貴方はわんこ。貴女はにゃんこ。

※翻訳などなどを駆使して作成したアイルランド語(ゲール語)文、英文、そして和訳ですが、正解かどうかはちょっと分かりません。

風邪(多分)をひいた美形の様子がおかしいです

ふと目を覚ますと、誰かの胸元の辺りが飛び込んできました。誰だろうと思いやおら顔を上げてみたら、武藤さんの麗しい寝顔が其処にありました。それはそうだと思います。此処には私と彼の二人だけが暮らしているので、第三者がいらっしゃったら大問題です。
――さて。私は今、どのような状況に置かれているのでしょうか?
昨夜は目の前にいる美貌の外人に添い寝をして欲しいと頼まれてしまいましたので、自棄気味に承諾したのは確りと覚えております。そして現在、私はその人物の腕の中に閉じ込められているようです。不思議ですね?
恐らくは抱き枕と間違えられたのでしょう、と、いうことにしておきます。他意はないのだと信じたいです。
寝返りでも打って頂ければ自ずと脱出出来るだろうと思われますので、今は大人しく眼前の美貌を観察することに致しましょう。二度寝をすることも考えましたが、妙に目が冴えてしまっているので難しいのです。

「……」

日本人特有の薄い顔と違って、アイルランド人である彼の顔は彫りが深めです。肌は綺麗で色白で、睫毛も長くて、今は閉じられている左目の下には艶っぽい泣き黒子があります。
こうしてまじまじと観察してみると、矢張り端正な顔をしていらっしゃるのだなと改めて実感します。女性が黄色い声を上げて騒いだり、群がったりするのも分からなくはないです――異常ではないかとも思ってしまいますが。
背も高くて、背の低い私は必然と見上げなくてはいけません。身体は細すぎず太すぎず、肩幅も広くて割とがっしりとしていますがクラスメイトの馨が言っていた”ゴリマッチョ?”という訳でもなくて。要するに全体のバランスが良いのですね、羨ましいです。
そんなことを考えているうちに、長い睫毛が微かに震えて、瞼がゆっくりと開いて青灰色の目が現れました。幼い日の私はその目の色が羨ましくて、「どうやったら、その色になりますか?」と尋ねて彼を困らせたことがありました。まさか、遺伝子という難しい問題が関わっているなどと当時の私には理解出来る訳もなく。

「......Dia duit ar maidin(おはようございます), Mo bean(お嬢様)......」

寝起きだからか少し掠れた低い声で、虚ろな目をした武藤さんが何やら仰いました。英語のように聞き覚えのある単語が見当たらなかったので、恐らくはアイルランド語(仮)ではないかと。
あの、英語も得意ではない私にはアイルランド語(仮)は全くもってお手上げなのですが……!

「......Cad é atá cearr?(どうされました?)

またしても、アイルランド語(仮)ですか。
貴方、普段は流暢な日本語を話していらっしゃるのに今朝はどうして……!

「……あの、申し訳ないのですが日本語を話して頂けないでしょうか……!?」

貴方に初めて会った時の、あの感覚が蘇ります。
宇宙語を話されているのだと思い、訳が分からなくて兎に角恐怖が覚えた思い出が……!

「......Ah(ああ), I'm sorry. (失礼致しました)Good morning,(おはようございます) My lady.(お嬢様)

アイルランド語(仮)ではなくなりましたが、今度は英語です。至極簡単なものですので、貴方が何を言っているのかは今のところは理解出来ますが、これ以上のものは理解出来ないのではないかと。
お父さんは発音こそイマイチでも英会話は得意でしたけれど、私はそうではないのです。英語の授業の成績は、ぼちぼちなのです……。

「に、日本語で話してください……っ!」

心底焦りながら懇願する私を、彼は怪訝そうに見てきます。

Huh?(はい) I'm speaking Japanese now(僕は今日本語を話していますが)......ん?ああ、すみません。寝惚けていました……」

そう言って、眠たそうな顔にかかる前髪をかきあげる仕草に何故だか、どきっと心臓が跳ねます。
――兎も角。良かったです、正確無比な発音の日本語です。貴方は寝惚けていると、アイルランド語(仮)、若しくは英語が出てくるのですね、知りませんでした。何せ、寝起きの貴方を見たのはこれが初めてなのです。
だって添い寝をしてもらっても、貴方は私よりも早く目を覚ましていたから。

「?」

外国語会話の恐怖から解放されて安堵している私の頬に、武藤さんの大きな手が触れてきて、優しく撫でさすってきました。

「おはようございます、朝雪さん」

顔を上げれば、妙な色香を伴った極上の微笑が待ち構えていました。目の毒が、目の毒が!!!

