ネネとスー

《オマケ》

※本編後の話です。
※【いつかの光景】~【異世界こみゅにけーしょん】の間の話です。

ぽかぽか日和

 鬼の霍乱、とまでは言わないが、色気よりも逞しさを売りにしている寧々子が熱を出して倒れることはある。或る日のこと、季節の変わり目でも何でもない過ごしやすい時期に寧々子は風邪をひいて寝込むことになってしまったのだった。

「やりたいこといっぱいあるのに~、うわぁ~天井が回ってるぅ~」
「回ってんのはお前の目だ」

 家事がしたい、畑仕事がしたい、家畜の世話がしたい、井戸端会議に参加したい、買い物に行きたい、などと寝床の上で喚いている寧々子をスーリヤが白い目をして見下ろしている。

「そんな状態で動いていたらお前が怪我をするかもしれねえし、カルナを危ない目に遭わせちまうかもしれねえだろ。大人しく寝てろ」

 生まれて数ヶ月経ったばかりの乳飲み子――二人の子供であるカルナは、居間の方に移動した揺り籠の中ですやすやと寝息を立てて眠っている。因みにこの揺り籠は特注品だ。この村で売っている揺り籠は兎の亜人(アルミラージ)の赤ん坊の体に合ったものばかりで、虎の亜人(ドゥン)と人間の混血児であるカルナの体の大きさには合わない。それを知ったタウシャン村の村長ムスタファーが、出産祝いにと贈ってくれた物なのだ。
 自分は兎も角、我が子の怪我をさせるなんてことはしたくはない。と、考え直したらしい寧々子は小さな声で「はい」と、スーリヤに返事を寄越した。

「でも、スーはどうするの?御飯とか……」

 一人暮らしがまあまあ長かったので掃除も炊事も一通りはこなせるとスーリヤが答え、寧々子はまた小さな声で「そっかぁ」と返事を寄越してくる。

「カルナはどうしよう……未だ母乳しか飲めないし……でも病気の時に母乳を飲ませると病気を移しちゃうんじゃないかなぁ?どうしよう~~~」
「……俺が何とかするから……兎に角、寝てろ」

 最低限の用事以外で起き上がったり、歩き回ったりするなよ、と、寧々子に釘を刺したスーリヤは、カルナが目覚めそうに無いのを確認してから、家を出た。彼が先ず向かった先は、隣家だ。

「あら、おはよう御座います。どうかなさったの?」
「おはよう御座います。朝早くからすみません、実はネネが……」

 常日頃から親しくしてもらっている隣家のギュル夫人に事情を話す。元気者の寧々子が風邪をひいて寝込んでいると耳にするや、ギュル夫人や彼女の背後から顔を覗かせていた子供たちが目を丸くして、戦いた。
 ――どうやら寧々子は病気や怪我とは無関係な、亜人並みに頑丈な体をしている人間である。と、彼らに認識されているようだと分かり、スーリヤは危うく噴出してしまいそうになったが、何とか堪えた。

「ネネが寝込んじゃったのね、それは一大事だわ!ネネにはいつもお世話になっているから、勿論、力になるわ」
「有難く甘えさせて頂きます。それで……俺が留守の間、ネネとカルナの様子を見ても貰えないでしょうか?」
「任せて頂戴。出来るだけ小まめに様子を見に行くわね」
「有難う御座います、助かります」

 ギュル夫人の好意に深く感謝して、スーリヤは次の目的地に向かう。彼が向かったのは、村で唯一の薬師であるスレイマンの住居だ。薬師スレイマンは村長のムスタファーとは古馴染みで、彼から寧々子とスーリヤの事情を聞いていて、中立の立場をとって接してくれている人物の一人だ。また、人間に対する偏見もないので安心して寧々子を診て貰えるということで、スーリヤはスレイマンを頼ることにしたのだった。

「ネネが風邪をひいて寝込んでいる?それは大変だ。病人の状態を見なければ適切な薬の処方が出来ないからね、午前中は用事があるから、午後になったら御宅に伺おう」
「宜しく御願いします、スレイマン先生」

 薬師スレイマンとの約束を取り付けたスーリヤはほっと息を吐いて、一度帰宅する。すると丁度カルナがぐずり始めたところに居合わせたので、彼はおくるみに包まれているカルナを抱き上げる。御機嫌斜めな我が子をあやしながら、スーリヤは寝ている寧々子の側に静かに腰を下ろすと、伝えることがあるので寧々子に声をかけた。寧々子の目がゆっくりと開いて、スーリヤの姿を捉えると、彼女は力無く笑った。今朝よりも熱が上がってきたのだろうか、顔の赤味が増して、目がとろんとしている。

