王都アテナイへと続く街道を南下していたコガネとマシロは、デルフォイのあるロクリス地方に別れを告げ、ボイオティア地方の町カドメイアへと辿り着いた。
デルフォイからカドメイアまでは歩いて三日はかかる距離なのだが、その道程の途中で親切な荷馬車の御者に出会った。
――荷が落ちないように見張りをしてくれるのなら、無料でカドメイアまで乗せて行ってやろう。
二人と同じくらいの年頃の子供がいるという御者の申し出に、有難く甘える事にした。
その御蔭で、ここまでにかかった時間は一日半と、思っていた以上に早くカドメイアに到着出来、路銀の節約にも成功したのだった。
(幸先良いなぁ)
一つ目の目的地へと無事に到着出来た事に満足したコガネは、荷馬車の御者に礼を述べて別れると、ホッと胸を撫で下ろした。
街道に沿って南下してくと、キタイロンという名前の山にぶつかる。
山越えをするには万全の体力で望まなければと二人は考え、キタイロン山へと向かう前に、今日のところはカドメイアで一泊しようということになった。
なるべく低料金の宿を探していると、町の広場に人だかりが出来ていることに気が付く。何か遭ったのだろうか。二人は自然と、その場に足を向けていた。
***************
「何か遭ったんですか?」
人だかりの中心へと目を向けている中年の女性に、マシロが尋ねる。その女性は、彼女の問いに快く答えてくれた。
「キタイロン山に続く道がね、突然現れた魔物に塞がれてしまったのよ」
ボイオティア地方とアッティカ地方を繋ぐ重要な街道の一つが塞がれた為、主な物流が途絶えてしまい、その所為でカドメイアの人々は困り果てているのだという。
「それでね、町長が町の『|賞金稼ぎ組合《バウンティハンター・ギルド》支部』に依頼して、魔物退治をしてくれる人を募ったらしいわ。ほら、あそこに集まっている人たちが、賞金稼ぎなんですって」
女性が指差した方向には、見事な体躯をした屈強な武装した男たちが、十数人ほど集まっていた。
普段の生活において、賞金稼ぎというものに関わることがない町の人々は、彼らに興味の眼差しを向けている。物珍しさから、彼らを見物しにやって来た人々でこの人だかりが出来ているのだと、その女性はやや興奮気味に教えてくれた。
「その道が塞がれてるって事は、キタイロン山を越えられないって事か……っ!?」
それでは折角立てた計画が台無しではないか。誰だ、先程幸先が良いなどと言ったのは。それはコガネだ。
――お先真っ暗だ。
いきなりの問題発生に、頭の中が真っ白になってしまったコガネは力無く項垂れた。
「あらいやだ、何だか揉め始めたわよ……」
マシロの質問に答えてくれた女性が、賞金稼ぎたちの集団の方から聞こえてきたざわめきに、思わず眉を顰めた。二人も、同時にそちらへと目を向ける。
「おい、嬢ちゃん。来る場所間違えてんじゃねえのかぁ?買い物するんだったら、店はあっちだぜ?」
ガラの悪そうな賞金稼ぎの男が、鮮やかな緋色の髪をした少女に絡んでいる。男の頬に赤みがあることから察するに、昼間から酒を飲み、既に出来上がっているようだ。
年の頃は、二人よりも少し幼いくらいではないだろうか。そう思われるその少女は、下卑た声を出す男を、黙って睨み返していた。
「ま、買い物なんかより、俺とイイコトでも……っ」
男の言葉は、全てを言い終える前に不意に途切れた。
少女は素早く回し蹴りを男の鳩尾に叩き込み、その身体が大きくよろめいた隙を突いて足払いをし、地面に転がす。その動作があまりに流麗だったので、二人は思わず目を奪われた。
(ロ、ロリコンに罰が当たった……!)
