ネネとスー

《オマケ》

※本編後の話です。
※【いつかの光景】~【物思う、心配性の虎】の間の話です。

異世界こみゅにけーしょん(3)――親と子――

 寧々子がカルナを連れて、念願の里帰り――といっても良いのかどうか、本人は迷っているところだが――をしてに二日ほどが経過した。朝早くから、あちらの世界では嗅ぐことのなかった牛の匂いを充分に嗅ぎながら、寧々子は牛舎の掃除に精を出していた。

「なちゃ!カルナもやる!」

 草森家の人々に対して、カルナはいつの間にやら人見知りをしなくなっている。好奇心に満ちた目をキラキラと輝かせて、草森家のゴリラ――もとい稲穂に声をかけた。

『お、手伝ってくれるのか、かぅな?よーし、(もーもー)に餌あげような』

 農業用フォークを使って牛に餌をやっていた稲穂は一旦手を止めて、目線をカルナに合わせてくれた。そして徐に牧草を掴むと、近寄ってきたカルナに渡して、餌のやり方を教えている。カルナはあちらの言葉、稲穂は日本語を話している為に言語を理解しあっている訳ではないようだが、意思の疎通が何となく出来ているようだ。

『このくらいの子供ってめんこいねぇ』
『だな。俺も子供欲しいわ、労働力として』
『子供の前に、嫁さん貰わないと駄目っしょ』

 せかせかと体を動かしながら暢気に喋っている兄と弟に向けて、寧々子が言い放つ。すると稲穂が渋い顔をして、寧々子の方へと顔を向けてきた。稲穂の顔に皺が増えると、よりゴリラ色が強くなる。と、妹の寧々子は素直に思った。

『ネネ……おめー、田舎の農家の嫁不足を舐めるなよ?田舎の農家で跡継ぎの長男だってだけでハードルが高いってのに、更には先祖代々受け継がれてきているゴリラ顔ですよ?俺は!絶望を!覚えている!!次男で仏像顔の麦よ、お前もそうだろう!?』
『御免よ、稲ちゃん。俺、遠距離恋愛してる彼女いるんだよね……仏像フェチの。俺って、何処かのお寺の弥勒菩薩像に似てるんだって。インターネットって素晴らしいよね……』
『麦の裏切り者おおおおおおっ!!!何だそれ、出会い系!?紹介して!!ゴリラマニアの女性プリイイイイイズ!!!』

 勝利者の顔をしている弟に涙目で縋りつく兄の姿を目にして、寧々子は思った。これは当分、嫁の来手がなさそうだ、と。見なかったことに、聞かなかったことにしようと決めて、楽しげに沢山の牝牛と交流しているカルナに目を向ける。

『寧々!お祖母ちゃんがお祖父ちゃんと遠出してるから、昼御飯の支度を手伝って頂戴!』
『はーい』

 牛舎の入り口から顔を覗かせた母親の木綿子に了承の返事をして、彼女は道具を片付け、カルナに声をかけた。

「カルナ、おいで。ばぁばの所に行こう?」

 手を差し伸べると、カルナは首を横に振る。そして稲穂の許まで駆け寄り、その太い足にしがみついた。未だ此処にいたい、と意思表示をしているかのように。

『かぅなは未だ稲ちゃんたちといるかー?よしよし、愛い奴めー❤』

 愛情表現として頬擦りをするも、稲穂は渋い顔をするカルナに嫌がられた。頬に引っ掻き傷を作って血を滲ませても、稲穂は特に気にしていないようなので、寧々子と麦穂は放っておくことにした――カルナが全力で嫌がらない限りは。

『俺たちがかぅなの面倒見てるから、寧々ちゃんは母ちゃんを手伝ってあげてよ。何かあったら直ぐにそっちに連れて行くからさ』
『うん、分かった。宜しくね、麦』

 麦穂にカルナたちのことを任せて、寧々子は母親が待つ母屋の台所へと向かっていった。

***************

 八人がけの食卓の上には山盛りの野菜と、一尾の鮭が置かれていて、その向こうにある作業台の前には母の木綿子が立っていた。彼女は鍋で湯を沸かしながら、手早く野菜の皮を剥いては適度な大きさに切り刻んでいる。
 寧々子の祖父母は出かけた先で食事をしてくると言っていたらしいので数に入れないが、家には大食らいの男が三人残っている。彼らの食欲を考えると、これだけの材料が必要になってくるのだ。

