ネネとスー

《オマケ》

※本編後の話です。

これから(2)―― オカン+αが来たりてコンニチワ―― 

『久し振りだねぇ、愚息その1。十年ぶりくらいじゃあないかい?』

 寧々子が家の中に入るのを確認していると、黒地のサリーを着た落ち着きのある虎の亜人(ドゥン)の女性がほくそ笑み、口を開いた。

『……何の用だ、妖怪鬼婆。今更俺の捜索してんのか?遅すぎだろ……』
『相も変わらず減らず口を……。素直に、お久し振りで御座います、母上様とか言えないのかい?』

 生憎と良家のお坊ちゃんが受けるような教育を受けていないので、そんな口は利けない。若しもそんな教育を受けていたとしたなら、母親を”鬼婆”なんて呼んだりはしないだろう。
 言葉を返すのが面倒なのでスーリヤが黙っていると、自分とそっくりな顔をした母親――ヴィカラーラが呆れた様子で溜息を吐いた。顔の造形は勿論、仕草も自分とよく似ているので、寧々子が『何で女装してんの?』なんてことを宣ったのも頷けて――嫌になる。

『仕事の都合でね、あたしら里からこっちに出てきたんだよ。風の噂で目的地の兎の亜人(アルミラージ)の村に虎の亜人(ドゥン)が一人住んでるって聞いてねぇ、どんな物好きだろうと思ったら……お前さんの匂いを見つけたって訳さ』
『……あっそ。なら、用はもう済んだだろ。じゃあな』
『何言ってんだい、愚息その1。話は未だ終わっちゃあいない』

 これ以上は係わりたくないとばかりに踵を返そうとすると、ヴィカラーラがそれを遮った。
 このまま知らん振りしてくれたら良いのに、と暢気なことを考えてしまったが、この母親がスーリヤの触れられたくないことを見逃してくれるはずがなく。
 さあて、どうやって切り抜けようか?と新たに思考を組み立てていると、ヴィカラーラではなく白い虎の男――弟のチャンドラが口を開いた。

『お前、あの人間の女と番ったのか?……何してんだよ?』

 しかめっ面をしたチャンドラが距離を詰めて凄んでくるが、スーリヤは知らん顔を貫く。
 ――何をしているだって?寧々子についた自分の匂いの濃さで嫌でも何があったのかを理解しているだろうに、態々訊いてくるのか、こいつは。
 スーリヤの故郷は閉鎖的で因習に縛られている者が多い。だからこそ、スーリヤは彼らと距離をとろうとしたのに。そんな馬鹿なことをする奴は知らないと言い張って、誤魔化してくれたら良いのに。そうした方がお互いの為だろうに。
 スーリヤがやれやれと溜息をつくと、チャンドラは眉根を寄せた。

『スーリヤ……どうして後ろ指をさされるような真似するんだよ……お前らしくもない。この村の連中もおかしい。匂いで直ぐに分かるのに、どうしてお前らを放っておいてるんだ!?』
『……さあな?』

 そこのところは、スーリヤにもよく分からない。何となく、寧々子の人徳の御蔭なのだろうとは思っているけれど。亜人だらけの村の中で人間の彼女が一人頑張っている姿を見て、村人の殆どは彼女を認めたのだから。

『……寧々子(アイツ)についてる匂いで分かっただろ?”そういう訳”だ。俺みたいなのが親族にいるって分かると、里での立場が危うくなるだろ?……もう俺と係わらない方が良い』
『っ、スーリヤ!』
『止めな、愚息その2』

 激昂したチャンドラがスーリヤに掴みかかろうとしたのを、ヴィカラーラが制止する。母親の向こう側――青いサリーを着た女性――匂いから察するに、末の妹のカーリーだろうか?――がおろおろとしているのが目に入ったのか、チャンドラはその手を何とか収めた。

『波風を立たせるようなことをしたがらないお前さんがそこまで言うってこたぁ、よっぽどだね。それだけあのお嬢ちゃんに御執心ってこった。さっきだって……あのお嬢ちゃんをあたしらから逃がしたんだろ?』
『……どうだろうな?』
『はっ!年とっただけしらばっくれるのが上手くなったね、愚息その1』

 ヴィカラーラは楽しそうに目を細めて笑う。遊ぶための獲物を見つけたような表情が厄介だ。この母親が碌でもない人物であることをよく知っているので、頭の中で警鐘が鳴りっぱなしで五月蝿い。

『別にあたしぁ、お前さんがすることに反対してる訳じゃあない。人間と番おうがどうでもいいね』
『お袋、何言って……っ!?』

 母親の突飛な発言に弟のチャンドラが動揺するが、ヴィカラーラは至って冷静だ。やけくそで言っている訳ではないらしいが、如何せん意図が掴めない。何か良からぬことを企んでいるかもしれない、と、スーリヤは警戒をより強める。

『あたしらは暫くこの村に滞在することになってるから、嫌でも顔を合わせる羽目になるってこたぁ頭の隅に入れておきな、愚息その1』
『……アイツに手を出さないってんなら、どうでもいい』
『おやまぁ、随分と大事にしているねぇ、愚息その1?』