確かに、二十代から三十代と見受けられるその男が、未成年である彼女に手を出したら、それは立派な犯罪である。しかし、着眼するべき点は其処ではない。
「あのさぁ、こう見えても、賞金稼ぎの仕事は五年もやってるんだ。素人じゃないよ。あと、僕は男だよ。今度女扱いしたら、あんたを男じゃなくしてやるから、覚悟してよね?」
仰向けてのびている男を、冷ややかな目で女顔の少年は見下ろす。
「あの子、凄く可愛いのに男の子だったんだね!?わぁ~。ん?ねえ、コガネ。男じゃなくしてやるって、どういうこと?」
「えぇ!?お、俺に訊かれても……っ」
小首を傾げて、上目遣いで尋ねてくるマシロに、コガネはぎょっとして身を強張らせる。あの少年の言った『男じゃなくしてやる』という言葉が意味する事柄は、大体想像がつく。自分が男であるだけに。
(どう説明しろって言うんだよ!?)
そのことをマシロに詳しく説明する勇気は、コガネには無かった。
「おいおい。いくら癇に障ったからって、これはやりすぎじゃねか、アキヒ?」
何処かから戻って来たらしい蒼い髪をした男が現れ、眼下で沈黙している男を見やると、眉を寄せる。
「……アキヒ!?もしかしてテメェ、『赤い悪魔』アキヒか!?」
周囲に居た賞金稼ぎの一人が、大声を出す。
「ってーことは、こっちの男は『青い悪魔』ソウシか!?」
「冗談じゃねえよ、こいつらに関わるとロクな目に遭わねえって噂だ!俺はこの仕事を降りるぜ!」
少年と青年の正体が分かると、賞金稼ぎたちは一目散にその場から逃げ去って行った。
「……ねぇ、僕たちって怖がられるような存在なわけ?何なのさ、『赤い悪魔』って。センス皆無だね!」
勝手に与えられた不名誉な二つ名で呼ばれた事に立腹した少年は、地団太を踏む。
「あー、報酬の交渉してる様が悪魔に見えたんじゃねえか?お前ってば守銭奴だし、金に関してはとことん強欲だし、隙あらば報酬を値上げしようとするし、ついでに髪赤いし」
「違いますー、これは緋色って言うんですー!ソウシなんて銃火器マニアだし、直ぐに物を壊しちゃう破壊神だし、俺様だし、どこからどう見ても立派な成人男性なのに生物学上は成人女性だし、ついでに髪蒼いし」
青年ではなく、男気溢れる長身の女性は、鋭い目で少年を見下ろす。
「……五月蠅えぞ、チビっ子」
「……ふん、生命の神秘が!」
二人の間に、険悪な空気が流れる。
「ほわぁ~、あの人は女の人なんだ!?吃驚だね、コガネ!」
「あ、ああ……」
コガネは、『このまま暢気に見物をしていても良いのだろうか』と悩んでいた。だが、マシロは暢気に話しかけてくるので、引き攣った笑みを浮かべながら相槌を打つ。
愛らしい少女に見える少年と、青年にしか見えない女性の言い争いを遠巻きに眺めていた町長だが、このままでは埒があかないことに気が付く。
「あ、あの、魔物退治はして頂けるのでしょうか……?」
覚悟を決めた町長が、恐怖で顔を引き攣らせながら二人の間に割って入る。
「あ?……ああ、それはちゃんとするぜ。一度受けた依頼は反故にしない主義なんでな。あー、標的はドラゴンだったか?ま、気合でどうにかすらぁ。報酬貰わねえと食っていけねえからよ、俺たち賞金稼ぎは」
「そうそう、お金は大事なんだから」
ひらひらと手を振りながら、町の出口へ向かって歩いていく二人を、慌てて町長が呼び止める。
「し、しかし、相手はあのドラゴンですよ!?二人だけでは危険です!」
ソウシと呼ばれていた女性は歩みを止めて振り返り、周囲を見渡す。広場を囲むように出来ていた人だかりはいつの間にか解消されており、呆然とした表情で突っ立っているコガネとのほほんとしているマシロが残っているだけであった。