「ぎ」
「ぎ?」
「ぎにゃあぁぁぁぁ~~~~っ」

奇妙な叫び声をあげながら、武藤さんの胸板に手を押し付け、曲げていた腕を一気に伸ばすと、あっさりと腕の中から解放されます。非常に慌てていた為にベッドの幅を見誤り、私は床の上に転げ落ちていました。

「あたた……」
「大丈夫ですか、朝雪さん?何処かを強く打ったりしませんでしたか?」

肩の辺りを打ってしまったようで、寝転がりながら痛む箇所を撫で擦っていると武藤さんに助け起こされてしまいました。離れたと思ったのに、またしても美貌が至近距離に……!

「へぁっ、も、問題ないですっ!む、武藤さんこそ、体調は如何です、か!?」
「うん?昨夜よりは大分楽ですよ、未だ微熱があるようですが。でも動けないことはないので、直ぐに朝食を作りますね」
「いけませんっ」

立ち上がろうとする武藤さんの逞しい肩をむんずと掴んで、力づくで阻止します。彼が弱っている今しか出来ない芸当です。

「完治していないのでは、無理をしたらまた熱が上がってしまいますっ」

ちょっとした油断が病状の悪化を招くのだと、私にそう教えたのは貴方でしょうが!
自炊は不可能ですが買い物には行けますと伝えると、武藤さんは何故だか寂しそうな表情を浮かべます。
――?あの、おやつを大量に買いこんだりなんてしませんよ?

「朝雪さんの御飯を作ったら、また大人しく寝ますから」
「だから駄目だと言っているではないですかっ。病人は寝床に……っ」

ふっと目の前が暗くなったと思った瞬間、前髪越しに額に柔らかくて温かい何かが触れて、離れていきました。それが彼の唇であったと気付くのは、とても容易くて。
突然の出来事に憮然とした私は、石のように固まってしまいます。

「簡単なものを作るだけですから、倒れたりはしませんよ?」

丁度目線の高さにある唇が、してやったりと弧を描いて。彼はやおら立ち上がって、寝室から出て行きました。

「~~~~~~っ!!!?」

ぱたん、と、扉が閉まるのと同時に私はぐらりと上体を傾けて、ベッドの縁に顔を埋めていました。
――今のは、何!?
映画やドラマの中でしか見たことのない、恋人同士が行う動作と同じではないでしょうか。いえ、海外ではこの程度は挨拶も同じと聞いたことがありますので、アイルランド出身の武藤さんがやってもおかしくはないです。
でも、今までに一度だってこんなことをしたことがなかったではないですか。

「……顔が、熱い……っ」

頭が、ぼうっとします。両手で頬に触れてみると、湯気が出ているのではないかと思うほどに熱くなっていました。

「……早く、静まって……っ」

どくどくと早鐘を打つ心臓も、火照ってしまった頬も。
これはあの人にとっては挨拶も同じ、深い意味などないのです。未だ熱があるので、武藤さんは普段とは違う行動をとってしまっただけなのです。
そうです、そうに決まっているのです――!

***************

「朝雪さん、御飯ができましたよ」

寝室の扉の向こうから武藤さんが声をかけてきます。鼓動と頬の火照りが治まったのを確認してから、リビングへと移動しました。
机の上には程よい狐色になったトーストにマーマレードジャム、スクランブルエッグとハムが盛られたお皿が置かれています。これは簡単、なのでしょうか。武藤さんからしたら、簡単?

「頂きます」

トーストにマーマレードをたっぷりと塗って、もぐもぐと食べていると、いつの間にやら姿を消していた武藤さんがティーポットとティーカップを手にして戻っていらっしゃいました。
あれの中身は、もしや……!