「あれ?スー、御仕事は?」
「今から行く。午後になったら薬師のスレイマン先生が来てくれる。それを伝えに来た」
「そっかぁ、ありがとね、スー。あ、そうだ。さっきね、ギュルさんが来てくれて、カルナに羊のお乳を飲ませてくれたんだ。スーがギュルさんに頼んでくれたんだってね。ありがと、スー……」
「どういたしまして。……仕事に行って来る、ゆっくり寝てろよ」
「うん。いってらっしゃい、スー……」

 再び目を閉じた寧々子の頬を、スーリヤは空いている方の大きな手で撫でる。肉球から伝わってくる寧々子の体温は、かなり高かった。
 腕に抱いているカルナが大人しくなったので、居間に置いた揺り籠の中に戻して、スーリヤは人差し指で我が子の頬を優しく擽る。御機嫌になったらしいカルナがじっと見つめてくるので、スーリヤも目を細めて、唇の両端を僅かに上げた。

「”とと”がいない間、”かか”の見張りをしててくれ」

 そう声をかけると、カルナが無邪気に笑う。後ろ髪を引かれたが、スーリヤは仕事場であるバイェーズィートの自宅へを向かった。

 本日の仕事は、倉庫の整理だ。相棒バイェーズィートの自宅の側にある大きな――といっても、スーリヤからするとまあまあな大きさの――倉庫に辿り着くと、気配を察したらしいバイェーズィートが中から出てきた。

「お、今日はちっと来るのが遅かったな。カルナがぐずったか?」
「ネネが風邪をひいて倒れた」

 と、簡潔に告げると、バイェーズィートはギュルたちと同じ反応をした――いや、それ以上の驚き具合だ。顔が面白いことになっている。あと二、三回ほどこういう反応をされたら流石に寧々子が哀れだな、と、どこか他人事のように考えながら、スーリヤは早速、荷物の整理を始める。

「あのネネが寝込むくらいだろ?物凄い威力の風邪なんじゃねえだろうな?」
「……お前、ネネのことを何だと思ってんだ?……まあ、ちっと気の緩んだところで何処かで風邪を拾って来ちまったんだろ」
「そうだな、油断すると直ぐに体調崩したりするもんな。こんな時は親兄弟がいてくれると心強いんだが……お前のお袋さんは遠いバンラージャにいるし、ネネの親兄弟はいねえっていうし……ちっとばかし心細いな。困ってんだったら遠慮なく言えよ。俺も嫁さんも力になるからよ」
「ん、有難うな」
「素直なスーリヤって気味悪いな!」
「五月蠅い、釣り餌にして湖に沈めるぞ」

 気の置けない仲のバイェーズィートと軽口を叩き合って、得体の知れない心細さが薄らいだような感じがした。後ろ向きな思考に陥りがちな時、バイェーズィートの底抜けの明るさが有難い。
 時折寧々子とカルナに思いを馳せながら仕事に励んでいるうちに、昼時を迎えた。スーリヤが帰宅しようとしたその時、バイェーズィート夫妻に呼び止められる。

「おう、スーリヤ。何だったら、今日の午後は仕事休んでも良いからな。お前に向いてる力仕事は午前中に殆ど済んでるから、お前がいなくても何とかなる」
「うちの家族のついでで悪いのだけれど、お料理を沢山作ったの。良かったら、持って帰って食べて頂戴。ネネが好きな人参ケーキ(ジェゼリィエ)も入れておいたから」
「……有難う、デニズ」
「おい、俺は!?俺に御礼はないの!?」

 持ち運びのしやすい食事を持たせてくれたデニズに感謝して、言葉と態度には絶対に出さないがバイェーズィートの好意にも感謝して、スーリヤは一旦帰宅する。

 自宅に辿り着くと、中から出てきたギュル夫人と鉢合わせした。寧々子とカルナの分の食事を運んで来てくれたようなので、スーリヤはギュル夫人に深々と頭を下げてから、家の中へと入る。

「おかえりなさい、スー。あのね、スレイマン先生が来てくれて、薬を処方してくれたよ。ムスタファーおじいちゃんとスィベルおばあちゃんも一緒にお見舞いに来てくれたの」
「……そうか」

 午前中の用事が早く済んだので、薬師スレイマンはスーリヤの家を訪ねて、寧々子の薬を処方してくれたらしい。その証拠に、寝室には生薬の匂いが漂っている。何処かから話を聞きつけたという村長夫妻もお見舞いの品として、手軽につまめるお菓子などを持ってきてくれていた。

「あっちの部屋で食べなくて良いの?風邪、移っちゃうかもよ?」
「人間と違って、亜人はそう簡単には風邪ひかねえって」
「それなら良いんだけどさー」

 居間で一人で食事をするのも味気ないので、スーリヤは寝室に料理を持ち込んで、夫婦揃って食事を取る。ギュル夫人手製の鶏がらスープ(チョルバ)を美味しそうに食べている寧々子をぼんやりと見つめていると、視線に気がついた寧々子が「どうかしたの?」と声をかけてきたので、スーリヤは適当に言い訳を考える。