(おっ)
ソウシはコガネが腰に佩いている剣に気が付くと、唇の両端を吊り上げて弓形にし、目を細めた。
「コイツに手伝ってもらうわ。だから、契約を破棄しようとすんなよ?」
「はあ、そうですか……って、はあぁぁ~~~~~~~~~~~~~~!?」
一瞬納得しかけたが、直ぐに我を取り戻したコガネは素っ頓狂な叫び声を上げる。
成り行きで傍観しているだけだったのだが、何故か巻き込まれてしまっていた。
***************
「結構良い肉付きしてるね。扱き使えそう!」
魔物退治を詩に行く前に腹ごしらえをしよう。そういうことになり、コガネとマシロは抵抗する暇も与えられず、流されるままに大衆食堂へと連行されてしまった。
いまいち事態を把握出来ていないマシロは、目の前に並べられた御馳走に釘付けになっている。一方、この賞金稼ぎの二人組に巻き込まれてしまったコガネは、仏頂面をして黙っている。それを良い事に、アキヒと呼ばれていた少年は、先程からコガネの身体を勝手に触りまくり、使える人材であるか否かを調べていた。
「……俺たちはアテナイに用があって、キタイロン山を越える前に身体を休めようと思って此処に寄っただけの単なる一般人だ。魔物退治なんて出来るわけがないだろ!?」
長い沈黙を破ったコガネは、それまで溜め込んでいた憤りをぶつけるかのように、両手を机に叩きつける。その大きな声と音に驚いたマシロは、びくっと身体を強張らせた。
「だってお前、剣持ってたからよ。だから、使えそうかなって思って。今回の仕事を滅多にない高額報酬でよ、機会を逃したらアキヒがキレそうだったから」
コガネの剣幕に怯むことなく、長身の女性――ソウシは、しれっとした表情で答えた。
「だからって、見ず知らずの他人を巻き込むなよ!?これは護身用の剣で、使い方だって初歩を習ったくらいで殆ど自己流の域だし、コソ泥相手ならしたことがあるけど、魔物相手は実践したことないんだ。俺は、絶対に役に立たないぞ!」
せいぜい魔物を追い払うくらいのことしか素人の自分には出来はしないと、コガネは豪語する。デルフォイからカドメイアまでの道のりも、あの親切な御者に荷馬車に乗せてきてもらったから無事に辿り着けただけで、それまでに魔物に出会って戦ったことはない。デルフォイの神殿で起こった出来事を除けば、の話だが。
コガネのその様子に、アキヒは短く息を吐いた。
「一般人だったら、乗合馬車を使うとか、護衛を雇って長距離を移動すると思うけど?まあ、ボイオティアやアッティカは人口が多いから、護衛を雇うまでのことはしなくても、せめて乗合馬車を利用するよね」
その手段を用いなかったということは、それなりに戦えるのではないか。そう考えたアキヒは、意味深長な目でコガネを一瞥する。
コガネたちの住むこの世界には、人間を襲う魔物が存在している。そして、盗賊などが現れることもある。それらから身を守る為に、戦う術を持たない人々は寄り合い、力を合わせて町から町へと、地方から地方へと移動することは常識である、とも言える。
「……仕方がないだろ、資金が足りないんだから」
乗合馬車を利用したり、宿に止まる為の資金をもっと寄越せなど、コガネには言えなかった。そんなことをしたら、孤児院で暮らす子供たちに皺寄せが行ってしまう事が分かっていたのだ。
(いきなりアテナイに行くって言い出して、困らせたってのに、これ以上困らせたくない。渡されたお金を大切に使いたいから、敢えて馬車を使わなかったんだ……!)