(鮭にキャベツ、玉葱、長葱、しめじ、もやし、人参……それから味噌に、日本酒と味醂の瓶かぁ……)

 食卓に置かれている材料からして、ちゃんちゃん焼きでも作るのだろうかと彼女は想像する。その料理が好物の一つである寧々子は頬を綻ばせ、背を向けている木綿子に声をかけた。

『母さん、手伝いに来たよ』

 椅子にかけられていたエプロンを身に着け、寧々子は木綿子の隣に立つ。手を洗う寧々子に目線だけを寄越して、木綿子は言葉を投げかけてきた。

『ちゃんちゃん焼きを作るから、野菜をどんどん切っていって頂戴。母さんは他のものを作るから。……あら?かぅなはどうしたんだい?』

 ふと視線を落とすと、寧々子の足元をちょろちょろしているはずの孫の姿がない。木綿子は背を逸らしながら、その姿を捜す素振りを見せる。

『稲ちゃんと麦にカルナの相手をして貰ってる。二人とも精神年齢低いから、カルナと波長が合うんじゃないかな?それに稲ちゃん、あの子のお父さんに近い感じがするしね……』
『……あんたの旦那さん、ゴリラだったっけ?』
『……ゴリラじゃないよ、虎の亜人だよ……。えーと、うん、体つきががっしりしてて、毛深いところが似てるように見えるのかな~?って思ってさ。それ以外は全然似てないから、全然。身長はスーの方がずーっと高いし、顔もスーの方が百万倍格好良いし、何より頼り甲斐ががあるし。稲ちゃんは豪快なようでいて、硝子のハートだし』

 実兄に対して容赦がなく、夫に対してデレデレの娘に、母である木綿子は何とも言い難い苦笑を浮かべるばかりだ。木綿子が知っている限りでは、寧々子は異性に対して殆ど興味がなかったはずだ。その寧々子が夫に夢中なのが新鮮に見えなくもない。

『寧々は違う世界で素敵な人に出会えて良かったね。幸せそうで、母さんは安心したわ。うん、良かった……』

 涙ぐんでいるのを誤魔化すように、木綿子は鍋の中に味噌汁の材料を放り込んでいく。それからまた別の料理にとりかかった彼女に、思うところのあった寧々子は言葉をかける。

『……あのね、母さん』
『何?』
『あたし、こっちで暮らしてた時も充実してて、幸せだったよ。だけど、その、時々……母さんの言葉が鬱陶しく感じたことがあって……』

 畑仕事も、牛の世話もやりたくてやっていた。けれど母は、それは嫌々やっているのではないかと思っていたようだった。そうではないのだと言っても、母親は聞いてくれない。高校を卒業したら直ぐに家業を本格的に手伝うつもりだった。本当は短大なんて行きたくなかったのに、無理矢理行かされてしまってどうしようなんて思ったこともあった――結果として、短大生活は楽しかったのだけれども。
 寧々子がやりたいことを母に否定されているようで嫌に思ったこともあると、寧々子は正直に語る。木綿子は、黙って耳を傾けてくれていた。

『でもね、カルナが生まれて、子育てが大変で、色んなことが分かってきたような気がする。少しだけ、母さんがあたしにああいうことを言った気持ちが、分かったような気がしたんだ。カルナが危ないことをしそうになったから叱ったけど、本当にこれで良かったのかな。この子がちゃんと育っていけるように、あたしは間違ったことをしていないかな。あたしはこの子に自分の考えや周囲の期待を押しつけ過ぎたりしていないかなって、考えることもあるんだ。……母さんもそんな気持ちがあって、あんなこと言ったのかなって……』

