どの雲も裏は銀色

《本編》

ついていない休日の夜

 とある日の港町、マツヤ。
 火点し頃 にもなると、昼間は静寂に包まれていた色町は少しずつ賑やかになっていく。人間、亜人問わず娼婦や男娼たちは美しく着飾り店先で道行く人々に秋波を送り、客引きの男たちも声かけに精を出す。
 数ある娼館の中でも中級に位置している娼館”ソーマの雫”は、人間の居住区と亜人の居住区の境にある色町の一角に存在している。西方の文化が混ざった石造りの風変わりな建物の一室で、どこか気分を高揚とさせる橙色の明かりが灯されて煌びやかになった外の景色を窓から覗いている娼婦がいる。黒髪に黒い目、褐色の肌をした人間が多い中、肌の色こそあまり変わらないものの、豊かに波打つ金茶の髪に新緑のような目の色をしている娼婦の名は、フェレシュテフという。その名の響きもまた、ここいらでは珍しい。
 この世界に足を踏み入れて五年目になるフェレシュテフは一流の高級娼婦ではないが、なかなかの額を支払って貰える立場にある為、週に一度は休みを貰えることになっている。休みということもあり、仕事で身に付けるような派手な色合いのサリーではなく、着古して色褪せた青緑色のサリーを身に着けているので、とてもそのような娼婦であるようには見えない。化粧もしていないので、絶世の美女とは言えないながらも適度に整った彫りの深い顔は幾分か迫力が足りない。そんなフェレシュテフは昼前に目覚めてからずっと、上客の前で演奏することもある弦楽器(シタール)の腕を向上させようと、練習に励んでいた。

「……夕飯を食べたら、さっさと寝て明日に備えようかしらね……」

 充分に睡眠をとったはずなのだが、昨夜の客にがっつかれた疲れが未だとれきっていないのか、瞼が重いような気がする。他にやりたいことも特に見当たらないので、そのようにした方が良さそうだと考えたフェレシュテフは殺風景な部屋には似合わない高級な寝台の上に置いていたシタールを片付けて、この娼館の娼婦が利用している食堂へと向かうことにした。

***************

「あら、貴女もお休みだったの?」

 自室でもあり仕事場でもある部屋から出た途端に鈴のような声が鼓膜を叩いてきた。左手側から歩いてきていた、このあたりの人間らしい容貌をしている年若い娼婦が此方を見ている。スジャータという名のその娼婦は没落したとはいえ上流階級の出らしく気位が高く扱い難い嫌いがある。一方で、それらしく教養があり器量もあるので客の受けは良く、”ソーマの雫”へとやって来て半年ほどなのだが、あっという間に高給取りの娼婦となったのだ。普段は舎弟ともいえる客引きや下級娼婦たちを侍らせている彼女だが、今は珍しく一人きりだった。
 実のところ、フェレシュテフはスジャータを苦手としている。出来れば係わり合いたくないと思っている。十七歳のスジャータは未だお嬢様気分を引き摺っているのか、常に自分が注目を浴びていないと気が済まない性質なようで、毛色が違うというだけでフェレシュテフが持て囃されている――ようにスジャータには見えるらしい――のが気に入らないのか、よくフェレシュテフに喧嘩を売ってくるのだ。若さ故の傲慢と言おうか、怖いもの知らずだなとフェレシュテフはその度に思っている。
 いらぬ火の粉を浴びる前に「貴女もそうなの、奇遇ね?」とだけ言って退散しようとしたフェレシュテフの腕を、スジャータが素早く掴み取った。
 ――最悪だ、逃げ損ねた。フェレシュテフは僅かに顔を引き攣らせる。幸い、相手には気付かれなかった。

「これから外で夕食をとろうと思っていたところなの。丁度良いわ、貴女、私に付き合いなさいな」

 三歳年上で娼館では先輩にあたるフェレシュテフに対して、スジャータは敬意を払うことはなく、まるで使用人に対するような態度と言葉遣いをする。フェレシュテフは年功序列や上下関係に拘るつもりはないのだけれど、何となく彼女の高圧的な態度が腑に落ちないので、気になるのだろうか。

(スジャータに付き合わされるなんて冗談じゃないわ。何を言われるか、されるか分かったものじゃない……!)