ぎり、と歯を食いしばり、怒鳴り散らしたいのを堪える。
「金がねえなら、自分で稼げばいい。ぶっちゃけ、俺らだけでもどうにかなるんだがよ、あの町長の爺、二人だけじゃ駄目だとか何とか言いやがる。人数合わせに協力してくれたら、報酬の何割かはお前らにやる」
それが手に入れば、アテナイまで馬車で向かったとしても、おつりがあるくらいの額だと、ソウシは言う。
「な、助けると思って!」
ソウシは両手を合わせ、拝むようにして頭を下げる。アキヒもまた、彼女に倣ってそうした。
「二人が三人になっただけで、どうにかなるのかよ……」
危険な目に遭う可能性が高いことは分かるが、それを承知で協力すれば、見返りとして金銭が手に入る。それがあれば、マシロだけでも楽をさせてやれることは間違いない。コガネの心は、金の誘惑にぐらついていた。
(協力するのはいいとして、その間マシロを一人にするわけには……)
逡巡するコガネの肩を、マシロがそっと叩く。
「ねえ、コガネ。魔物を退治しないと、先に進めないんだよ?この町の人たち、困ってたよね?私たちに出来ることなら、協力しよう?私も頑張って魔法使ってお手伝いするから、ね?」
「うぐ……っ」
彼女のその真摯な瞳に気圧され、コガネは声を詰まらせる。
確かに彼女の言うとおり、魔物が退治されない限り、この先へと進むことは出来ない。別の方法がないこともないが、其方の方はというと日数も金銭も今の進路よりかかってしまうことはコガネには分かっていたので、容易に変更しようとは言い出せないのだ。
「君、魔法が使えるの?」
「うん、何でか使えるようになったの、ちょこっとだけ。だからね、少しは役に立てると思うの」
アキヒが不思議そうに彼女を見つめると、彼女はにっこりと笑った。
「……分かったよ、協力する」
暫し黙考して、コガネは結論を出した。
「お嬢ちゃんの鶴の一声の御蔭だな。目出度く契約成立ってーことで」
ソウシは手を叩き、にんまりと笑う。
(目出度くはないだろ……)
そう突っ込みを入れたかったのだが、結論を出すことに精神的に疲れたのか、コガネはぐったりと力無く項垂れる。
「兎に角、だ。先ずは自己紹介だな。すっかり忘れちまってたぜ。俺はソウシ・アレスってんだ、ソウシって呼び捨てにして良いぞ。特別にな!」
「僕はアキヒ・メルクリウスだよ。僕も呼び捨てで良いからね、特別に」
悪戯小僧のような表情で、二人は名乗る。
「私はマシロ・セレネっていうの。宜しくね、ソウシちゃん、アキヒちゃん!」
「……俺はコガネ・アギュイエウス」
早速彼らを『ちゃん付け』で呼んでいるマシロは強者だ。心の中で半ば呆れ気味に呟くと、コガネは盛大に溜め息を吐いたのだった。
***************
腹ごしらえを済ませ、カドメイアを後にしたコガネたちは、キタイロン山へと続く街道を南下していく。
そして、賞金首となった魔物が目撃されている場所を目指して歩いている最中、不意にコガネは思っていたことを口に出した。
「なあ。退治しないといけない魔物って、ドラゴンとか言ってなかったか?そんなの相手にしろっていうのかよ、冗談じゃねえぞ」
ロクリス、ボイオティア地方に棲息している魔物は、強弱で言えば比較的下位に属している魔物が多い。それ故に、コガネやマシロのような一般人でも、何か得物を所持しているのであれば追い払うことくらいなら出来る。
だが、ドラゴンとなると話は別だ。
ドラゴンは上位に属する魔物で、戦い慣れていないコガネでは手も足も出ない。いや、命を落とす可能性の方が非常に高い。
(最悪の場合、死ぬじゃないか)
仏頂面で文句を言うコガネの肩を軽く叩き、ソウシは堂々と言い切った。