「それ、美味そうだな」
「うん、美味しいよ。一口食べる?」
「食べる」

 細かく刻んだ人参やネギ、細かく裂いた鶏肉などが入ったチョルバは柑橘類の果汁をかけて食べるので、さっぱりとした口当たりだ。これなら病人でも食べやすいし、生姜の汁も入っているので体も温まる。寧々子にとっては三口くらいの一口を頂いたスーリヤは、器と匙を寧々子に返却する。

「そっちの焼肉( ケバブ )を挟んだパンも美味しそうだね。買ってきたの?」
「いや、帰り際にデニズが持たせてくれた。バイェーズィートとデニズがネネにお大事にって言ってたぞ」
「おお、ありがたやー、デニズさん……とバイェーズィートさん。風邪が治ったら、御礼におやつの差し入れしなくちゃね。……スー、そのジェゼリィエ、食べたい」
「はいはい」

 高熱の峠が過ぎたのか、処方してもらった薬が効いているのか、午前中よりも寧々子の顔色が良い。食欲も十分にあるようなので、これなら風邪の治りは早そうだとスーリヤは安堵する。

紅茶(チャイ)淹れてくるけど、ネネも飲むか?」
「うん」

 寧々子に確認を取ってから、スーリヤは食事の後片付けをしつつ、台所へと移動していった。暫くして戻ってきた彼の手には茶器を載せたお盆があった。ふんわりと漂ってくる香りは、寧々子がいつも入れるチャイとは違っている。

「熱いから気をつけろよ」

 スーリヤから見たら、寧々子は猫舌だ。なので、そう告げてから、チャイが注がれた硝子のコップを寧々子に手渡す。

(あ、やっぱりスパイス入りミルクティー(マサラチャイ)だ)

 赤々とした紅茶らしい色ではなく、柔らかな薄い赤茶色をしたマサラチャイは熱々だ。寧々子は充分に息を吹きかけてから、一口飲んだ。

「ん、おいしぃ」

 生姜の風味と砂糖の甘味が多少強く感じられるマサラチャイは、寧々子が体調を崩した時にスーリヤが作ってくれる、特別な飲み物だ。以前は、どうして作ってくれるのだろう?と不思議に思っていたし、本人にも尋ねてみたのだが答えは得られなかった。それが判明したのは、いつぞやかに出逢った彼の末妹カーリーの思い出話を聞いた時だ。

『スーリヤ兄様は兄弟の誰かが体調を崩すと、必ずマサラチャイを作ってくれます。マサラチャイには体に良い香辛料が入っているので、薬代わりにもなるです。早く良くなりますようにって、兄様が思いを込めて作ってくれるです』

 おろおろとしながら世話を焼いてくれる次兄のチャンドラの思いも嬉しいが、対照的に静かに見守りながら気遣ってくれる長兄のスーリヤの思いも嬉しかったと、カーリーが言っていたことを寧々子は思い出す。

(ちょっと口は悪いし、素っ気無いし、顔も強面な方だけど……スーは優しいんだよね)

 あれこれと世話を焼いてくれる訳ではないが、スーリヤが病身の寧々子を気遣ってくれているのを感じて、心がぽかぽかとしてくる。マサラチャイに含まれている生姜や香辛料の成分が効いてきて、体も自然とぽかぽかとしてくる。

「……何笑ってんだ?」

 カルナがぐずりだしたのであやしにいっていたスーリヤが、カルナを抱いて戻ってくると、寧々子がにこにこと笑っていたので、彼は思わず訝った。

「スーの愛が一杯入ってるマサラチャイが美味しいから御機嫌なのです」
「……熱がまた上がったのか?」
「失礼だなー、もう!でも根は誰よりも優しいの知ってるんだからねっ!スーに心配してもらえるの、嬉しいの!だって普段素っ気無いんだもん……」
「隊商の護衛の仕事に出て帰ってくる度に、やれネネが川や湖に落ちただの、やれ屋根から落ちただの、やれロバや羊に引き摺られただの、やれ鶏に突かれただのと聞かされる方の身になれ」
「……以後、気をつけます」

 そんなことはありません、と否定出来ない寧々子が小さくなる。その姿を見たスーリヤはやれやれとばかりに小さく息を吐いて、「困った”かか”だな」と我が子に声をかけると、苦笑いを浮かべた。
 ――ま、寧々子のことだから反省したことを直ぐに忘れるんだろうな、と。

***************

 ――三日後。薬師スレイマンに処方してもらった薬の効果と、珍しく大人しくしていたことにより、寧々子は全快したのだが――動けるようなった途端に無茶をした。
 大人しくしていた反動なのか、全力で家事に育児、畑仕事などに打ち込んだ結果、伸びて動けなくなってしまった。自分が病み上がりの身であることを綺麗サッパリ忘れてしまっていたらしい。

「……寧々子、其処に座れ」
「……はい」

 その日の夜に、凄みのあるしかめっ面をしたスーリヤに寧々子が説教をされたのは、言うまでもない。

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