 冷や汗をかいたフェレシュテフは相手に分からないように息を吐き、これまでの経験で培った営業用の笑顔を貼り付ける。

「御免なさいね。この前に大きな買い物をしてしまったから、外食出来るほどの持ち合わせがないの。また今度誘ってくださるかしら?」
「気にすることはないわ。貴女の持ち合わせに見合った低級なお店にしてあげるから」
「……」

 フェレシュテフの言い訳に耳を貸す気はさらさらないらしい。にこやかに抵抗の意志を示す彼女を引き摺るようにして、スジャータは無理矢理娼館の外へと彼女を連れ出していく。

***************

(……ついてないわ……)

 自分を毛嫌いしているはずのスジャータに強引に連れて来られた場所は、高級な料理店でも手頃な価格の料理店でもない。色町の一角でも、人間の居住区域内でもない。人気が全くない亜人の居住区の外れだ。
 日が沈み、街頭もないこの場所は真っ暗だが誰かが明かりを持っているらしいので、かろうじて他人の存在くらいは認識出来る。町外れの茂みの前にいるのは、柄の宜しくない体格の良い男たちだ。ざっと数えてみた限り、五、六人くらいか。

「連れて来たわよ。約束通り、この女を好きなようにして良いわよ。報酬が欲しいなら、与えられた仕事はきっちりとこなしなさい」

 スジャータは無邪気な様子でそう語り、フェレシュテフが大人しくしていることに違和感を覚えることもなく、彼女の背を突き飛ばした。体勢を崩したフェレシュテフは前につんのめり、そのまま男たちの前に崩れ落ちる。

(何が『この女を好きなようにして良いわよ』、よ。成程ね、他人を巻き込んだ嫌がらせを実行する為に私を捕まえたかったのね……そりゃあ、強引にやらないといけないわよね……)

 地面の上についた手をぎりっと握り締めながら、自嘲気味な笑みを浮かべていると一人の男が近付いてきて、フェレシュテフの長い金茶の髪を乱暴に掴んで顔を上げさせた。

「暗くて見え難いが、この辺りの女とは確かに毛色が違うな。下の毛も同じ色してんのか?ん?」

 彼らは品定めをしながら嬉々としてフェレシュテフを地面に転がし、色褪せた青緑色のサリーを破っていく。邪魔なものを取り払い終えると、叫び声をあげられないようにサリーの残骸を口の中に詰め込んだり手足を縛るのに使用し、その上で数人の男たちが彼女の体を地面の上に押さえつけ、無遠慮に彼女の体を弄っていく。

(私が気に入らないからといって、こんなことまでするとは思いもしなかったわよ……)

 売れっ子である彼女の客を横取りしたことはないし、彼女の自尊心を傷つけるような財力を持った客をとったこともない。フェレシュテフはいらぬいざこざを避けるために、他人の恨みを買うような真似はしない主義だ。
 彼女が気に入らないのは、彼女とは違うこの容姿か。

(私だって好きでこんな髪と目の色をしている訳じゃないわ。生まれた時からこうだったって、お母さんが言っていたもの)

 どうすることも出来ないものが気に入らないと、それだけでフェレシュテフを買う客がついているのだと思われていることに腹が立つ。そんなことで破落戸(ごろつき)に襲わせるような女に目をつけられたことにも腹が立つ。フェレシュテフの容姿は間違いなく商売の役に立っていることは彼女自身がよく知っているけれど、それにかまけて何の努力もしてこなかった訳ではない。次の機会に繋がるようにと客を喜ばせる術を身に付けたり、文字の読み書きが出来るようになってからは本を読んだりして知識を増やしていった。砂漠の国に生まれ育った母親に習ったシタールを演奏したら客や娼婦仲間が喜んでくれたので、それからは腕を一層磨こうと練習に励んでもいる。
 フェレシュテフが努力していることを知らない、知ろうともしない年下の女にこんな目に遭わされていることが悲しくて悔しくて、泣きたくなる。だが、決して泣いてはやらない。それでは余計にあの女を喜ばせてしまう。フェレシュテフが喜ばせたいのは今は亡き母や同じ境遇を生きる娼婦たち、そして自分と楽しんでくれる一夜の客であって、スジャータや破落戸たちではない。そう思うフェレシュテフは歯を食いしばって、恥辱に耐える。