「信じろ。俺はドラゴンですら簡単に倒せるってな。信じる思いは力になるんだぜ……?」
「根拠の無いことを格好良く言ってのける、その自信はどこから来るんだよ、アンタ」
不信感全快のコガネは、半眼になり、噛み付くような突込みを入れる。すると今度はアキヒが彼の肩を叩いた。
「安心してよ、死ぬようなことはさせないからさ。ちょっと囮になって、喰われかけてもらうだけだから!」
「滅茶苦茶命懸けじゃねえかよ!!!」
囮になって喰われかけるなど、冗談ではない。数日前、本当に魔物に喰われかけたというのに。あんな痛い思いは二度と御免だ。
「コガネ、頑張ってね!私、いっぱいいっぱい応援するから!」
「え……」
キラキラと目を輝かせるマシロに見つめられて、コガネは酷く落ち込む。魔物に喰われかける囮の役目が、自分に決定されたような気分になる。
しかし、悠長に構えていられる暇はそう長くは与えられなかった。
「喋ってるうちに出てきやがったぜ、奴さんがよ」
数いる魔物の中でも知能が高く、更に能力も高いとされているドラゴンが彼らの前に姿を現す。想像していた大きさよりは幾分か小さかったが、それでもコガネよりは大きい。
ソウシは腰に装着しているホルスターから、同じ形状の拳銃を二挺取り出し、銃口を獲物へと向ける。
「よし、行くんだコガネ!僕のお金の為に!」
「何で俺が!!!」
アキヒを睨みつけて一言叫ぶと、コガネは鞘から剣を抜き払い、標的に向かって走り出す。軍医であった父親から護身術程度に剣術を習ったことがあるとはいえ、コガネは魔物との戦い方を知らない。それでも必死に勢いよく刀身を振り下ろすが、ドラゴンの身体を覆う鱗は硬く、叩き切ることは出来なかった。
僅かに傷を付けられた事に腹を立てたドラゴンは、身体をぐるりと回転させ、長い尾でコガネを叩き飛ばそうとする。寸でのところで、コガネは大きく後ろに飛び退り、それを回避した。
「お、やるじゃない♪」
トンファーを両手に携えたアキヒも、コガネの後に続くように軽やかに駆け出す。マシロは後方で、彼らを支援するべく魔法を紡いでいる。
「お前、素人だとか言ってた割には良い動きしてんじゃねえか!」
「必死なだけだ、話しかけるな!気が散る!」
亡き父に教わったことを思い出しながら、自分なりに考えて、コガネは動く。
魔物退治の玄人であるソウシとアキヒは、抜群の連携攻撃でドラゴンを翻弄する。マシロもまた、使えるようになって間もない魔法を駆使し、精一杯援護に徹している。
その甲斐もあり、彼らはどうにか賞金首のドラゴンを退治する事に成功したのだった。
「つ、疲れた……っ。これで、キタイロン山に、行ける……ぞぉっ」
初めての戦闘を終えたコガネは緊張の糸が切れ、その場にへたり込んでしまう。息が上がってしまい、呼吸をするのが辛く、胸がとても苦しい。
「よ~し、報酬貰いにカドメイアに戻ろうぜ~」
息一つ乱していないソウシは大きく背伸びをし、ゆっくりと歩き始める。
「どうしてっ、アイツはっ、息がっ、乱れてないんだよっ!?」
「ソウシってさ、体力馬鹿なんだよね。脳ミソが筋肉で出来てるからさ……」
明後日の方向へと目をやっているアキヒは、他人事のように呟いた。
「ご、御免……私……歩いていけそうに……ない……っ」
青い顔をしたマシロが、突如その場に崩れ落ちる。
「マシロ!」
コガネは急いで立ち上がって駆け寄り、倒れてしまった彼女を抱き起こし、顔を覗き込む。まさかと思ったのだが、と静かな寝息が彼の耳に入ってきた。どうやら酷く疲れたので、身体が休息を欲しがり、眠ってしまったようだ。その事に安堵したコガネは彼女を背負い、カドメイアに向かって歩き出す。
ふらふらしながら進むコガネを見兼ねたソウシが、彼に近寄る。