「どうぞ」

白地に青色の線の入ったシンプルなティーカップに注がれたのは、私の大好きなミルクティーです。一口飲めば、直ぐに分かります。たっぷりと蜂蜜が入った”朝雪スペシャル(命名:お父さん)”であると。
”朝雪スペシャル”でなくても、彼が淹れて下される紅茶やコーヒー――私はカフェオレにしないと飲めないのですが――は美味しいのですけれど。本人には絶対に言いません、恥ずかしいから。

「?」

矢張り美味しいなぁとしみじみしながら”朝雪スペシャル”を飲んでいると、視線を感じました。対面に座っている武藤さんが、頬杖を付いて、にこにことしながら此方を眺めていらっしゃいました。彼の前には水の入ったコップと、空になった錠剤の包装が置いてあるだけで、朝食が置かれていません。

「……朝食を召し上がらないのですか?」

といいますか、御飯を作ったら大人しく寝ると仰っていませんでしたか?どうして対面に座っていらっしゃるのか。

「食欲がないんです」

大袈裟に肩を竦めて、彼はそう答えました。つまりは、空きっ腹でお薬を飲んだと。

「お薬を飲むなら、一口でも良いですから食べなさい!恐らく、今からでも間に合います!はい、口を開けて、あーんっ!!!」

一口分に千切ったトーストに少量のマーマレードをつけて――武藤さんはお菓子などを作りはしますが、甘いものがあまりお好きではないので――ずずいっと目の前に突き出します。

「……あーん」

あ、あら?昨夜は拒みませんでしたか?
照れくさそうに目を逸らしてはいるものの、武藤さんは大人しく私が差し出したものを食べました。予想外の行動をとった彼に驚いて瞠目している私を見て、彼は咀嚼を終えて飲み込むと、にやりと意地悪に微笑みました。
何ですか、その余裕たっぷりの微笑は!?

「ご馳走様です。――そういえば、今日も剣道部の練習はあるのですか?」
「いえ、今日は練習はありません。でも、出かけます。友人と買い物に行く約束をしているので」

屋敷を追い出された際に持ち出してきた服は全て秋物で、冬物の服がないのです。今は肌寒い程度で済みますが、本格的に季節が冬になったら、困ってしまいます。
そんなことを高校のお昼時にクラスメイトの馨に話しましたらば、彼女は快く安売りのお店を紹介してくださいました。正直な話、私は服は着られれば良いという考えなので、どういった服が良いのかいまいち理解しておりません。そのことも伝えると――「どういう服を買ったら良いのか分からないなら、あたしが選んでも良い?」と、馨が仰ってくれたので、お言葉に甘えることにしたのです。世間知らずな私にとって、彼女は非常に心強い味方です。

「そうですか。楽しんできてくださいね」
「はい。……その……お小遣いをくださって、有難う御座います……」

用はないのだと言い張っても武藤さんがお小遣いをくださるので、今回はそれを利用致します。御蔭様で買い物に行くことが出来ます。
きちんと御礼を言わなければと思っていたので、今が好機と、ぽそぽそと聞き取りづらい音量で感謝の言葉を述べます。
うう、言えないよりは良いですけど。

「どういたしまして」

地獄耳ですね、聞こえていらっしゃいましたか。

「……朝雪さん、口の端にマーマレードがついていますよ」
「え?」

マーマレードを拭き取ろうとしてティッシュ箱を探していると、対面の武藤さんが身を乗り出して指でそっと口の端を拭いました。再び固まる私を余所に、元の位置に戻った武藤さんは指についたそれをぺろりと舐めとりました。

「~~~~~っ!!?」

今朝の武藤さんは、絶対に様子がおかしいです。こんなことをするような人ではなかったのに……!

「ご、ご馳走様でしたぁっ!」
「お粗末様です」
「ええと、昨夜お風呂に入っていないので今からお風呂に入ります!そうしたら出かけます!」
「はい、分かりました」

動揺を隠せない私はその場に居辛くなってしまって、宣言するようなことでもないことを宣言してから、寝室に着替えを取りに行っていました。リビングを通って浴室に行こうとした時、武藤さんが手馴れた様子で机の上を片付け始めていたので慌てて制止します。

「片付けは私がしますので!病人は早くベッドでお休みください……!」
「……はあ」

きょとんとしている武藤さんを寝室に追いやり、私は慎重に片付けをします。

「あ、お洗濯……」

した方が良いと思うのですが、私は洗濯機の使い方がいまいち理解出来ていません。下手に手を出して大惨事を招いてはいけませんので、見逃してもらいます。やるべきことをやり終えてから浴室へ向かい、シャワーを浴びながら手早く身体と髪の毛を洗います。