「ちっ。全然濡れてこねえな」

 無理矢理指が侵入してきたことで痛覚が刺激されて、フェレシュテフは息を詰まらせ、顔を歪ませる。男たちは彼女の様子など気にも留めず、中に埋める指の数を増やし、手荒に掻き混ぜてくる。痛みを堪えていると少しずつではあるが、秘所が潤いだしてきた。男はそれに気付くと彼女の中を弄んでいた指を引き抜き、ズボン(パジャマ)をずり下ろして大きく膨らんだ昂りを取り出すと、一気にフェレシュテフの秘所を貫いてきた。

「ふうぅ……っ!!!」

 潤いが足りず、確りと解されていないのに抉じ開けられてしまった秘所は引き攣れ、酷い痛みを訴える。幸いなことに中は切れたりはしていないようだが、あまりの痛みにフェレシュテフは生理的な涙をぼろぼろと流しながら、自分勝手な律動に耐える。

「イイ気味ね、余所者女。気に入らない女が辱められているのを見ているのって、気分が良いのね……知らなかったわ」

 とっくにこの場から立ち去っているものだとばかり思っていたのだが、スジャータは未だに留まっていたようだ。夜の闇の中、涙で霞む視界ではスジャータの表情は全く分からない。だが、きっとほくそ笑んでいるに違いないとフェレシュテフは思った。

(……私も馬鹿だけれど、この女も馬鹿よね。流石は”お嬢様”だわ……)

 未だに”お嬢様”気分の抜けていないスジャータは、”柄の悪い男たち”のことをよく知らず、甘く見ているのだろう。彼らを相手にした場合、決して油断は禁物だということを知らず、彼らに話を持ちかけてしまったのだろうなと想像すると、あれだけ腹を立てたにもかかわらずスジャータが憐れに思えてくるのだから不思議だ。

「な、何よ?何するの!?」
「あの女一人だけじゃあ俺たちがあぶれちまう。お前も相手しろよ」
「娼婦はどう扱っても良い存在だって言ってたじゃねえか。まさか、それは自分には当てはまらないと思ってたのかよ、娼婦のお嬢ちゃん?」
「い、いや、やめ、て……っ!」

 あぶれた破落戸たちはスジャータを取り囲むと、暴れる彼女を羽交い絞めにして素早く口の中に布を詰め込み、引き裂いたサリーを使って手足を縛り上げて地面の上に転がす。泣きながら呻き声をあげるスジャータの意志は無視して、彼らは彼女を犯し始める。
 ――自業自得よ、”お嬢様”。それを横目に見ていたフェレシュテフは目を逸らし、自らを犯す男の肩越しに夜空を仰いでこっそりと溜息を付く。こんなにも綺麗な星空の下で、汚らわしい真似をされているなんて皮肉だ。

(毎日欠かさずに避妊薬を飲んでいるけれど……これだけ中に子種を出されてしまっては、子供を孕んでしまってもおかしくはないわよね……)

 そうなった場合、どうなるのだろう?中絶をしたら良いのかもしれないが、それは体を悪くする危険性が高く、最悪命を落としかねない所業だ。中絶を選ばなかった場合は、子供が生まれるまで商売が出来なくなるのだろう。そうしたら借金の返済が滞り、利子がどんどん増えていくばかりで、永久にこの世界から足を洗えなくなってしまうかもしれない。

(流石にお婆ちゃんになったら、お客はとれないわよねぇ……)

 こんな状況で能天気なこと考えている場合ではないのだが。男たちはコトが済んだら、フェレシュテフたちの口を封じるために命を奪うかもしれないという危険がある。そこまではいかなくても、商売道具である体を使い物にされなくされてしまうのも困る。
 どう考えても悪いことしか思い浮かばいないので、出来る限り酷い目に遭わないことを祈りながら体を乱暴に揺さぶられているフェレシュテフの耳に、聞き覚えのない男の声が入ってきた。

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