「お前、疲れてんだろ?俺が担いでいってやるよ」
「……いいっ!」
差し伸べられたソウシの手を振り払い、コガネは彼女の横をふらつきながら通り過ぎていく。
(あーあ、意地張っちゃって)
冷淡な眼差しで、アキヒはその背を見つめる。
乱暴に手を振り払われたソウシは目の色を変え、大股で歩いて、コガネの前に回りこんで立ちはだかる。
「……ガキぃ、人様の親切には素直に従えってんだよ!」
「は?いでぇっ!!!」
握り拳を脳天に振り下ろされた衝撃で、目の中に星が飛び散る。その衝撃波凄まじく、危うく後ろに倒れてしまうそうになるが、寸でのところで足に踏ん張りを利かせて、難を逃れる。
倒れてしまったら、背負っているマシロを下敷きにしてしまう。
「……何するんだよ!?」
「何を意地張ってんだか知らねえが、そんなんだと周りが見えなくなるぜ。折角手を差し伸べてもらってんだ、大人しく握り返せばいいんだよ。お前は未だガキなんだからよ」
「……っ!」
ガキって言うな。そう言い返したかったのだが、何故か言うことが出来ない。言葉を失っているコガネからマシロを奪い、ソウシは軽々と彼女を背負う。
「ガ、ガキって、言うな……っ」
漸く言うことが出来た時、アキヒがコガネの肩を叩く。
「マシロちゃんをちゃんと休ませてあげたいなら、ソウシの言うことを聞いた方が良いよ。とりあえず、今はあのお節介を利用しておくべきだね。膝、笑ってるよ?」
「!」
彼の言うとおり、膝が笑っている。それ以上は何も言うことが出来なくなると、コガネは黙って彼らの後に付いて行った。
***************
魔物退治を終えた一行は、カドメイアへと戻る。
町長が手配しておいたという宿に案内され、マシロをベッドに寝かせる。ソウシとアキヒは町長に報告を済ませる為、再び外へと出て行った。
その場に残ったコガネはベッドの傍に椅子を置いて腰掛け、昏々と眠るマシロの顔を眺める。
眠りに落ちたことで体調が良くなったのだろうか、蒼白だった顔に赤味が戻っている。それを見たコガネはほっと胸を撫で下ろし、そして直ぐに顔を顰めた。
「……アンタたちに、俺の何が分かるってんだよ……っ」
今日始めて会ったばかりの二人組――ソウシとアキヒの顔が脳裏に浮かんだ瞬間、コガネは苛立ちを顕わにする。彼らに関わらなければ、マシロがこのように倒れることはなかったはずだと。
「マシロがいなくなるなんて、嫌なんだよ……っ」
彼女が倒れた時、コガネは血の気が引く思いをしたのだ。両親の時のように、突然置いていかれるのかと、恐怖が彼の心を支配した。
彼女は眠っているだけで、死んでしまったわけではない。それを確認したことである程度平静を取り戻しかけていた心が、再びざわめき出す。
一刻も早く、アテナイへ向わなければ。
リゲルの正体を知る為に。未だマシロの内に潜んでいるかもしれないリゲルを追い出す術を見つける為に。
ふっ、と、不意にコガネは嘲笑を浮かべる。
「……俺、何を焦ってるんだろ……」
急いては事を仕損じるのだと分かっていても、気が付けば焦って、苛立っている。一人で事を成し遂げようとして、見栄を張ろうとして、不用意に他人を寄せ付けないようにしている。
一通りぐるぐると考え込んだことですっきりしたらしく、大分冷静になってきた。
(……用事が済めば金を渡して放置するのかと思ってたけど、アイツ等、俺たちを見捨てていかなかったよな……)
ソウシは手を差し伸べてくれた、彼女なりの親切心に従って。だが、コガネは強がり、その手を振り払ってしまった。
「悪いこと、しちゃったなぁ……」
そんなことをしてしまった自分に、先程マシロが倒れた原因は彼らだと決め付けた自分に嫌気がする。
――人様の親切には素直に従えってんだよ!
