。今だ!」
「はいはーい、燃えちゃ、えー。――『燃え盛るプレゲトン』」
どことなく間の抜けた声がしたのと同時に、ミノタウロスの身体は紅蓮の焔に包まれて、あっという間に灰燼に帰した。
「……シリウス」
呼び出した魔物を一瞬で倒されてしまったことには動じず、今まで高みの見物を決め込んでいたリゲルは、それを成した者の名を忌々しげに呟いた。
「久しぶりだね、リギィ?」
ソウシの背後から現れたシリウスは、眠たげな目をリゲルに向けながら、ゆっくりと前に進み出る。
「シリ……ウス?」
捜し求めていた者の名を耳にしたコガネは、唖然とする。どうしてソウシが、シリウスを伴って現れたのかと。
「詳しい話は、後、な」
コガネの心中を察したのか、ソウシは苦笑しながら彼の頭をぽんぽんと軽く叩いた。