 あの時には理解出来なかったけれど、親になって初めて、その意味が分かることもあるんだね。鬱陶しいと思ってしまって御免ね。寧々子は、母に向けて苦笑した。

『母さんは町のサラリーマン家庭で育って、普通科の高校に行って、箔をつける為に短大に行って、父さんと出会って結婚して、それから一切縁のなかった農業に関わるようになってねぇ。初めのうちは本当に農作業に慣れなくて、物凄く嫌だったね。離婚したいと思ったこともあるくらいだよ。でも父さんが好きだったから我慢して、農家に嫁に来たんだからって色んなこと我慢してきた。その分、幸せなことも沢山あったし、今になってみれば此処は田舎だし、時代も時代だったし、家業なんだから仕方がなかったね、で済ませられるんだけどね』
『……うん』
『稲穂は長男で跡取り息子だから自由に選ばせてやれなかったけど、寧々は二番目で女の子だからね、跡継ぎじゃないから色んなことさせてやろうって思ってたの。……まあ、父さんとお祖父ちゃんの影響でこうなっちゃったけど。麦穂は三番目だけど男だからね、貴重な労働力だからって、麦穂にもやりたいことを選ばせてあげられなかったのは、悪かったかなって思ってるよ。稲穂も麦穂も、恨み言を言わないでくれるから、本当に有難いね……』

 もっと女の子らしいこと――例えば、ピアノなどの習い事をさせたかった。当然のように本人もやりたがっていると思っていて、でも家族に遠慮して言えないんじゃないかと、以前の木綿子は思っていたと告げる。いくら寧々子本人が良いと言っていても、本音はきっと違うのだろうと思い込んでいた。だから寧々子が突然消えてしまってから、その不安は合っていたのだと思った木綿子は、父親の豊作と大喧嘩をしてしまったのだという。

『今、あんたの話を聞いて、あんたには自分の考えを押し付けすぎちゃってたなって反省し始めてるわ。母さんね、OLとかスチュワーデスとか企業で働く人になりたかったのよね。自分に出来なかったことを、代わりにあんたにして貰おうと思ってたのかもしれないわ。御免ね、寧々』
『……ううん。気持ち分かるようになったから、もう平気。謝らないで、母さん。それから……いきなりいなくなっちゃって、御免ね。帰ってくるのに時間かかったから、その間、母さん、辛かったんじゃないかな?……母さんだけじゃなくて、皆もだけど』

 不可抗力で別の世界に行ってしまっていたのだから、仕方がない。帰りたくても帰ることが出来なかったのだから、連絡の取りようもない。それでもこうして帰って来てくれた、孫の顔も見せてくれた。それだけで充分だと、木綿子は微笑む。

『……父さんにもちゃんと言ってあげなさいね、心配させて御免ねって。あんたが帰ってくるまでの間、何も心配してない振りしてたけど……こっそり泣いてたのよ、父さん』
『……うん、そうする』

 寧々子が出来上がった料理を更に盛り付けて、木綿子が食卓に並べていく。話をしているうちに、食事の用意が出来た。本日の昼食の献立は寧々子の好物であるちゃんちゃん焼きにジャガイモの味噌汁、カボチャの煮っ転がしに漬物と味御飯だ。一仕事を終えた二人は椅子に腰かけて、ふう、と息を吐いた。

『これから、どうするんだい?こっちに戻ってくるのかい?』
『ううん、あっちで暮らしていくよ。こっちには亜人がいないから、うちの家族以外の人がスーとカルナを見ると大騒ぎになっちゃうだろうし』
『そうだね、その方が良いだろうね。……出来るようだったら、旦那さんをこっちに連れておいで。母さんも会ってみたいよ、ト○ロみたいに大きな人に』
『うん、そうしたいな。母さん、きっと驚くよ。スーってば信じられないくらい背が高いんだから。表情の変化があんまりないから、ちょっと恐く見えるかもしれないけど、スーは誰よりも優しいんだ。大好きなの。カルナもお父さん子なんだよ』
『そうかい。その日が来ることを楽しみにしてるよ。……あー、そうだ。……問題は父さんだわ』