――折角手を差し伸べてもらってんだ、大人しく握り返せばいいんだよ。
強烈な拳骨を喰らわされた時の、ソウシに言われた言葉を思い出す。彼女から見たコガネは、意地っ張りの子供以外の何者でもない。
(十五歳は、未だ子供なんだな……)
彼女にとってしまった態度、行動は決していいものではなかったと、コガネは深く反省する。
「……うーん」
「おい、盗み聞きは良くねえぞ」
扉に張り付き聞き耳を立て、部屋の中の様子を窺っているアキヒを、呆れ顔のソウシが小突いた。
コガネたちの様子が気になるといえばそうなのだが、そんなことをまでしてまで知ろうとは思わない彼女は彼の行為を窘める。
「だってさぁ、なーんか理由がありそうだったんだもん。頑なにマシロちゃんを守ろうとしてるっていうか、うん」
いやに意地を張っているように見受けられたと、アキヒは語る。コガネが頻りにマシロの様子を窺っているのが気になったようだ。
「ふん、悪趣味だな。でもなぁ、アレくらいなら可愛いもんだぜ?初めて会った頃のお前に比べりゃ、そりゃもう」
例えるなら、手酷く傷ついた野良犬のようだった。
当時のことを思い出したソウシが苦笑すると、今度はアキヒが彼女を小突いた。
「古傷抉るの止めてよね。仕方がないでしょ、あの頃は人間不信に陥ってたんだもん。……で?僕の時みたいに、お節介焼くつもりなんでしょ?」
「まあ、文句言ってた割にはちゃんと仕事手伝ってくれたしな。出血大サービスで世話焼いてやろうかと」
きっとアイツはとてつもなく嫌な顔をするだろうから、それが楽しみだ。
意地の悪い笑みを浮かべるソウシを見て、アキヒは肩を竦め、盛大に溜め息を吐いた。
「……本当にお節介なんだから、ソウシってばさ!」
そのお節介に絆されて今の自分が出来上がったことを理解しているアキヒは、唇を尖らせて拗ねてみせる。
「おう、文句あんのか?」
けらけらと笑いながら、女性にしては大きく無骨な手で、ソウシはアキヒの頭を少し乱暴に撫で回した。
***************
漆黒の闇の中に、マシロはぽつんと立っていた。
彼女以外に何も存在していないかのような空間の一点を、彼女はねめつけるように凝視している。
<一体何時まで、無駄な抵抗を続けるつもりなのかしら?>
彼女の目の前に、ぼんやりとした淡い光が出現する。とても綺麗な柔らかい光なのだが、それが纏う雰囲気は見た目に反してどこか禍々しい。
「私はずっと抵抗し続けるよ、リゲル。……貴方に身体を渡さない為に」
淡い光――先日マシロの身体を奪った謎の存在であるリゲルに、彼女ははっきりと告げる。
<苦しいのでしょう?早く楽になりたいのでしょう?>
どこか楽しげに、リゲルは語りかける。早々に身体を明け渡せば楽になれるのだと、マシロを誘惑する。
「貴方が何をしたいのか、それは私には分からない。でも、貴方に身体を渡してはいけない気がするの。だから、何を言っても駄目だよ」
マシロは、その誘いを突っぱねる。
<……まあ、いいわ。そのうち耐え切れなくなるでしょうから。それからでも遅くはないわ……>
今はマシロの抵抗を楽しむ事にしよう。
そうして、リゲル――光は霧散していった。闇の中には、マシロ一人が残される
(身体を渡してしまったら、コガネはきっと自分を責める。そんなことさせたくないから、私は出来る限り抵抗する……!)