 大事にしていて何が悪い。寧々子は自分の番だ、彼女に害を与えるかもしれない人物から守ろうとしても不思議ではないだろう。そんな思いを込めた眼差しで射ると、ヴィカラーラは唇の両端を吊り上げて、大袈裟に肩を竦めてみせた。

『あたしぁ人間なんかに手を出しゃしない。獣を狩るよりつまらないじゃあないか。それに奴らは口ばっかり達者で五月蝿いからねぇ。そんなことをしたところで、あたしに何の利益があるってんだい?』

 ヴィカラーラのいう人間と寧々子は違う。スーリヤはそう思ったが、口には出さなかった――言っても無駄なような気がしたので。

『……あっそ。それならいい……用はもう済んだか?』
『そうだね、里を出て行ってから一度も便りを寄越さなかった愚息その1が健在だってのが分かって良かったよ。じゃあね、愚息その1。村の中で鉢合わせしても露骨に嫌な顔するんじゃないよ?』
『……さあな』
『行くよ、愚息その2、愛娘その3』

 ヴィカラーラは息子と娘を引き連れて、踵を返す。何か物言いたげな表情をしているチャンドラは、スーリヤにぎろりと一瞥をくれただけでそれ以降は振り返りはしなかった。ヴィカラーラもスーリヤに興味を失くしたのか、一度も振り返らない。母親はそういう人物なので、特に悲しくはないし、寂しくもない。
 何度も何度も振り返っているのは、末の妹のカーリーだ。心配しています、と言いたげに眉を八の字にして此方を見ては目を逸らし、また見てくる。

「……ったく、カーリーは誰に似たんだか……」

 好戦的な性格をした者が多い虎の亜人(ドゥン)にしては珍しく、気性の穏やかな末の妹の視線に気が付いていない振りをして、スーリヤは家の中に入っていった。

***************

 スーリヤが家の中に入ってきたので、寧々子は胸に巣食う不安を隠して笑顔で彼を迎えた。そして、出来上がった昼食を食べながら、ぽつぽつと話をする。
 表にいた三人連れの虎の亜人(ドゥン)がスーリヤの家族であることと、彼らが暫くの間村に滞在するらしいということを教えて貰う。

「……若しも俺の家族に鉢合わせしたとしても、近寄らない方が良い」

 スーリヤの故郷は閉鎖的なところで、他の亜人は兎も角、人間とは殆ど係りを持たず、未だに人間に対して間違った知識を持っている者や、人間と亜人が番うなど以ての外と豪語する者も大勢いる。
 母親はスーリヤが人間と番おうがどうでも良いと言っていたが、弟はスーリヤのしたことにいい顔をしていなかった。妹については、分からないが。だから、不用意に近づかない方が良いと彼は言う。

「……俺は何を言われても堪えないが……寧々子を悪く言われるのは……嫌だ」

 それに寧々子の泣き顔を見るのは嫌だ。と、スーリヤはぽそりと呟くと、はっと瞠目して、目を逸らした。

(ん?らしくないこと言って、恥ずかしくなった……?)

 仏頂面のスーリヤが、ばつが悪そうな表情をしているように見える。浅黒い肌をしているので顔が赤くなっているのかは分かりにくいが、顔に出ない心情を読み取らせてくれる尻尾が明らかに不自然な動きをしている。
 スーリヤは内心を吐露することが少ない――閨事は別として。けれど珍しくぽろっと本音を零すということは、それだけ寧々子のことを案じてくれているということなのかもしれない。

(……可愛いなぁ、もう!)

 愛されているのだなぁと実感出来て嬉しくて、寧々子は思わず破顔する。

「大丈夫だよ、スー。あたし、打たれ強いんだから。それにスーがいてくれるんだもん、へっちゃらだよ。……でも、それでも落ち込んだりしたら……慰めてね?スーも辛かったら、あたしに甘えてね?それで良いよ、あたしは」
「……ん」

 寧々子の言葉が意外だったのだろうか、スーリヤは僅かに驚いたようだ。けれどそれに安堵したらしいスーリヤが目を細めて微笑むので、不意打ちを食らった寧々子の心臓はばくばくと大きな音を立て始める――未だに慣れていないので、スーリヤの笑顔に。

「……寧々子」
「なぁに、スー?」
「……鼻血出てるぞ」
「へっ?」

 呆れているような、心配しているような表情をしたスーリヤが手拭いで鼻の下を押さえてくれた。言われてみれば、鼻の中を生温い液体が流れる感覚がするし、血液独特の鉄の臭いがする。
 ――草森寧々子、二十三歳(多分)。人生で初めて、興奮のし過ぎで鼻血を噴きました。それもこれもスーが好きすぎるのが原因だと思います。

 鼻血が止まっても未だ心配そうな表情を見せるスーリヤを見送った寧々子は昼食の後片付けをしたり、掃除をしたり、居間に置いてあるクッションの覆いを取り替えたりと忙しい。

(さて、と。夕飯のおかずはどうしようかなー?)

 と、考え事をしながら水を汲みに行った寧々子は、共用の井戸の縁に腰をかけて呆けている人物を見つけて、自然と足を止めた。

(青色の服を着てるから……スーの妹さん……だよね?)

 どうしてこんな所にいるのだろう?寧々子が不躾にじっと見ていると、あちらも寧々子に気が付いたようだ。

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