 行方不明になっていた寧々子に夫がいることを知った父の豊作は、『俺よりも強い男じゃねえと婿とは断じて認めん!!』と宣言していた。父にスーリヤを紹介するとなると、必ず何かが起こる可能性が高そうだ。二人は頬を引き攣らせて、苦笑いを浮かべる。

『殴り合いの喧嘩にならないと良いんだけどねぇ。父さん、喧嘩っ早いところあるから……』
『そんなことになったら血を見ることになるよ、父さんが。だってスーは本気出せば、パンチ一つで木を折っちゃうんだもん。それに爪が結構鋭いから、ざっくり引っ掻かれたら大惨事になるし。入院で済めば良いけど、最悪の場合は父さんの葬式を挙げることになるよ……』

 それは御免だね。と、二人は顔を合わせて頷く。若しも望みが叶ったら、稲穂たちの力も借りて父親を宥めようと、二人は決意する。

『ところで寧々。あんた、どうやって帰って来たんだい?それもあるけど、どうやってあっちに戻るんだい……?』
『実はあたしもよく分かってなくて、いきなりあっちに戻ったりしないか、冷や冷やしてるんだよね。今度はちゃんと、皆に知らせてからあっちに戻りたいし……。スーに何も言えないでこっちに来ちゃったから、あっちのことも心配だし……』

 素っ気ないけれど、あれで意外と心配性なスーリヤのことだ。きっと寧々子とカルナのことを心配してくれているだろう。漸く帰って来た実家を発つのは名残惜しいけれど、早くあちらに戻って、自分とカルナの無事をスーリヤに知らせてあげたいのだが――それは容易に叶うのだろうか?

『母ちゃーん、寧々ー、飯まだかーっ!?腹減ったぁー!!』
『ああ、はいはい!稲穂たちと父さんを呼ぶのを忘れてたよ』

 そう言って席を立った木綿子は、玄関までやって来ていた稲穂たちを迎えに行き、その後は父親を迎えに一度外へと出て行った。

「ごはんー!」
『美味そうだな~、かぅな!沢山食べて大きくなれよ~』

 どかどかと足音を立てながら台所までやって来た稲穂たちに食事をさせる為、考え事を止めた寧々子はしゃもじを手にして、御飯をよそい始めた。

 ――その日の夜。
 以前に使っていた和室をそのまま使わせて貰っている寧々子は、畳の上に敷いた布団に寝転がり、真っ暗な部屋の天井を眺めている。暖房を消したので部屋の中の空気は徐々に冷えてきているが、布団の中に湯たんぽを入れているので外に出ている顔以外は寒くない。
 腕に抱いているカルナが、もぞもぞと動く。夢でも見ているのだろうか。あまり動かれると布団からはみ出してしまうので、カルナを起こさないように気をつけながら抱き直した。

「”とと”ぉ……だっこ……」

 夢の中で、異世界にいる父親と会っていて、抱き上げて貰っているのだろうか。寧々子の寝巻きを掴んでいる小さな手に力が入った。昼間は元気に遊んでいるカルナだが、夜になると父親の姿がないことに不安を覚えて、途端に愚図りだすのだ。これまでにも、スーリヤが仕事の都合で長く不在になって多少愚図ることはあっても、わんわんと泣いて駄々をこねるようなことはなかったのに、と寧々子は困り果てた。あれこれと試してみた結果、その時はカルナに、あちらの世界の服の匂いを嗅がせると良いと判明したので、寧々子はそうする。服に残っている、大好きな父親の匂いを嗅ぐと落ち着くのかもしれない。

「……寂しいね。”かか”も、”とと”に会いたいよ……」

 力加減が少し下手な、あの力強い太い腕が恋しい。呆れたように薄く笑う顔が恋しい。心地の良い低い声が恋しい。ホームシックに罹っているようだと感じた寧々子は寂しさを紛らわせようとして、カルナの頭に頬を摺り寄せ、静かに目を閉じる。そうして子供特有の温かさを感じながら、寧々子は眠りの世界に落ちていった。

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