徐々にマシロの意識は朦朧とし始め、突如途切れる。浅い眠りから、深い眠りに切り替わったようだ。
***************
「よっ、おはようさん、コガネ、マシロ」
考え事をしているうちに、いつの間にかベッドに突っ伏して眠ってしまっていたらしい。ソウシに揺すられたコガネは目を覚まし、朝が訪れていたことを知る。
「……おはよう」
「おう」
昨日の今日なので、何となく気まずそうに挨拶をすると、彼の予想を裏切る明るい声が返ってきた。その声音は、怒気を孕んではいなかった。
「おっはよー」
「むふ~、おはよぉ~、ソウシちゃん、アキヒちゃん」
コガネがソウシの大きな手でぐりぐりと頭を撫でられていると、マシロが目を覚まし、眠気の抜け切っていない声で二人に挨拶をした。
「マシロちゃん、身体の調子はどう?」
「うん、もう大丈夫だよ!心配してくれて有難う、アキヒちゃん」
アキヒが声をかけると、マシロはにっこりと微笑んで答える。
(……良かった)
彼女の様子に、コガネは安堵の息を吐く。
「突然だが、仕事を手伝ってくれた礼に出血大サービスでアテナイまで護衛してやる事にした。オラ、さっさと支度しやがれっ」
ソウシの提案を耳にした瞬間、コガネは僅かに残っていた眠気が完全に吹き飛ばす。
「……はあ!?い、いいよ、そんなのべ……っ」
ゴツッ。
その先は言わせはしないと、ソウシはコガネの額に銃口をぴったりと突きつける。
「文句、あるのか?ん?」
「……いえっ、有難く……そうさせて……頂きます」
逆らえば、即座にあの世行きだ。
生殺与奪の権を彼女が握っているのだと悟ったコガネは、嫌な汗を滝のように流しながら、賛成の意を示した。
「ソウシちゃんとアキヒちゃん、一緒に行ってくれるの?」
「うん、君たち、旅慣れしてないんでしょ?さっきソウシが言ってた通り、出血大サービスって事で。ああ、ちゃんと魔物退治の報酬もあげるから、安心してね♪」
というのは単なる名目で、本当のところはソウシのお節介なんだけどね。と、アキヒは内心で続ける。
「良かったね、コガネ!」
彼らが護衛を申し出てくれた理由が分からないので、コガネは不安になる。だが、旅慣れていない自分たちには、正直な話、その申し出は有難い事この上ない。
「……ああ」
差し伸べられた手を振り払うことはせず、コガネは今度は握り返した。
「んじゃ、先ずは朝飯食いに行こうぜ」
手短に身支度を整え、一行は宿の食堂へと向かうことにする。
「ソ、ソウシ……っ」
マシロとアキヒが率先して廊下を歩いていく。
早く言わなければ。決心したコガネは恐る恐る彼女を呼び止めた。
「ん?どした?」
「あ、あの……その……昨日は、御免なさい」
それを言うのが精一杯だった。俯いて、ぼそぼそとか細い声で謝ると彼女は目を丸くしたが、直ぐに目を細めて笑った。
「気にしてねえよ、俺も殴っちまって悪かったな。痛かっただろ?ってわけで、これでお相子にしようぜ。あと、これから宜しくな」
「……うんっ!」
その言葉が嬉しくて、コガネは思わず顔を綻ばせた。
(コイツ、ガキらしい可愛いとこあるじゃねえか)
コガネの肩を軽く叩くと、ソウシは先に行った二人の後を追うべく、歩いていった。
(兄ちゃんって、こんな感じ……なのかな)
ソウシの態度に好感が持てたことで、兄弟のいないコガネは兄が出来たような気分になるが、ふと気が付く。
アキヒ曰く、ソウシはあの見た目だが生物学上は女性であるらしいので、『兄ちゃん』ではなく『姉ちゃん』が正解だと。
(……本当に女なのか、アイツ……?)
真実を確かめようにも、その有無を確かめる勇気はコガネにはなかった。
(まあ、この際どうでもいいか)
深く追求しないことにしようと決めたコガネは、昨日は夕飯を食べずに眠ってしまったので、早くすきっ腹に朝食を詰め込もうと駆け足で食堂へと向かった。