「うーん、伸ばしすぎましたか……?」

腰まである水気を含んだ髪をタオルで大雑把に拭きながら、洗面台の鏡に映る自分と睨めっこです。そういえば私はどうして、こんなにも髪を伸ばしたのでしょうか?
――誰かに褒められたから?だとしたなら、それは誰?お父さんですかね?
それ以上は特に追究することはせずに、半乾きの髪を櫛で梳かして三つ編みにしていきます。この作業は慣れているので早いのです――大雑把ですが。ですので、よく学校で馨に直してもらったりしています。

「……これで良いです」

アンバランスな三つ編みが一本、完成致しました。洗面台の上に置いていた腕時計を見てみると、待ち合わせの時間までまだ随分と余裕があります。
待ち合わせ場所は、歩いて十分もかからないバス停です。鞄の中に暇つぶし用の本でも入れて、時間になるまでバス停の付近で馨を待つことに致しましょう。
そうと決めた私は、出かける前に武藤さんに声をかけます。

「出かけて参りますね。夕方には帰ってくると思います」
「はい、いってらっしゃい……」

扉からひょっこりと顔を出している私を見た武藤さんが、怪訝な顔をします。手にしていた本を閉じてベッドから降り、此方へとやって来ました。そして私の髪に触れて、顔を顰めました。

「ちゃんと髪を乾かしていませんね?未だ水分が多く残っていますよ……」
「え?で、でも、放っておいても何れ乾きますから、大丈夫ですよ?」
「いけません、風邪をひいてしまいます。時間に余裕はありますか?」

現在進行形で風邪(多分)をひいていらっしゃる御方に言われたくないです。と思いつつも、腕時計を見ます。

「ええと、あと三十分はあります……」
「畏まりました」

寝室から出て行った武藤さんは浴室の方へと向かい、両手に櫛やドライヤー、そしてタオルと美容室で見かける何かを持って戻ってらっしゃいました。

「朝雪さん、ソファに腰掛けてください」
「え、だから、大丈夫……」
「大人しく、腰掛けて?」
「はうっ」

いつの間にやら目の前にいた武藤さんが身を屈めて顔を覗きこんできて、にっこりと微笑みます。有無を言わせない魔性の微笑みに負けた私は、渋々彼の言うことに従います。
ぎっちりと編まれた三つ編みが解かれて、乾いたタオルでもう一度軽く髪を乾かされます。そうして櫛とドライヤーを駆使して、丁寧に確りと乾かされていきます。屋敷で共に暮らしていた時も、貴方に髪を乾かして頂くことが多かったですね。
そんなことを考えていると、ドライヤーの風が温風から冷風に切り替わって、やがて電源が切れました。

「……これくらいなら、少しはマシだな」

あ、滅多に聞かない口調です。私の知らないところでは貴方は敬語ではなくて、くだけた話し方をするのでしょうか?
美容室で見かける何か――ヘアスタイリング剤?、を手にとって、乾いた髪に馴染ませながら、武藤さんが尋ねてきます。

「三つ編みは一つで良いのですか?普段は二つですが……」
「それくらいは自分で……」
「一つ?二つ?」
「ひ、一つで……」

また負けてしまいました。強引です、とっても強引です。

「……っ」

時折首筋や項に武藤さんの長い指が触れたりして、くすぐったいのと同時に妙な感覚に襲われます。何故だか声が出そうになってしまうので必死に堪えているうちに、ふんわりとゆるく編まれた三つ編みが完成していました。

「ああ、何とか間に合いましたね?」

壁に掛けてある時計で時間を確認したのか、彼はそんなことを呟きました。

「……あの、有難う御座います」

頬が熱くなっているような気がしたので、俯きながらお礼を言います。顔と耳が赤くなっていたらどうしましょう、恥ずかしいです。

「どういたしまして。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「……」

すっと立ち上がり、くるりと振り返った私は、むにっと武藤さんの頬を軽く抓っていました。むぅ、男性の頬はあまり柔らかくないのですね、発見です。

「お嬢様扱いは禁止、です」

言いたいことを言えたので、手を離します。

「……はい」

私に抓られた頬に手をやって、武藤さんは困ったように笑います。よく見る笑顔ですね。

「お姫様扱いは、良いですよね?」
「却下します。それでは、行って参ります」

貴方は私を甘やかしたいと仰るけれど、私は甘えたくないのです。
何やら不満そうに微笑む武藤さんを寝室へと再び追いやり、私は待ち合わせ場所へと向かいました。